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生活に必須ではない

9月になり、私は職業訓練校に通う身なのでそれなりのタスクを背負って生活しています。
このとき「タスク」「生活」「背負う」などの言葉の定義はいろいろ人によって感じるところが違うでしょう。

とりあえずここでは「タスク」はその学校に所属する者としてやらねばならんこと(たとえば県立の職業訓練校は人間を訓練して職に就かせることを目的として運営されておるので、就職にもちこむ結果を出すことがタスクです)を指しています。
就職できるすなわち労働させるに見合う技能・能力・資格・資質などなどを持っていることを証明できればということかしら、と思います。
資格というのはてっとりばやい方法であり、そのためにお勉強をしています。

を頭につけたのはバカにしているのではなくてまさに「お勉強」と言うにふさわしい雰囲気を感じているからです。
つまり「お」がつくものは、かしこまっており、実際の泥にまみれた現場ではないということ(机上のなんとか、などと言うような)を表しています。

そして、「生活」「背負う」などというのは単純化すれば生きて屋根の下にいられればいい程度のことです。そのためには実際問題として金が現金がマネーがなんとかペイの残高が必要であり、そのためになんらかの賃労働をして、カネを手にいれる、このときの賃労働にいそしむ状態のことを「背負う」というべきでしょう。
債務や労働義務が肩や背中にのしかかっていて重いなあというのが背負うという言葉であります。嫌かもしれないですが、やらざるを得ない。なぜならそれをしないと金がないので生活ができず(屋根の下にいられず)簡単に言えば食えなくなって死ぬからです。

しかし基本的人権というものが憲法に明記されているので我々はこの憲法のあるくにに住む以上は人権すなわち生存している権利を保障されます。「この憲法」と書きましたが、この基本的人権の条項を改変したい人もいるので要注意であります。

で、生存権が保障されるゆえに生活保護というお金渡します制度があります。ここにも「お」がついていますが、そういうことです。

何がいいたいかというと賃労働は生活に必須ではないということになります。ここまでの流れを追っていくとそういうことになります。

別におかしいことではありません。

ちなみに私はいま職業訓練校に通っている身であり当然就職も賃労働もしていません。ハローワークに定期的に出頭してそこからお金が振り込まれています。まいつき「今月は賃労働しましたか?」と聞かれる(書面で)ので、「してません」と書いて回答しています。
賃労働しなくても生活は生存はできていますね。

いずれするだろうという前提のもとに生かされているわけですが。

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