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違国日記論

はじめに

 脳をフル回転させられるようなことをやりたい。そこで批評文を書きたくなった。マンガやアニメ、映画や小説を読んで、面白い!と思っても、その感想を日記に書くにあたり、何がどう面白いかを記す術を持っていないと自覚したからである。批評なるものを訓練すると、何がどう面白い(=価値がある)のかを、根拠をもって記すことで、他の人との間で面白さの価値について議論ができるそうではないか。
 また、暇にまかせて『独学大全』なるぶ厚い書籍を購入して読みはじめた。遅々として進まなかったが、時間ができて読むペースが上がり、ついに読了した。要は、とにかくアウトプットしてその出来の悪さに絶望するがいい、そこがスタートだ、と書いてあったように思うが、これは私の理解であるので、著者の読書猿氏の文ではないことを断っておく。
 さて以上の経緯から私は批評文を(初めて)書いた。下らないものでもネットの海に残しておけば、私がネット環境を失ってもどこかに残るだろうと思い、ここにアップロードすることにする。

 

作品について

 『違国日記』は、祥伝社 FEEL YOUNG誌掲載の連載マンガである。2017年7月号より連載開始。作者はヤマシタトモコ。掲載雑誌のジャンルから、分類としては女性マンガである(WikipediaによるとFEEL YOUNG誌は”ヤング女性向け漫画雑誌“)。
 2022年3月現在で、連載は継続しているため、ここでは開始から25話(コミックス5巻まで)の内容を中心に、あらすじを記述する。
 舞台は現代の日本である。ある程度以上の都市。小説家と編集者が対面で打ち合わせをするので、出版社の集中から考えて東京か近郊ではないかと推定する。
 1話は、この作品における「未来」の話なので、後述する。
 2話から物語は開始する。田汲朝(たくみあさ)は中学3年生の女子である。冬のある日、朝の両親は交通事故で二人とも死亡する。
 小説家の高代槙生(こうだいまきお)は朝からみて叔母に当たる。朝の母である実里は、槙生の姉だ。実里の死に際して、槙生は初めて、朝の父である田汲はじめと実里が内縁の夫婦関係だったことを知る。槙生は実里と仲違いしており、もう何年も顔を合わせていなかったのだ。槙生は病院に駆けつけ、とりあえずは朝を家に泊めることとする。朝は、突然の両親の死について、「悲しい」という形での感情を持っていない。槙生は朝に「悲しくなるときがきたらそのとき悲しめばいい……」と言う。朝は、槙生は悲しいかどうかを聞いてみる。答えは、「全く悲しくない …わたしは姉を嫌いだったから」。そして、朝に向かって「あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない」と語る。ふと、槙生は、朝に日記をつけることを勧める。 
 翌日、葬儀の席で、はじめの側の親類は誰も出席がなく、実里の親類は互いに朝の引き取り手をめぐって言い争いが起きている。そこで槙生は、自分が朝を同居させる、と宣言する。
 槙生の家で、朝との同居が始まった。それまで独居だった槙生は、実は極度の人見知りであることを告白する。他人と同居することにストレスを感じ、また、15歳の子供を預かって、今後いつまで同居するのかも、何をする手続きが必要なのかも分からない。それでも、人見知りしない朝は、家事を分担し、よく食べ、生活は始まっていく。槙生の友人の醍醐や元恋人の笠町、弁護士で後見監督人の塔野など、槙生と朝の助けとなってくれる人物もいる。その一方で、朝の存在から、槙生は実里への憎しみを思い出すこととなる。
 朝は、中学校の卒業式や高校の入学式など、セレモニーを通じて、周囲との間でも両親の死を公的に話さなければいけない機会に遭遇する。そこで、失敗したと思うと、その度に母親がもし生きていればどう反応したかを想像し、そして、槙生が違う反応をするのを見る。槙生は、重要であること以外では、朝に対して何か意見するということが無い。自宅での小説の執筆はマイペースに行っている。そんな槙生の様子に、朝は寂しさを覚えて拗ねる。朝の暴発に対し、槙生は「歩み寄ろう」と言う。しかし同時に「さみしさをわたしはどうにもしてやれない」とも言う。
 部活動の選択で、母親ならば軽音楽部には反対するだろう、と思った朝だった。しかし、今まで言われたことの記憶を呼び起こすと、自主性を尊重するような口ぶりでも、実際は母親自身の意見を押し付けてきていたことなどに思い至るようになる。混乱と怒りを経て、朝は軽音に入ることを決める。そして改めて、これまで考えたことは無かったが、母親とはどういう人間だったのかを考えるようになる。朝は、日記帳に“でも勝手にしんじゃった人が悪いと思う”と書いたこと、その文言を何度も思い出す。 
 槙生は、実里がかつて自分へ言ったことを回想し、憎しみが続いていることを自覚する。その一方では、子供を育てることは大きな負荷の連続でもあることを思い、実里が母親として務めていたことを想う気持ちも湧いてきている。田汲家の遺品を整理に行った際に、実里が朝に向けて書いていた日記があった。槙生はそれを持ち帰ってはいたが、いつ朝に見せるべきかを悩んでいた。盗み聞きで、日記の存在を知った朝は、こっそり読んでしまう。「お母さんは あなたが大好きです」と書かれていた内容に、朝はかえって混乱し、高校をさぼって街へ出る。笠町たちと捜索に出た槙生はタピオカ屋で朝を発見する。連れ戻した後に、槙生は朝に話をする。母親が、本当はどう思っていたか、それは今や誰にもわからないこと、代わりに語ることはできないこと。でも、憶測で言えば、朝は愛されて育ったように思うし、そうだったなら実里も幸福だったのではないか、と。また、誰かに何かを書き残すということは、大きな気持ちがなければできないことだ、とも。
 朝は布団の上で槙生の小説を読む。ファンタジー小説の主人公は、かけがえのない存在だった竜を亡くして、ただ歩いている。その姿が描写される。朝は、声を上げて泣き、駆けつけた槙生に向かって、「おとうさんとおかあさん…死んじゃった……」と言葉に出す。
 以上が25話までの内容である。

 尚、1話については、描かれているのは、朝と槙生のある一日の生活の様子である。ただし朝は高校3年生である。つまり2話以降からみて、未来の話だ。表札には「高代 / 田汲」と書かれており、料理は朝が手際良く行い、槙生は執筆にいそしみ、夕食は二人で食卓を囲んでいる。朝は、槙生が仕事をしている時は「ちがう国にいる」と表現する。呼んでも返事をしないことが直接の理由であるが。そして夕食後、槙生は引き続き執筆にかかっている。朝はその傍らに、布団を敷いて寝る。横たわって見る槙生の姿を、「ちがう国の女王」と表現する。

