サンゼの2021年を振り返る
みなさん、こんちゃ。サンゼです。
映像業界の皆さんは繁忙期をいかがお過ごしでしょうか?
サンゼは先日年内の仕事を締めまして、一足先にお休みに入りました。
この一年は今まで生きてきた中で最も過酷な年となりました。
自分で言うことじゃないと思うんですが「よく頑張ったな…」の一言に付きます。
自分の中でも整理する意味を込めて、この一年を振り返って行きたいと思います。なんと言っても今年はサンゼ本を発売したことに付きますが、そこに行き着くまでには様々な苦労が有りました。途中メンタルダウンしてしまったり、体調を崩したりして散々でした。
しかし、自分自身の人生を見直す機会をいただけたと今は思っています。
▼ザックリとした振り返り動画はこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=B-l1SJVmXH4
ここから先は苦労話が続くので苦労話好きの方だけ見てください笑
1月 (執筆3ヶ月目)
まだ執筆が丸一年もかかるとは思っていませんでした。
2020年の7月ころに執筆の依頼は来て、そこから少しずつは進めていたのですが、オフラインエディターとしての激務をこなしながらの執筆では進捗も厳しいと判断し、本業をストップして集中することに決めました。
またYouTube動画制作やオンラインコミュニティECHOを運営しながらというところも、現実的ではない判断をしたためです。
2月~4月
書籍の執筆に集中していました。動画を見ていただくと分かるのですが、不安や焦りに押しつぶされてしまいそうな時期でした。
本業の仕事の問い合わせも、この頃は絶えず来ていたのですが「執筆のため受けれません」とは言えませんでした。
僕の仕事は人気商売な側面もあるので、サンゼ(和田光司)がYouTubeでチャラついていると受け取られたら辛いと思ったためです。
YouTubeでの投稿も最初のうちは顔を隠していました。ある程度形になってからじゃないと公表するべきではないと考えていたためです。
精神的にしんどい状況ではあったのですが、なぜか自分が後ろめたさを感じながら執筆を続けていました。
5月
第3回 ECHO映像大会が開催されました。
本来は映画館を借りてのオフライン大会を行う予定ではあったのですが、東京都の緊急事態宣言や、ECHOメンバーの健康面を考慮すると苦渋の決断では有りましたが、オンライン大会へと切り替える運びになりました。
映画館へのロケハンや打ち上げ会場の手配も済ませていたりしていたので、ギリギリまで悩みました。
かなりバタバタとオンライン大会に切り替えたため当日は機材トラブルなども有りました。準備不足といわれるとそれまでなのですが、自分としての出来る最大限を行いました。
しかし、集まった作品はどれも素晴らしかったです。
映画館上映にかける熱意を他のECHOメンバーからも感じていて、来年こそは映画館で大会をやりたいという思いが募りました。
また、執筆活動に煮詰まっていた時期でもあったので、ここでの忙しさはある種リフレッシュになりました。
6月
書籍の執筆活動に戻りました。初稿というラフ原稿の完成の締め切りが7月に迫って居たため、ここでの執筆は正直言って鬼気迫る物がありました。
今なら、シャイニングのジャック・ニコルソンの気持ちがわかります。
書籍は結果として300P、動画も6時間近い長さが有り、物量の重責に押しつぶされそうになりました。
自分自身が考えた「書籍と本をかけ合わせる」方法は、書籍を読んで頂くと分かると思うのですが、前代未聞の方法だったので、どこにもリファレンスがなく藻掻きながら、一歩すすんでは、軌道修正しにという作業の繰り返しでした。
書籍の進行や、本業をストップしていることによっての収入の減少なども精神的なストレスでは有りました。
それ以上にプライベートでの問題も抱えていたので、それらが合わさって、僕の精神は限界に来ていました。
今、この振り返りの文章を書いていても胸が詰まりそうになります。
僕は潤沢な家庭環境では無かったので、成人してからはそこでの問題から逃避するように働いてきました。お金を稼いでいれば、その痛みが一瞬だけでも紛れる気がしていたからです。
「自分が逃げたことは、あるとき自分に何倍にもなって返ってくる」という言葉を聞いたことがあります。その言葉の通り、最悪なタイミングで僕が逃げたものが全て僕に押し寄せてきました。
このタイミングで重ならなくていいじゃないかと、人生を呪いたくなりました。
それでも、立ち上がって前に進まなければいけない状況だけが目の前にありました。苦しくて苦しくてたまらない時期でした。
僕は常々「普通に生きていきたい」と思っていました。
まあまあいいヤツとして生きてきたつもりですが、何をどう頑張ってもそれが叶わないことがとてもつらいと感じていました。
7月
