「ごめんなさい」が通じる関係性

精神障害のある方を対象とした就活の支援をする仕事をしていたときに感じたことです。

言葉の捉え方が違い、不意に傷つけてしまうことがありますよね。
ぼくの場合、一度に10名ほどの仲間(利用者さん)の前で講義をすることもあったので、10名全員を傷つけない言葉を選ぶ努力はしましたが、きっと傷ついた方もおられたと思います。

福祉支援界隈では「傾聴」が大切だと言われています。それは間違っていないとは思いますが、中には「議論」や「助言」を求める方もおられます。
そうなると余計にぼくは「言葉使い・言葉選び」には慎重になります。
ぼくは当時よく「絶句」することがありました。
言葉一つが命にかかわることもあるからです。

その経験で学んだことは、対話をする前には「嫌だと思う表現があったら指摘してください。もし直接言いにくければ家族や他のスタッフにでもかまいません」という仕組みがちゃんと機能する連携を先に作っておくことと、そうなった場合には「ごめんなさい」が聞き入れてもらえる関係性をつくっておくことでした。

その関係性は、支援者側の価値観で決定された予定調和的な面談を重ねていても築くことはできませんでした。
むしろ、批判でも妄想でも夢のような話でもどんなことでも、ニュートラルな姿勢で聞くとうまくできた気がします。

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