 この批評で、私が何を記したいかを書く。

 人の気持ち、人の考え方、他人の道理。そんなものがあるだなんて知らなかったし、理解もしていないが、今はそれがあると知っている、ということ。気持ちの中には入れないし理解もできないが、外から知ることならできる。知らなかったとしても、後から知ることもできる。知るだけでも、救いになることはある。ポジティブな変化。
 作品の中で、作者が人物の変化を見せてくれる。また、その変化は誰にでも起こること、起こり得ることだから、読者はそれを自分のことかもしれないと思い、また今後同じように変化できるかもしれないと思う。私もその可能性を思い、新しい勇気を感じるのだ。この変化のことを記したい。

 本作の25話までは、主要な登場人物が3名いて、うち1名は登場時から死んでいる。死んでいるのは、朝の母で、槙生の姉であるところの実里だ。朝と槙生は生きている。生きているから変化するし、その変化の中で知らなかったことを知るようになる。

槙生は実里をどう思う

 理解し合わず、いっそ対立している姉妹、それが実里と槙生である。槙生は実里を鋭く憎み、嫌悪していた。何がその要素だったか。

 主に実里から槙生に向かって放たれる言葉が(回想として)あり、箇条書きにしてみる。
「あんたがダメだからいってやってんの姉として」(初出2話)
「こんなあたりまえのこともできないの?」(4話)
「あんたなにその服 キモ」(6話)
「槙生あんた恥ずかしくないの妄想の世界にひたってて 小説だか何だか知らないけどもう少し現実に向き合えば?」(9話)
「槙生きいてんの 何か言いなさいよ」(15話)
「槙生あんたみたいな人間は誰からも好かれないのよ 私以外誰も言ってやれないんだか」(16話)
「槙生あんたさあ 夢見るのもけっこうだけど現実見ないと ちょっとは他人に合わせるってこと覚えたっていいし男の人には特にでしょ 男の人はいつまでも子供なんだしあんたみたく気が強くちゃ好かれないでしょ」(19話)
「こんなこともできないの?」(21話)

 いわば罵詈雑言である。服の趣味を他人からとやかく言われる筋合いは無い。あとは決めつけである。「誰からも好かれない」なぜ未来のことが分かるのか?
 実里にとっての「現実」というのはどういうものだったのだろう。ここにある言葉だけを使えば、「夢を見ない」「他人に合わせる」「小説のような妄想の世界から出てくる」こんなところだろうか。換言すれば「社会の多くの人々がしていることと同じように、“普通”にする」ことなのだろう。
 それこそ、人見知りにとっての苦痛であることばかりだ。特に「他人に合わせる」のは最も苦手とするところだ。槙生も苦手である。槙生は自分に言及する。朝から「なんで掃除できないの?」と聞かれ。
「…しらない …わたしは頭の中がいつも忙しくて ものがすぐ見えなくなって 嘘が極端に苦手で ……ひとりでいるのが心地好くて」(19話)
 それは変えようが無い事実で、そして、変えなくてはならない必然も必要も、槙生には感じられない。仕事が可能で独居生活も可能だから。他人に合わせることで得られるような「愛」や「結婚」も必要と感じていない。
 槙生は揺るぎない個性を持っている。頑な過ぎて、そのために生活では他人と折り合えないような。掃除も片付けも苦手で、料理はレパートリーが少ないので同じパターンを繰り返しており、仕事に集中するときは滅多に外出せず、初対面の他人との会話が極度に苦手なので電話に出ないことがあり(そのため弁護士の塔野は直接自宅を訪問しなくてはならなかった)、友人は少数だ。少数の友人だけは、学生時代からの付き合いで、槙生がどういう人間であるかをよく知っている。だから友人の会合があっても互いの生活や人生にお節介はしない。ただ報告するのみだ。
 朝は、そのやり方を知らないので、槙生に向かって、知りたいと思ったことを直接質問する。なぜ実里を嫌いなのかは2回聞いて、回答は無い。2回目はこう答える。
「……あなたには話さない」(9話)
槙生は、そう易々とは他人を自分の人生に入ってこさせない。

 悪感情がある場合、人間は「相手を嫌いであれば、相手も自分を嫌いだろう」と考えることがある。これは防衛機制のうち「投影」だそうだ。自分のもつ心理を、相手が持っていると考えることで、自分を守る。現実にどうなっているか、ではなく。
 槙生は(おそらくは高校卒業後)実家を出て以来、実里とは対面していない。持っているのは過去の対立の記憶だけだ。決定的に対立した最後の場面は、23話での回想がある。
「その調子で困るのはあんた…」
と言う実里に対して槙生が叫ぶ。
「あなたに自分の考えがなくて人の目が気になるだけでしょ」
実里には自分の考えも主張も探求心も何もないのだと指摘した上で、最後に「自分の空虚をひとに押しつけるな!」
これが槙生から実里への最後の言葉と思われる。

 しかし、記憶のイメージは過去の時点にしか運用ができず、その後の現実は槙生の知らないものだった。
 朝は、訪問してきた笠町に向かって、実里の言葉を語る。笠町にとっては、朝が槙生を呼ぶ“槙生ちゃん”という呼称が新鮮なのだが、
「(呼び方は)お母さんが呼んでたんだよ 「槙生ちゃんは小説家なんだよ」って (中略)よく話聞いたよ」(9話)
槙生にとっては意外な出来事である。実里が、自分のことを家庭で話題に出していたとは。また、呼び方の親しみ易さや小説についての必ずしもマイナスイメージではない出し方など。新しい情報を知って、槙生の中で実里の像はここから少しずつ変化していく。あくまで、過去の憎しみは同じように存在するが、それとは別に、人間の多面性が、色の数が多くなっていく。

 槙生は、実里の死の後に田汲家を整理して、遺品を一部持ち帰った中から、実里の日記を見つける(16話)。それは、朝が20歳になった時に贈るために書かれたものだったが、その中に朝の命名についての記述があった。
“あなたの名前は、必ず来る、新しくて美しいものという意味―(中略)―あなたが誰からも愛されるように、”
この文を読んで直後、槙生は過去の実里の言葉「誰からも好かれない」を思い出す。そして日記を勢いよく閉じる。槙生はモノローグで思う。
“姉さん あなたは いったいいつからどうして わたしのことが憎くなったのだろう”
新しい情報としての日記は、実里が母として娘の朝を愛し、また彼女が愛されるように願っていることを伝える。一方で、妹である自分は“誰からも愛されない”などという言葉を投げつけられた。
 日記を閉じる勢いのよさは、怒りを、そして拒否(これ以上実里の言葉を見たくない)も思わせる。
 憎しみは過去にあったし、そのことはもう動かせない。そして同時に、実里が、朝の母親という存在であることは、新しく槙生の認識に加わっていく。
 朝の友人、えみりは、えみりの母の美知子と共に家族ぐるみで田汲家と親しく交際していた。美知子は、以前から槙生と一度会いたいと言っていた。朝が高校1年の夏に、朝とえみり、槙生と美知子の4人でファミレスでの会合が実現する(21話)。
 美知子は、突然の事故から朝を引き取った槙生について、当初は“卒業式にも入学式にもみえないのは 大丈夫な人なの!?”と思っていた。常識に欠ける人物ではないのか、そんな人に中高生の世話が務まるのか、という意味に読める。槙生は
「大丈夫かというと不安ですが少なくとも精一杯やって…っ」
と答え、それに続けて美知子は
「子育てはずっとそうです」
と言う。実際に母親業をやっている人物からすれば、子の面倒をみる、保護する、育てることはずっと注力の対象で、それは当然のことだと美知子はとらえている。親として愛することはそのようにエネルギーを注ぐことだと。
 実里が内縁の関係だったことを聞くと、美知子は分からないと言う。槙生にしてみれば、改めて、実里について
「…なんだか知らない人みたいだ……」
と語り、美知子は“親となる前と後での変化”を指摘する。親となって娘を育てる実里は、槙生にとっては未知の存在だ、ということが認識される。
 姉と離れている間に時間が経過し、出来事が重なっているから、変化して知らない要素が生じているのは当然なのだが、当然だということも今まで槙生の認識の中には無かった。