色々なストレスが重なって、僕は眠ることができなくなっていました。
しばらくは普通に振る舞おうとしていました。
しかし、自分でどのくらい眠っていないか数えられなくなった頃「このままではいけない」と強く感じるようになりました。
それまでは、自分が居なくなったら誰かに迷惑がかかるという思いが強く有ったのですが、ここで自分自身が人間として終わってしまっては元も子もないじゃないかと思えてきました。
自分が抱えているものが、あまりに多すぎると。
思い切って、一ヶ月お休みをとることにしました。
また立ち上がるために、今は腰を据えて休む。謝ってすむことは謝っていく。下げる頭が有るのも「生きてこそ」だからだ。
その頃は、文字を読んだり、言葉を話すのも出来ないくらい疲れていました。文字を読んでも頭に入らないので、声にだして音で聞かないと理解出来ませんでした。今思えばストレスが原因だったんだと思います。
のっぴきならない精神状態と体調だったため、ECHOに参加するのもお休みすることにしました。メンバーにしばらくECHOを留守にすることを伝えました。本当に申し訳ないと思っていたけど、メンバーから「いつでも帰ってくるのを待ってます!」というメッセージをいただきました。
何度も声に出しながら読んで、泣きました。
必ずここに帰ってこようと思いました。
そして、書籍の発売日も延期することを決めました。
執筆活動がストレスの原因というわけでは無いんです。
完全にプライベートの問題が重なっていたので、それを交通整理するのに頭をやすめる必要があったのです。
ただ、起きて、食べて、散歩をする。
まずは最低限、これだけを繰り返していこうと決めました。
もともと、自律神経が参りやすい体質なので、緊張が続くと食事が取れなくなってしまいます。ゼリータイプのカロリーメイトを無理矢理でも流し込み栄養をとっていました。
「悩みというのは、複数の問題が絡み合って、訳がわからなくなること」とどこかで聞いたのを思い出しました。問題をどんどん細かくして紙に書き出して行きました。それを、毎日少しずつ、出来る範囲で終わらせていきました。
眠らないことには心も体も休まらないので、
素直に心療内科に通院し睡眠薬を処方してもらいました。
8月
徐々に体調も良くなり、執筆を再開しました。
ヨチヨチ歩きですが、1ページ、1ページ終わらせていきました。
ECHOのSlackも一ヶ月ぶりに開きました。
そこには温かい言葉や、助け合いの言葉が溢れていました。ECHOを盛り上げようと、ぶーやさんやたくみさん始め沢山のエコメンが書き込みをしてくれていました。
ECHOを閉鎖することも一時は考えていましたが、それは間違いだったなと本当に思います。エコメンありがとう。今、僕があるのはエコメンのおかげです。
みんなが「おかえりなさい」って言ってくれて本当に嬉しかったです。
また、この期間に自分自身の問題解決をしていく中で、色々と社会問題を支援している団体などを知ることができたのはいい機会でした。サンゼとしてもそういった団体を支援できるようになろうと思い、チャンネル収益の一部を毎月寄付することを決めました。
また、同時に未来をつくる活動をしていきたいとも強く思いました。子どもたちの未来を作れる大人になっていきたいと。
書籍が発売したら、僕の利益とかはどうでもいいので、学校に書籍を寄付しようと思いました。実際に先日YouTubeチャンネルを通じて申込みの合った学校へ寄付をさせていただきました。この活動はこれからも続けていこうと思います。
9月
書籍の発売を10月23日に決めました。
体と心の調子も整ってきたので、ここからはフルスロットルでした。
300Pに及ぶ原稿のリライトと6時間に及ぶ動画の推敲をしなければなりません。全部を頭の中でコネコネしていきました。
とても難しく苦しい作業では有りましたが、頭と体が動くことが何より嬉しかった。少しづつクリアできることが嬉しかったです。
何が何でも、発売まで漕ぎ着けてやる!たとえ、倒れても前に倒れようと思いました。
書籍に関するすべての情報が濁流のように押し寄せてきましたが、僕は地獄の7月を乗り越えた男だと自分に言い聞かせて進んでいきました。
9月23日
書籍の予約がスタートしました。
ありがたいことに、予約も好調でAmazonのデジタルエンターテイメントランキングとグラフィックデザインの売上ランキングで1位を獲得しました。
まだ、書籍は完成していないプレッシャーは有りましたが、その評価や期待を裏切らないものにしたいと強く思い、追い込みをかけました。
が、しかし
ここで盲腸の第1波が来ます。
夜中に激痛で目が覚めて、原因がわからず朝まで悶絶していました。というか痛みで何度か気を失いました。
翌朝、病院に行くと盲腸で1週間ほど入院する必要があると診断されました。
