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#68 秋の瞑想

昨夜は、大好評いただいているSanthoshaの定例瞑想イベントの日でした。簡単に、解説をさせていただきます。

昨日は、チャンティングメディテーションの応用のグループメディテーションをしました。瞑想では、チャンティング(読経)は、思考を一時的にストップさせるテクニックとしてよく用いられます。思考が浮かび上がってくるタイミングで、チャンティングをしたり。または、ずっと連続的にチャンティングをして一定期間、考え事に集中できない状態を作って思考が湧き出ない状態を作ります。

前回までのSanthoshaでも、いくつかのチャンティングメディテーションのテクニックをご紹介しましたが、昨日のは、その応用編になります。

グループで手を繋いで輪になってチャンティングしたのですが、途中、一人一人、輪の中に入って、他の方が唱えるOMの読経のバイブレーションを全身で感じながら、短い時間、一人で瞑想をします。

私が、インドでこの瞑想を初めて習った時は、OMという音自体に、ものすごいパワーがあって、その音を浴びるだけで魂が浄化されて、神様に近づける。それが、大勢の人が唱えるマントラのど真ん中にいて、四方八方から浄化されながら瞑想して神様と最短でつながる事ができる、とてもパワフルでスピリチュアルな瞑想だ。というような説明を受けたのですが、まぁ、ひねくれものの私は、けっ。と思ったわけですよ。音に包まれるだけで、神様と繋がるなんて!イヤフォンで音楽を爆音で聞くのと同じでしょ?詐欺だ!と。

ただ、実際、体験してみると、魂が浄化されたかどうか、神様に近づいたかどうかは別として、輪の真ん中に入って、皆の唱えるOMの音を360度色んな角度から浴びた時、全身が震えたのを覚えています。

音楽をイヤフォンで爆音で聞いたり。コンサートに行って、耳がおかしくなるくらい大きな音を聞いたりするのとは、また、全然違う、あれは、何なんでしょうね?

仏教でも似たような修行があります。12時間だったかな?6時間だったかな?大勢で集まって、ずっと読経するというもの。あまりにパワフルで激しい修行すぎて、途中で気を失う人もいるそうです。多分、音の響く教会で、讃美歌やオルガンを聞くのも、もしかしたら、ルーツは同じなんじゃないかな、と思っています。

瞑想の観点でいうと、これは、音をリサイクルしたとてもエコな瞑想方法なんです。皆が、OMチャンティングで自分の頭の中を休ませる。その時に出るCO2ならぬ、OMの音をOne by Oneで輪の真ん中で全身で浴びて、そこではサイレントな瞑想を深める。

皆の体力の問題もあるので長時間はできませんが、私は、昨夜も、真ん中にいるときに、本当に気持ちよくて。ずっと、そこから出ていきたくなくて。でも、ずっと、この音を独り占めしたら、皆、OMチャンティング、喉も痛いし、体力的にも大変だから、可哀そうだな・・・。と、嫌々、輪の外に出て席に戻りました。

私は、2番目だったので、皆のチャンティングがすごくエネルギッシュな時で、本当に気持ちよかったのですが。段々、皆、疲れてきて、チャンティングが小さくなってきていたので、もう、ここは、ヨガ屋として、皆さんに最高の経験をしてほしい一心で後半は、ずっと、一生懸命、大きな声でずっとチャンティングに集中しました。昨日のセッションをリードしたアレンは、私の横にいたのですが、「僕、途中で疲れてきて、Takakoが大声で頑張ってるから、Takako、頑張れ!って思って、途中で休憩してたよ。」って、相変わらず、無邪気にあっけらかんと言っていました。www

皆と手をつなぐのは、先生から出るエネルギーを皆で手をつないで受け渡していく事でエネルギーを増幅させる。というような目的らしいのですが、正直、エネルギーを受け取って、隣の人に受け渡しているかどうかは、私はわかりません。何よりも、途中、皆、輪の中に行くから、自動的に、エネルギーが途切れるわけですよ。論理的に成立しない。と、屁理屈を考える私なのですが。でも、ただ、なんか、手をつないで、一緒にマントラを唱えて、あの身体が震えるような経験をシェアした事で、あの場が、少し優しくて愛のある温かい場所になった気がします。実際、隣にいた人が、前よりも親しく感じる気がするのは、私だけでしょうか…?

ずっと音に包まれている時間のあと、横になった時。世界がいつもより静かになったのを感じましたか?いつもは気付かない位小さな街の雑音も気付く位に、自分の中がしんっとしていたのではないでしょうか?

それが、静けさです。

頭の中に雑念がたくさんあって、色んな事に全神経が使われている時は、それが頭の中の雑音となり、小さな事に気付けなくなります。

一旦、頭の中がクリアになって、自分の中に静けさが戻ってきたとき。普段は気付かないような小さな事まで、見たり聞いたりできるようになります。

これが瞑想で得られる静けさですね。本当、なかなか手に入らないのに、ちょっとした事で、ぱちんっとはじけ消えちゃうから、残念ですよね。

本来、雑念、雑音は、我々にとってはストレスの他、何者でもないはずなのです。なのに、我々は、常に何かを考え、何かを見て、何かを聞いて、マインドを休ませることをしないですよね。本当は、一人ぼっちで、何の音もないところで、何も見たり聞いたり話したりしない事は、とても気持ちいい事のはずなのに。静けさの快感に慣れていないと、人と話したり、音楽を聞いたり、本を読んだり、パソコンをしたり。現代人は、静けさに慣れていなくて、怖いみたいです。

静けさの中の優しい快感を長く堪能するには、練習あるのみ。です。

次回の瞑想の会は、12月16日を予定しています。私が、前から、Santhoshaの皆さんと一緒にやってみたかった瞑想があって。今から、どうやって、皆さんにご紹介するかを議論しています。

どうぞお楽しみに!

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