 

朝は実里をどう思う

 事故が起きて、両親と突然切り離された直後、少なくとも朝には悲しみという感情は無かった。葬儀後、槙生と同居を開始し、朝が思うことは
“いないんだーと思うと砂漠のまん中に放り出されたような感じで ぞわーっとする”
とモノローグで語られる。そして、新たに貰ったノートに日記をつけてみようとして、何も書きだせない(3話)。
「なんか書こうと思ったんだけど… なんか うん ぽつ――ん ぽか――ん と しちゃって 何を書きたかったのか…………」
と話す。
 槙生は「わかるよ」と言い、
「 「ぽつ――ん」は きっと「孤独」だね」
と朝に告げ、その感情に名前を与える。まだ、朝の中には、自分が孤独になったということだけがあり、両親への感情らしきものは見当たらない。
 6話で、田汲家の遺品整理に行った時には、朝は母親のことを現在形で話している。そして、そのことに自分で気がつく。朝にとっては現在形がごく自然なことで、つまり記憶の中では母親は生きている。現実に死んだことは知識として知っているが、認識は違う。
 母親のことを改めて思うようになるのは11話である。高校の入学式当日、朝は“注目されたくて”両親の死を、自分が非凡な者であるかのような証明に使おうとしてしまう。朝の発言は同級生たちには軽く流されてしまうのだが、朝は、自分のしたことを愚かだと思い、これは母親から小言を言われる案件だと思った。しかし、槙生は(母親ではないから)特に叱りも意見もせず、朝を責めることはなかった。それで、朝は、かえって母親の不在を強く意識する。いわゆるスーパーエゴ(超自我)、何かあった時に意識の中で自分を規制するような、上位の存在としての意識の中の番人となる存在の、その元であった母親が今はいない。不在であることが、ここから認識の中へと入りはじめる。思うところはある。朝は日記に書く。
“でも勝手に死んじゃった人が悪いと思う”
そしてそれを、横線で、消す。消したといっても線の下に言葉はあり、今後、朝は何度も同じことを思うようになる。
 朝は、これまでうまく思い出せなかったが、死から時間が経過してきて、やっと母親のこれまでの言動を思い出せるようになってきた。朝の回想する実里の言葉を箇条書きにしてみよう。全て出典は14話。
「へぇー 朝はこういう男の人が好みなんだあ」
「朝 あなたのやりたいことは何でもやっていい なりたいものになりなさい」
「髪の毛……切ったの? どうして? かわいかったのに」
「なあにー まだ迷ってるの? じゃお母さんが決めてあげよっか」
「そっちはダメ」
「何でも自分で決められるようにならないと 朝」
「お母さんは間違いないんだから」
 最初の「好み」は、朝がコールドプレイのミュージックビデオを見ていて、実里が言ったもの。朝は、音楽が好きで見ているが、実里は、かっこいい男性を求めていると決めつけている。以下、朝の選択の自由を尊重する言葉と、母親としての選択を押し付ける言葉が混在する。この時の朝は、高1の春で、部活動を選ばなくてはならない。軽音に興味があるが、母親は嫌がるだろう、と思う。まだ心の中に、すぐ上位の審判が登場する段階だ。しかし、言葉を回想しているうちに、自分は反抗したかった、反論したかったんだという思いが高まる。心の中の反論はあっても、(死んでいるから)直接言葉で反論し返すことはできない。朝は心の中で
“勝手に死んじゃった人が悪いんじゃん!!!”
と叫ぶような強い思いが浮かぶ。再びのフレーズである。それから、
“あたしはなんにだってなれる …ざまあみろ”
と思い、軽音に入ることを決める。
 死んだ人に直での反論はできないが、自分で決めて、かつてのスーパーエゴに逆らう形で、自分の選択を一歩踏み出す時、母親に対しての思いは悪罵となっている。
 もしも、実里が生きていて、朝が家族とともに暮らしていたら、朝は母親の反対に逆らって軽音に入ることができただろうか?作品を読む限りでは、朝が自分の選択を考えて、それを実行するようになったのは、母親の意見と自分の意見は違うということを認識したからである。認識できたのは、母親がいまはいなくて、回想という形で内省できたからだ。そして、自分を貫くという意味では、槙生の影響を受けている。槙生こそが、「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」と教えたのだから。
 つまり、槙生と出会う前、実里の生前の朝は、それなりに自分の好みというものがあっても、大筋では母親の言いつけや言葉を守る子供だったということだ。素直とも言えるが、自己主張の柱が無いとも言える。母親の死を経て、“自分”という存在が芽生えはじめている。そして、これまではただの上位の存在、言いつけてくる人だった母親が、一人の人間として、朝にとっては未知の存在として現れる。
 槙生と朝が、実家(槙生と実里の)へ行った時、朝はかつて実里の使っていた部屋に行く。そして槙生に向かって話す。
「おかあさんが… どんな人っていうか 何を考えてたんだろ とか …わかんないかなって思ったんだけど 何か残ってないかなって」(17話)
実里の人柄を示すような物は、そこには何も残っていなかった。
 唯一、何を考えていたか、手がかりが残されていた物は、実里から朝のために書かれた日記だった。実里の日記のことは、朝には知らされず、盗み聞きでその存在を知ったこと。自分には秘密にされていたこと。そのことで怒りを覚え、朝は、独り言を言いながら槙生の部屋に侵入して、日記を探す。(23話)
「日記なんてさ あたしの悪口書いてあるかもしんないし べつに嘘書くかもしんないじゃん」
この独り言の出所は、3話で、日記を書いてみようとして何も書けなかった朝に対して、槙生が言ったことから来ている。それはこういう言葉だ。「(日記に)ほんとうのことを書く必要もない」
槙生が意図していたのは、日記にはただその時に心に浮かんだことを書けばいいということだったのだが。
 このように朝は、槙生から受け取った言葉を、複数、心の中に貯蔵して、それを必要に応じて心で再生している。
 実里の日記は朝に向けて書かれている。一部は先述した。重複部分もあるが、引用する。
“誰からも愛されるように 心から願っていますし そのためにきっと何でもしてやろうと思います 朝 お母さんはあなたが大好きです”
 朝は大きな声で叫ぶ。
「わかんないじゃん」
「こんなの嘘かもしんない」
「わかんないじゃん 何だって書けるもん」
「わかんないじゃん」繰り返す。
 わかる、わからない、という言葉を、ここでは字義通りに「理解できる/できない」のように解釈するわけにはいかない。「嘘だ/嘘ではない/どちらかわからない」の意味ならば多少は近づくかもしれない。けれどもそれも解釈違いと思われる。
 おそらく、ここでの朝の感情、実里に対する思いは、拒否だ。
 このことは次項で改めて記すことにする。