もちろん入院も覚悟していたのですが、このタイミングでの入院は避けたいと思いました。毎日点滴を打てばある程度は痛みをおさえられるとのことだったので、そこから一週間ほど通院しながら執筆を続けました。
朝イチで点滴を打って、自宅に戻り執筆の仕上げ続けました。
「俺は何と戦っているんだ」と自問していました笑
10月
そんな苦労もあってか、書籍の入稿が無事に終わりました。あとは黙っていても本になります。
しかし、動画がまだ、、、
動画は発売の5日前にアップロードしていれば問題ないということだったのでギリギリまで粘りました。
何度も、動画を見直して限界までわかりやすくしたつもりです。
また、動画と書籍をつなぐ接合点として、専用のホームページも作成しました。これも沢山のエコメンの協力がなくては出来ないものだったと思います。
10月18日
すべての動画のアップロードが終わりました。
そして、図ったかのように盲腸の第2波がやってきました。
ナイス盲腸。よく持ちこたえた。ここからは無駄に粘る必要が無いので
素直に入院して手術をしてきました。
そして、10月23日
無事に書籍が発売され、動画も公開されました。
その様子を病室でお粥を食べながら見守っていました。
ありがたいことにアマゾンレビューは4.7と高評価をいただき、発売後2ヶ月で増刷が決まりました。ランキングも首位をキープできています。本当にありがたい限りです。
肩の荷がようやく降りました。退院後、すぐに新宿の紀伊国屋にいって書籍が発売されているか確認しました笑
この目で発売を確認したときは胸をなでおろしました。
喜びもつかの間、1ヶ月後の11月20日には第4回ECHO映像大会が控えています。休んでいるヒマは有りません。
そして、ちょうど追い風のように2020年に作成したWEBコマーシャルが日本の広告賞ACC2021でエディター賞を受賞しました。大変名誉なことです。スタッフの皆さんにも感謝申し上げます。
10月は、人生で一番「おめでとう」と「お大事に」を言われた月になりました。
11月
ECHO映像大会に向けて準備を進めます。
次から次から次。すこしランナーズハイになっていたかもしれませんが、以前の病んだ状況とは違いました。
ニワノトリコさん、塩田こうすけさん他、エコメンに支えられて無事に大会を開催することが出来ました。本当に楽しい会でした。サポートをしてくれたメンバー、そして参加してくれたみなさん本当にありがとう。
一つ一つの作品が僕に勇気をくれました。
12月
本業のオフラインエディターとしても復帰しました。
正直、丸一年仕事を断り続けていたため、もう仕事は来ないだろう、、と諦めていたのですが、ありがたいことに指名をいただき無事に復帰をしました。すこしずつ、仕事を再開しています。
2021年を振り返って
2021年は僕にとって忘れられない年になりました。
苦しい時期でしたが同時に人生で大切なことを学んだ時期でした。
中二病よろしく「生きる意味」について考えていましたが、一つの答えが見えた気がします。
意味は人それぞれ多様にあって、おぼろげだと思うのですが
サンゼは「死ぬときの納得感」なんじゃないかと思いました。
その納得感は自分が「人からもらったもの」で決まるのではなくて
「人に与えたもの」で決まるんだと思います。
自分がどれだけ名誉や富を得ようとも、僕が死ぬとき全ては僕の中から消えてしまいます。自分が人から得たものは、どこにも持っていけないんだと。諸行無常という当たり前の事に気が付きました。
反対に「自分が人のために与えたもの」は、僕が消えてなくなっても誰かの中で残り続けます。その残り続けるものが人によっては、子供であったり、言葉であったり、YouTubeのチュートリアル動画であったりするんだと思います。
死ぬ間際に、そこにロマンをみれるかどうか?が
最後に「あー、これでよかった」と思えることに繋がるんだと思います。
繰り返しになるのですが、僕は常々「普通の人生が欲しい」と思っていました。何をもって普通か?という議論はさておき、欲しいと思った未来は人から与えられるものではなく、自分が何かを人に与えることで、自然と生まれるものなんだと気が付きました。
未来は「たられば」では出来ていかないんだと。
エコメンを始め、僕を助けてくれた人たちに沢山のものをもらいました。そしてまたそれを誰かに与えて恩返しが出来るように、これからもベストを尽くしていきます。
頂いたチャンスを最大限活かして生きたいと思います。
2021年12月25日。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。東京も寒くなってきました。みなさん、どうか体調には気をつけてくださいね。2022年も素敵な年になりますように。僕はまず厄払いしてきます笑
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