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70’sRockアルバム コスモスファクトリー

 高校生の頃、英国ロックだけでなく日本のロックバンドも頑張って聴いたものです。ここで紹介しているのはFEFBの地球空洞説だけですが、四人囃子、クリエイション、カルメンマキ&OZそしてコスモスファクトリー。なぜ買ったかは覚えていないのですが、ミュージック・ライフにでも宣伝されていたかそんな感じでしょう。購入したのはデビューアルバム1973年10月にリリースされた一枚だけなのですが(日本のロックはほとんど最初の一枚だけ買った)、メロトロンとムーグが響きヘヴィーで暗いプログレッシブロックが展開されていた。当時の日本のロックバンドは宣伝されるのに英国ロックの有名バンドに似てるとされて、日本のピンク・フロイドや日本のELPとかなんとかでコスモスは何だったか忘れたけど、キング・クリムゾン的?。本来なら、一番聞いた四人囃子を紹介するのが妥当なのですが、コスモスファクトリーには多少の縁があって・・・。

 私はサヌカイトで楽器を作っていて、それを1987年から使っているのがツトムヤマシタさんです。ヤマシタさんがサヌカイトと出会う前の何年間レコーディングやコンサートでシンセサイザー奏者として一緒だったのが泉千さん。この名前の前は泉つとむさんと言い、コスモスファクトリーのリーダー的存在だったのです。これは、小さなご縁で、大切のは私がヤマシタさんとの交流の中で出会ったのが、岡本和夫さん。私が唯一買ったコスモスファクトリーのデビューアルバムでのみドラムを叩いている方です。結構仲良しに。

「トランシルヴァニアの古城」

 当時岡本さんはヤマシタさんの楽器係をしていて、コンサートの前PAセッティング時に楽器を叩いて音響の増田さんを助けていた。パーカッションを叩くのが上手くてすごいなあと思っていたら、スタッフが「岡本さんは元コスモスファクトリーってバンドでドラム叩いていたと」と教えてくれた。がーんそりゃ上手いはず。ヤマシタさんの楽器セッティングは異常なくらいの楽器数とケーブルの数。もくもくと丁寧に進めて(私ができるのは力仕事くらい)作り上げていた。苦しいコンサートの楽しみは終わった後の少人数スタッフ打ち上げで昔のロックの裏話やらが幸せなのです。ロック少年で良かったと実感できるから。

 岡本さんは人生紆余曲折なり、でも個人的なことは話をしないのですが「ヤマシタさんの音楽が聴けて楽しい」と言っていた。もちろんそれだけでは生きるのも難しい。歯の少し抜けた素敵な笑顔と笑い声、楽器係をやめた後は京都・大徳寺で駐車場の番人やお寺のお手伝いを長くされていた。そういえば長く会っていない、電話してみるか。

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