 

朝と槙生は互いにどう思う 

 高代槙生35歳は独居が長い女性で、誰にも干渉されることなく自宅を構築している。小説家で、自宅での作業も長く、生活スタイル的には引きこもりのようなものだ。
 田汲朝は15歳中学3年生で、親の死までは自宅で親子3人の生活で、中学に毎日通うという意味では全然引きこもりではない。
 対照的なこのペアが、同居生活を開始する。槙生は朝に宣言する。同居するに当たって、何ができないか、何なら与えられるか。以下、箇条書きで記す。(すべて2話)

・部屋はいつも散らかっている
・わたしは大体不機嫌だ
・あなたを愛せるかどうかはわからない
・わたしは決してあなたを踏みにじらない
・それでもよければ明日も明後日もずっとうちに帰ってきなさい

 この宣言は葬儀の席で下された。葬儀の前日に槙生は朝を自宅に泊めている。だから、葬儀からもずっと家で暮らせという意味で、「明日も明後日も」なのだ。
 この宣言には2つの重要なことが含まれている。あなたを愛しているから同居するわけではない。しかしそれでも、あなたを尊重する(“踏みにじらない“)。
 含まれていないのは、「〇〇だから同居しよう」という肯定形での理由だ。槙生が、殆ど知らぬ姪を、しかも嫌いが高じている姉の娘を、引き取る理由など無い。無いけれども、親戚間の引き取り手の押し付け合い、その醜い会話の中に朝を置いてはおけないと思った。それだけの理由だ。好きも嫌いも無く、槙生には朝への個人的な感情は無いのである。
 朝はどうだろうか。前項でも見たが、同居開始時の朝は、主に呆然としている。3話で日記が書けなくて、槙生から“「孤独」だね”と言われ、思いついた孤独のイメージは砂漠である。何もない、誰もいない場所のことはそれしか思いつかないのだ。そしてこの砂漠こそが、おそらく朝にとっての、人生で初めての「孤独」である。
 4話にて、槙生の友人の醍醐が訪問してくれて、互いの親交を深めるべく朝と三人で餃子パーティーをした後に、朝は槙生に言う。
「あの… 槙生ちゃんがね「悲しくなったら悲しんだらいい」って言ったじゃん あれね ありがとう」続けて、
「悲しくなった言うから 今は大丈夫 むりしてない」と。
悲しみを、今は感じていないのは、素直な朝の正直な気持ちだ。それからこの言葉は、ぎくしゃくしている自分たち、朝と槙生の間柄を、少しでも良くしたい、和ませたいという朝の気持ちも入っている。槙生から
「お互いダメなときは言って… …協力してやっていこう」
と答えがきて、
「うん!」と返し、“ほっ”という息をひとつついている。マンガでは、少し安心したことの表現である。人見知りをしない朝も、槙生との暮らしは、全くノウハウも無くどうしたらいいのかも分からないことだらけだったが、ここで一つは何とかなるという手ごたえを掴んだ様子である。その位、はじまりは他人行儀の空気だったのだ。
 しかし基本的には、この段階で、朝は槙生を「へんな人」(3話)と思っている。槙生は“怖い”という他人へのスタンスを崩していない。
 槙生は本人も認める“人見知り”であるが、正確には、他人へのスタンスが慎重で、注意深く、他人から傷つけられたくもないし、他人を傷つけることもしたくないだけだ。それを知らない人からは誤解を受けたり嫌われたりする要素なのだろうが、学生時代ならいざ知らず、今は成人していて、もうそれを知る人間関係だけを残しているのである。
 5話で笠町と槙生は喫茶店にて語り合う。槙生から、朝の状態について。「よく寝るんだよね あの子 …昼間少し動いたら 気がついたらあとはずっと寝てて …本人に自覚はないみたいなんだけど…… …そうして少しずつ消化しているところを叩き起こして突然区切りをつけさせていいものか 怖い」
朝が、気がつくと昼間でもソファで寝ている。おそらくはショックを、感覚的に、吸収する過程なのだろう。そんな段階で、例えば遺品の整理などに行ってきていいものかどうか。朝を傷つけるのではないか、槙生はそれが怖い。そして笠町は
「やっぱびっくりだよな 改めて きみ基本的にそうやって「怖い」ってスタンスだろ 人間関係 おれに連絡するのもびびってたろ内心」
笠町は、からかうように、はっはっと笑う。元恋人であるから、基本的には槙生の人となりを知っている。だから、槙生は、苦手な金銭面のことなどを相談しようと呼び出したのだ。槙生は続ける。
「怖いよ 今 人生最大級に怖い (中略) 15歳みたいな柔らかい年頃 きっとわたしのうかつな一言で 人生が変えられてしまう」
その直後に2コマ。1つは無垢な朝のカット。もう1つは黒背景に立ち腕を組んで威圧的な実里の姿。
 槙生は、自分が実里への憎しみを未だに持っていて、それが全く消えようとしないことを常に思い出してしまう。願わくば、朝に対して介入することが、悪い方向に行かないように、憎しみを植えつけたりしないようにしたい。でもそれは不確かで、そんなことをやり遂げる自信は無い。
 槙生から朝へ、なにも贈り物を与えることはできなくても、重荷を背負わせてしまうことがないようにしたい。それは思い切って朝を引き取ってしまった槙生の中での義務感になっている。怖いけど、やらなくては、ということだ。

 7話にて、中学校の卒業式があり、朝は、自分の意向に反して中学側へ両親の死が伝わっていること(それはえみりを経由して、美知子が中学へと一報を入れたことによる)に反発する。親が死んだ子、と周囲から思われることが我慢ならない。
「ふつうで卒業式に出たかったのに!!」
と叫び、朝は中学を飛び出す。
 遅く帰宅した朝は、槙生にも「うるさいなっ」と反発するが、槙生は論理的に話を聞き出す。朝は話す。卒業式から脱走してきたことを。えみりから続々とLINEが来て通知音が響いているが、朝はスマホを見ようともしない(8話)。
 槙生は語る。卒業式のことは、別にいい。でも、友人は、かけがえのないもので、互いのことを“知っている人間がいてくれることは ときどきすごく必要だった わたしにはね”と。
 それは醍醐のことでもあるし、学生時代の、今でも付き合いのある少人数の女友達グループのことだ。
 槙生にとってそれはどういうものか?醍醐から、卒業式で手紙をもらったことを話す槙生。朝は聞く。
「槙生ちゃんは どう思ったの その手紙読んで」
「「生きていていいんだ」と思ったよ 大げさじゃなくね」
 槙生は、別に朝が良い子で品行方正でいてもらいたいわけではなく、正直そんなことはどうでもいい。でも槙生の本心として、友人のかけがえの無さだけは、当時も今も心の中に大きくあって、それは朝にも伝えるべきことなのだ、と槙生は判断している。えみりのLINEを無視している朝が、意地になっていることは、見抜かれている。できれば、朝とえみりに仲直りしてほしい。できれば。別に強制ではない。
 朝は、最終的にえみりに電話して、和解する。結果的にだが、槙生の言葉は朝へ届いている。朝は、表面上反発しているように見えるが、実際は槙生の言葉をよく聞いているし、それを貯蔵して再生したり、自分の行動に役立てたりしている。卒業式を抜け出してきた時も、路上で歩きながら半泣きしつつ、「わたしの… 気持ちは わたしだけのもので…」と言っている(7話)。「あなたの感じ方はあなただけのもので(2話)」という槙生の言葉を回想しながら。そうしていないと歩き続けられないような場面で、朝は槙生の言葉を思い出す。「へんな人」であることは認識の中で変わってはいないが、言葉の数々は朝の記憶の中へと取りこまれていく。

  12話から13話にかけては、槙生の仕事と朝のさみしさがバッティングする。えみりが家に遊びに来て、槙生は女子高生二人の話し声の喧騒に、耐えられない感覚を覚える。それを振り払うように、仕事に集中すると、今度は朝のことが目に入らない。朝はというと、えみりと話していて、ふと両親のことを思い出したりして、その後に槙生から全く注意を払われないー目の前にいるのに、いないかのように素早く調理をしてまた仕事部屋へと戻っていく槙生―ことで、気持ちにダメージを受けている。
 13話、ソファの上で膝を抱えて拗ねているべそかき顔の朝。はじめ、槙生は朝が拗ねている理由が分からない。えみりと喧嘩でもしたか?と思うが、そこから、コミックス3巻の78pからの8ページかけて、槙生は自分の高校時代を回想する。

 はじめの3ページ、槙生は自分はどのように高校を過ごしていたかを思う。(学校さぼりまくっていた…)遅れて登校すると、同級生たちはたわいもない話をしている。皆それぞれがバラバラに、とりとめもなく。その断片の中にひとつの会話がある。
(おかーさん超話聞いてなくてー もー腹立つ)
(わかるー 無視かよとか思うよね)
 次の2ページ、文字のない絵だけのページ。槙生は一人で食卓にて食べており、朝はずっとリビングのソファに同じ姿勢でいる。
 次の1ページ、再び槙生の回想の中の高校。同級生たちのバラバラの言葉。槙生は横を向いてそれを見ている。槙生は、現在も回想の中でも、同じように横を向いて、観測しているようなぼおっとしているような顔をしている。
 続いて見開き2ページ。槙生の姿は小さく映り、机に頬杖をついている姿と、立って外を眺める姿。コマの枠線がなく、1ページずつが1枚絵。モノローグ。

 あの頃 わたしたちの孤独はそれぞれかたちが違っていて
 わたしだけが ひとりで
 わたしだけが 誰からも愛されず
 わたしだけが ほんとうの恋を知らず
 わたしだけが と わたしたちの 多分 誰もが思っていた

 回想と現在が入り混じり、槙生は、拗ねる朝を見ながら、過去の自分たちもおそらくは同じように、世界に対してひとりで立ち向かっていた、と、思う。 
 そして、強引にソファの朝の隣に座り、肩を抱いて、言う。
「あなたのさみしさは理解できない それは あなたとわたしが別の人間だから」
「…ないがしろにされたと感じたなら悪かった だから…… 歩み寄ろう」
朝は問う。
「…わかり合えないのに?」
「そう わかり合えないから」
それから槙生は、朝に伝える。朝のことを愛してはいないが、好ましく感じている。やや回りくどい言い方で。
 朝は吐露する。
「さみしい……」
「……今日さみしかったことについては悪かった ごめん …でも ――あなたの根本的なさみしさを わたしはどうにもしてやれない」
「いやだ さみしい」
最後には朝はやや声が大きくなる。槙生は、肩を抱いた手に力を入れ、ぐっと抱き寄せる。何も言わず。

 朝と槙生の関係性は、非対称的で、偶然(事故)のきっかけから始まり、愛が二人を結びつけたものではなく、他人同士の二人が同居する、それだけのものだ。
 朝は、そこでは高校1年生で、人生を一人で歩み出したばかりで、これから多くの困難と、自分の無力さと正面から対峙しなければならない。槙生は、いわばそこを通り抜けてきた人間である。独自の方法で。
 槙生は、自分のやり方が決して万人に勧められるものではないと理解しているが、それ以外の方法を採ることもできないと覚悟している。だから、朝のさみしさは、どうにもしてやれないと言うしかない。それこそ、本当の世界のあり方から言って、朝のさみしさを理解しわかち合ってくれる人間は、この世に一人もいないのだ。
 槙生は、愛してはいないものの、朝のことを好ましく思っている(13話)と伝えているし、槙生の方法では、できることは隣にいて、朝がここにいると知っていて、ひとりにはしない、ということだけだ。そこまでが、槙生の示せる最大の好意だ。
 朝には、未だその最大の好意を有難く思うような余裕は無い。
 自分のことで精一杯だ。それこそ、表現としては「自分のことで手一杯」(17話)だ。この表現は、朝と槙生が、高代家に行った時に、槙生の母が槙生を称して言ったものだが。なかなか、愛のようなものを他人と共有するなんて、及ばない、という感もあって興味深いが、この件は触れない。

 その17話では、朝と槙生は、実里の使っていたベッドに腰かけて話す。前項で触れたが、朝は「どんな人 っていうか 何を考えてたんだろとか」と、母親の人柄を探している。槙生は言う。
「その人が… どういう人で 何を考えてるとかは… …生きてたってわかりようもない」
朝は尋ねる。
「…「ちがう人間」だから?」
「そう… そうだけど あの あまりわたしの言うことに影響をうけないように」
 ちがう人間、というのは、槙生がかつて13話で言った“別の人間”を参照しているものだ。朝が度々、槙生の発現を参照して話すことで、明らかに槙生の影響を受けていることがわかり、槙生にとってはまだそれが“怖い”。

 それでも槙生は朝のこと、朝の抱えているであろう母親への解消されない問いかけが気になっている。美知子とファミレスで話している最中、槙生は親のかわりにはなれないことを話しながらも、朝のこれまでの言動を回想する。“「おかあさんが――」「おかあさんも――」「おかあさんは――」”朝が母親を語っている回想が4コマ連続で描かれる。そして槙生はモノローグで思う。
“孤独を 絶望を 表す言葉をまだ知らないというのは 一体どんな苦しみだろう”
さみしさをどうにもしてやれないのは事実だが、その朝の様子を気にかけているのは槙生の意思だ。
 今の槙生であれば、孤独、絶望、それら感情はその内容を言葉にして表し、自分で自分に語りかけることができる。それはつまり槙生の会得した、孤独との付き合い方だ。朝はそうしたことを何も知らないのだ。
 槙生はそのような朝の様子が気になっている。22話、笠町との会話で、槙生は、実里の日記のことを語る。槙生の見立てでは、
「朝は母親に会いたがってる 日記の中には母親は生きてるでしょ」
しかし日記には、“20歳になったら渡す”と書いてある。渡すか渡さないかを決めるのは、自分ではないのではないか、と槙生は考えている。その話を、帰宅して偶然聞いてしまった朝は、槙生の不在時に日記を読んでしまう。    
 そこに書かれていたのは、実里の朝への想い、そして、実里の人生の「思い通りにならなかった」部分だった。

  以下、23話の内容として、実里が朝にあてて書いた日記の内容について触れる。23話では、日記を読んでいる朝がその感想として、モノローグで
“わたしは
母にも母の
彼女だけの 怒り 孤独 葛藤が あったことを
受け入れたくなかった
知りたくさえなかった“
と思っているのである(未来の時点から)。
 マンガは、時系列や主体・客体(誰がしているか、何をどこまで実行しているか)について逸脱した表現も可能である。このシークエンスでは朝は明らかに日記を読んでいる。しかし日記の文章がそのままコマに書かれている場面はわずかである。他は、実里がコマに描かれて、話したり、思ったりしている姿がそこにある。つまり文章の代わりに、そのような内容が日記に書かれていたのだと解釈するしかない。しかし、読んでいて私は、どこまでが実里の書いた日記の内容でどこからがそうではないのか、判別できなかった。初見では、その内容がすべて日記に書かれていて、すべてを朝が読んでいるとは思えなかったからだ。そこには実里の感じる一人称でのモノローグがあり、実里が知り合いと集団で話しているときの会話があり、実里が槙生と言い争っている場面もある(前々項で、実里への槙生の最後の言葉だろうと解釈した「空虚をひとに押しつけるな」)。実里とはじめが籍を入れないことについて話し合う場面もある。それらすべてを朝が読んだか?文章を書く習慣が無かったような人間(槙生の弁)が、そこまで自分の心情を他人に伝わるように細かく書いた?知り合いとの集団の会話を詳細に書いた?
 それは分からない。私はそこまでを解釈で示すことはできない。だからせめて、可能なこととして、読んだ人物、つまり朝の思いから、「怒り 葛藤 孤独」があったことは否定できないのだ。実里は実里として自問自答した様子が絵で描かれていれば(実里が二人登場して、向かい合って「こんなこともできないの?」と指摘している場面がある)、それは日記の中に「自問自答した」と書いてある、あるいは意味としてそのように理解できるように書いてある、と解釈するしかない。

 ともあれ、実里の日記には、実里なりに人生のままならない様子や周囲に比較して自分に劣等感を感じること、妹から糾弾されたこと、等が記されていた。そして、朝にとっての重要な部分として、命名の由来と、「お母さんはあなたが大好きです」という言葉が記されていた(これは文字としてコマにある)。
 朝は混乱する。
「こんなの 嘘かもしんない わかんないじゃん」
これは拒否ではないかと、私は書いた。
 母親も一人の人間なのだということを、遅まきに知るようになり、しかし情報が何もなかったところに、突然過大な情報が現れた。それらはすべて、生々しく、一人の人間の、劣等感や悔しさのようなうまくいかない部分、それでも娘を愛しているという部分、妹と衝突する部分、多面的な姿を一気に明らかにしている。こんなにも、朝にとって、知らないことがたくさんあった。それは、今まで自明だと思っていた世界、硬くしっかりとした大地のある世界が、突然揺らいで底が抜けてぐらぐらとしてるような感覚だ。朝はそれを“それは大きな穴をのぞき込むような作業で”と表現している。
 そして、疑いが生まれる。自明だと思っていたことは自明ではない。普通に何も考えずに思っていたことさえも、根拠を無くしたような感覚。何も信じられない、信じたくないような感じ。それは全ての言葉に向かって放たれる疑いの銃弾であり、「大好きです」という言葉も、また、信じられない。本当のことではなかったのかもしれない。
 こんなに突然不安になってしまうようなことは、そもそも、起きてほしくなかった。こんなことは全部払いのけたい。消えてなくなってほしい。それが拒否の意味だ。朝が“知りたくさえなかった”というのはこのような意味ではないかと考える。
 それは世界全体への拒否と、わたしだけが一人であるという感覚、自分は世界からつまはじきにされている感覚のようなものだ(槙生が13話で自分の高校時代を振り返ったように)。そして、拒否を怒りという形で、強く外に向けて発散していく。

 

朝の変化

 朝は怒りを大きく溜め込んでいる。24話、元の家から持ち帰ってきた朝のマグカップは母親からの誕生日プレゼントであるが、これを割ってしまおうかとも考える。朝は、道を歩きながら、周囲のすべてに対して、ずるい、と思う。このままならない事態のすべての要因は、
(全部 全部 おかあさんが勝手に死んだからじゃん)
と思う。そしてタイミング悪く槙生が仕事に集中し始めて、部屋に閉じこもって出て来ず、朝は二日連続で高校をさぼる。
 それが発覚したのはえみりから槙生へのLINEだった。槙生は笠町や塔野に助力を頼み、朝を探しに出かける。その車中で槙生は言いだす。
「…受け入れる準備ができはじめたのかな」
何が、と聞かれて、槙生は「両親が亡くなったこと」と答える。笠町は
「何を感じてどう行動すればいいか まだわからないのかもな」
と推測している。
 果たして朝は見つかって、車で家へと運ばれる。25話、車中で朝は「日記を隠していたこと」を怒っているが、それは大した問題ではない。槙生は理由を冷静に説明することができる。家で、改めて話し合うことになり、朝は思っていることをそのまま言う。
「こんなん…… …読んだって ………お母さんがほんとは何考えてたかなんてわかんないじゃん」
槙生は、一旦間をとってから、スタンスとしては17話と同じことを先ず言う。槙生が母親の代弁者となれば気が晴れるか知らないけど、それはできない。そして、
「わからない以上 決めつけてはいけない と思うし亡くなった人は 弁明すらできない」
それから、槙生としては異例なことに、“憶測”を言う。おそらくは朝のために。
「…あなたのありようを見ていると あなたは愛されて育ったのだろうなと わたしは思う もしそうなら 姉も幸福だったんじゃないかと…… …まあ そうだったらいい ……わたしは そう思うよ」
槙生の憶測は、朝の耳へは、うまく入らない。

 朝は槙生に問う。
「…大事な人 死んだことある?」
「ない ないけど とても悲しいことはあった けどそれを誰かと共有するつもりはない」
「は? なんで? さみしいじゃん」
「さみしくない …わたしはね (中略) 誰も 絶対に わたしと同じようには悲しくないのだから 誰にも分かち合わない」
「全然わかんない」
このやり取りの間に、朝の回想する槙生の言葉が差し込まれる。
“「あなたの感じ方はあなただけのもので 誰にも責める権利はない」”
何度も出てきた、2話での槙生の言葉だ。怒りをもにじませて槙生と話をしている最中に、心の中では槙生の言葉を思い出す。発言は「全然わかんない」だが、同時に、“あなただけのもの”とはつまり“その人だけのもの”であって、だからこそ槙生は分かち合わないのだと、そのことも知ってしまう。言葉を文字通りにとれば、感じ方はその人のものだから、そもそも分かち合うことなどはできないのだ。
 槙生から、“書き残すものは、大きな気持ちでないと残せない”と言われ、朝は自分から言う。
「なにそれ 槙生ちゃんの小説も?」
槙生は「…そうかもね」と言い残して買い物へと去る。 

 夜になって、布団の上、暗いのでスマホのライトを頼りにして、朝は槙生の小説を読む。ファンタジー小説である。主人公は、かけがえのない存在だった竜を亡くして、ただ浜辺の砂浜を歩いている。小説の地の文にある描写は。
―――悲しみは果てのない長い長い浜辺を歩くようなものだった。
主人公はただ歩き、砂が足の指に入り、海水が足首を濡らす。悲しみと、それからないまぜになったいくつもの感情がおさまらず、ただ歩き続けるしかない。
 朝は思う。
“なぜ誰もなくしたことがないのに こんなものを書くのだろう”
朝は涙を流し、涙は嗚咽となり、声を上げて泣く。その声に槙生が駆けつける。朝は
「おとうさんとおかあさん… 死んじゃった……」
と槙生に話す。槙生は「そうだね」とだけ言い、朝の肩を抱く。

  何を感じて。朝は何を感じただろうか。言葉にして、両親が死んでしまったことを、話すことができた。そしてそのことで涙を流すことができた。これまで、両親の死について、朝は一回たりとも涙を流したことが無かったのだ。2話、葬儀で朝は泣いているが、これは“こんなことで人生が壊れるんだと思って 泣いた”のであり、7-8話や12-13話での涙も全て自分のための涙である。後悔や寂しさは自分のことだ。
 悲しみ、こそ、朝の心のぐらぐらと揺れる部分につけるべき名前だったのだ。
 悲しみというワードは4話以来の登場で、それこそ、大切な人を亡くしたことは悲しみなんだということ、それは、朝が感じることと他人の感じることは同じではないが、共通して「悲しみ」という名前があるんだということ、他人もまた「悲しみ」がどういうことかを知っているんだと、朝は小説を読んで知ることになった。
 でもその悲しみは一人一人で違う。
 誰も悲しみを分かち合う相手はいないし、その意味で孤独である。そして悲しみはただそこにあって、それをどうこうする手段もない。なにもできない。それは絶望だ。そういうことがあるんだ。と、小説は教えてくれる。槙生の書いた小説だ。槙生も、悲しみのことを知っている。悲しみとはどういう気持ちなのかを知っているのだ。
 知ってるくせに・・・と朝は思う。そして悲しみは全身にまわり、大きく声を上げて泣くしかない。

 

槙生の教え

 ということで、どうなったか。

・槙生は、最初からずっと同じことを言っていた
・槙生は、朝のエクストリームな状況(感情が堰を切っている)でも態度が変わらない、感情を分かち合うことはせず、同情や共感に基づいた言葉は掛けない。

・朝は、他人(母親も他人)の言葉や気持ちは他人のものなのでそれに疑義を挟んだとて何も外から動かすことはできないと知った
・朝は、自分の感情は自分だけの管理下なので、他人からのケアを要求しても助けはこないことを知った
・朝は、自分の気持ちを知った(感情に「悲しみ」という名前がつけられた)
・朝は、「悲しみ」という感情は、自分だけのものではなくて一般に存在していて、槙生も「悲しみ」について知っていることを知った

 逆説的ではあるが、槙生は、朝に、何も教えてはいない。命じていないし、感じ方を誘導してもいない。
 何をしたかというと、槙生自身がこのように考えている、ということを朝に対して説明している。朝からの質問には、嘘をつかず、正直に話す。朝が決めるべきことは答えを言わず、それは朝が決めることだと言う。
 つまり槙生は、メタメッセージとして、感じて考えて行動することの領分がどこからどこまでに及ぶのかを伝えている。槙生の思考と行動を見て、朝は影響を受けるのだが、決して強制も指示もしていない故、それは朝が自発的にそうしていることになる。

  朝は作品の序盤から、突然の両親の死というハードな運命に見舞われて、しかし、能力の欠乏がある。自分の感情を自覚する力、他人と自分とを峻別する認識の力、選択と決断を自分だけで行う力。それから、両親の死についてリアリティをもって受容する力。
 槙生は最初から、事態について対応するスタイルが決定しているので、結論を朝に伝えている。結論だけを聞いても、朝にはそれは何を意味しているのか、わからない。また、槙生が結論に至る段階を説明しても、論理の構成が朝にはなじみのないもので、わからない。用語さえもよく理解できない。朝は、自分が理解できないものは「ヘン」なものとして認識を処理している。
 だがそんな朝とて、自分になにかが欠けていて、そのために、事態との間で齟齬が生まれていることは自覚している。だから、使えそうな道具は、手に触ったものから先に、選択の余地などなく、使ってみるしかないのである。緊急事態。そういう時こそ「学習」は進む。乾いた土地ほどよく水を吸う。果たして、反発しながらも、朝は槙生の言葉をよく覚えている。そして繰り返し、自分の脳裏によみがえらせる。朝にとって、感情は自分のものだとか、他人とは別の人間のことだか、そういう言葉を言うような者は、これまで誰も近くにはいなかったし、本を読んで他人の言葉を自分の心に刻み込むような習慣もなかった。新奇性のある言葉は、何回もそれを思い浮かべて、現実の様相に当てはめて、意味としてどういう結果を導くのか、検証しないといけない。
 言葉の意味の運用。朝にとって、槙生の告げた「(感情は)誰にも責める権利はない」いう言葉は、はじめは“葬式で悲しくないのはヘンだと思ったけど、槙生ちゃんがヘンじゃないというなら、安心できる”という意味で捉えられていた(4話)。朝にとっては、ヘンかどうかだけが判断基準だった。それは母親が「ヘンかどうかを決めてあげる」という価値基準の提示をしていたからに他ならない。方法と判定をそれしか知らなかったのだ。
 しかし槙生の言うことは、実際には、感情は個々人のものであるから、独立して存在するという意味内容を持っている。さみしさの解決を他人が行うことはできないし、悲しみもまた同様だ。孤独、という言葉を4話で告げられた朝は、その真の姿は全く理解していなかったが、25話では、孤独とは、自分の感情の面倒をみる者は自分しかいないということが実質的に告げられてしまう。厳しくつらい実態だ。
 だがそれを何か別の言葉でごまかすことは欺瞞と言える。槙生は、態度を全く変えないことで、かえって誠実さを発揮する。槙生は「(両親が)死んじゃった……」と言う朝へ「そうだね」とだけ言う。気持ちがわかる、なんてことは絶対に言わない。
 現実は何をもってしてもそこから変わらないし、母親は実際には多面性をもった一人の人間だったし、自分の感情は誰も救ってくれはしない。槙生の態度が変わらないからこそ、本当のこととして、ありのままの現実が、そしてその剥き出しの質感が、朝に受け入れを迫る。死者の書き残した言葉だってそのまま受け入れるしかないし、愛してますと書いてあれば愛していたのだろう。そして死んでしまった者は死んでしまったのだ。朝が拒否したい気分をもっていたとしても、現実のリアリティはそんな気分を許しはしない。甘えも拗ねも許容しない。朝はただ悲しい。悲しみが自分の中にあり、小説の中の主人公と同じような、なにもできない感覚もまた自分の中にあるんだと、知る。

 

知るだけで大丈夫だけど

 そして、そこからまた日常は繰り返され、生活は継続していく。26話以降も作品は続く。
 朝は槙生について、気持ちを理解などはしていないし、気持ちを互いにわかり合った感覚などは持っていない。ただ、「全然わかんない」と大声で言った割には、槙生のスタイルについては肯定も否定もしていない。朝は、槙生という人間を、そのまま、同居する人として、咎めることも褒めることもしないまま、生活を共にする。この人にはこの人なりのオリジナルな活動がある、それは独特のもので、他の大人のそれとはちょっと違うようだ。朝は、槙生という人間がそのようなものであることを、知った、知った上で生活をする。
 それから、実里の書いた、朝へ贈られた日記も、朝は少しずつ読んでいく。大部のため一気には読めないが。読むうちに、朝は母親が思考してメッセージを送信していることを、特に大きい反発をするわけではなく、受け止めるようになる。こういうことを考えていたのだ、と知ることになる。これも、理解が深まるとかそういうことではなく、事実としてそのような考えがあったのだと知るだけのことだ。
 知るだけでも、全然大丈夫で、理解とか、気持ちが通じるとか、そんなことは無くても生活は成り立つし、メッセージを受け取ることはできるのだ。

  ただし、他人が他人としてそう考えていることを知る、というのは「知った上でそれに文句をつけない」という義務が付加されている。それこそ繰り返し語られる「誰にも責める権利はない」ということは、あらゆる感情や信条は他人から尊重されるということを意味している。思い込みや偏見で、他人の思いを決めつけること、価値を押し付けることなどは許されない。それは暴力だ。
 とはいえ、予め教えられていない内に、気づかない内に偏見が植え付けられて、本人がそれを偏見と思わないままに偏見を垂れ流していることはある。ここが問題で、本人は「悪気はない」のだが、だからといって免責されるものではない。暴力であることは事実で動かない。
 槙生の一貫した態度は、読者にも、事実は動かせないことを教えてくれる。

  一つだけ、26話以降で、朝が最も変わったところを見てみたい。
 背景をかなり省略するが、朝の友人であるえみりは、女子同士で交際していて、えみりはそのことを朝に(迷った末に)言う。朝は、聞いて戸惑いを覚えるが、えみりから指摘されて、自分に偏見があったことを自覚する。そして自ら言う。
「……ごめん えみりが何で傷つくかは…… …えみりが決めるんだ …あたしじゃなくて」(37話)
 それこそ過去の朝はこうである。19話。槙生は、その時、朝から掃除や片付けができないことを「なんでこんなこともできないの」と言われ、傷ついていた。そして朝から「だからってこんなことで傷つく方がおかしくない?」と言われ、「わたしが何に傷つくかはわたしが決めることだ あなたが断ずることじゃない!」と返している。朝は全くピンときていないが。
 自分と他人は違う存在だ、そして感情はその人だけのものだ。そのことを聞いて経験して、最終的に自分の思考として使えるようになるまで、時間は掛かる。でも人は学習することができる。

  そんな経験を重ねていって、1話で描かれたような、違う同士の和やかな共同生活に行きつくのだ。トラブルを避け、そのために言いたいことは言い、関係性に名前をつけず、無用な緊張も遠慮もなく、過ごしていける。そこに気持ちをわかり合うことが無かったとしても、問題はまるで無い。互いに尊重さえできれば。

その尊重こそが、とても難しいのかもしれないけれども。

 

 

小感想

 連載中のこの作品は毎月読むのが楽しみで、ますます朝は成長し、悩み、槙生は槙生で今まで言わなかったようなことも少し開示するようにもなっていて、人間は互いに影響を与えあっているのだなあと思う。マンガを読む楽しみは、そこにいる人間たちの姿が、どこか部分的にでも、自分にも似たところがあるなあと思い、こういうシチュエーションだったら自分はどうするかなあ、と、違う世界を想うこと、だと思う。それだけで十分楽しいし、なんなら自分のことを全く考えなくても世界内存在としてキャラクターがあたふたするのを見物することは観客として楽しい。混乱したり喜んだり悲しんだりしているのを観たいのだ。

 (終わり)

  

引用元:『違国日記』 ヤマシタトモコ著 祥伝社(FEEL COMICS swing)
1巻(2017)から8巻(2021)まで既刊。9巻は2022年4月刊行予定。

 

参考文献リスト:

ユリイカ 2012年12月号 特集 BL ボーイズラブ オン・ザ・ラン!
 インタビュー 恋愛を超える絆を求めて  ヤマシタ トモコ,横井 周子

現代思想 2020年3月臨時増刊号 総特集 フェミニズムの現在
 私たちを締め出さない物語  ヤマシタ トモコ,岩川 ありさ

『BLの教科書』堀あきこ, 守如子編 有斐閣 2020
『批評について 芸術批評の哲学』ノエル・キャロル 勁草書房 2017
『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』北村紗衣 筑摩書房 2021
『独学大全』読書猿 プレジデント社 2019

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