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#80 戦いの集中力

私がヨガにハマったのは、お腹の奥底から湧き出てくるような幸福感にびっくりして、こんな穏やかで幸せで優しい気持ちに溢れた時間をもっと人生に増やしたい。と思ったのがきっかけでした。

私にとってヨガストラが教えてくれるヨガと瞑想が連れて行ってくれた先は、とにかく優しくて穏やかで執着がなくてストレスを感じない究極の場所でした。この状態を私の日常にしたくて、仕事も辞めて、色んなものを処分して、ヨガ一色の生活を始めたのですが。

結果、あんまり私には居心地の良い場所ではありませんでした。

ヨガでは、全ては対比だとよく言われます。例えば、ストレスがある状態があるから、穏やかな状態を認識できる。例えば、苦しい事があるから、全てが順調な状態を認識できる。それは、すべて比較対象によって認識できる事で、ここから先は不幸で、ここから先は幸せ。ここから先はストレスで、ここから先はストレスがない状態。というような絶対値があって、線引きされているものではないと考えます。

なので、ずっと穏やかで優しい時間が続くと、段々それに麻痺してきて、感謝が薄れてくるんですね。その時間にも、やっぱり不満は出てくるものなんだという事が本当にわかりました。

また、穏やかで幸せな気持ちが続いている時って、周りが恵まれていてヨガをしているような常に穏やかな人が集まる環境にいるといいのですが、世の中には阿鼻地獄に住んでいて他人を攻撃してくる人もたくさんいるわけで、そういう攻撃をかわせない位に弱ってしまうことに気づいたんですね。

常に戦闘モードなのも悲しい人生だとは思いますが、人生は自分でコントロールできない色んな人の色んな思惑の中で複雑に絡まり合ってできたカルマ(集団の行動の結果)に巻き込まれる事も多々あるわけです。その時に正しく戦える状態にないのは、このモダン社会を生きる上ではリスクが高すぎる生き方だなーと思い始めました。

その時に、マハーバラタに出会ったんです。大きな戦争の中で、肉親・兄弟・師匠・友人・愛する人、色んな近しい関係にある人達が、それぞれの都合で、本気で生死をかけて戦う大きな大きな戦争の話です。

その中で、クリシュナという神様が、戦争に躊躇するアルジュナに物語を語るのですが、マハバラータのその部分が抜粋されて、バグバタギータと呼ばれる本になっていて、ヒンドゥー教の聖典とされています。また、このバグバタギータは、究極のヨガの教科書とも言われていて、パッタンジャリのヨガストラと同列でヨガの経典の一つとして認識されています。

私もまだまだ勉強中ですが、ヨガストラが、どのように究極のリラクゼーションを手に入れてストレスなく生きるか。を教えてくれるのに対して、ギータはどのように物事の優先順位を考え、善悪・罪悪感・先入観・勝手な期待に心惑わされずに、感情を一定に保ったままで、ストレスを感じる事なく、生まれ持った使命(ダルマ)を遂行できるか。を教えてくれる指南書だと理解しています。

今の私にはこちらの本がとてもハマったのです。

私は、今、インド人の集まる環境で会社員の仕事もしていますが、日常生活で、ヨガをして、瞑想して、ストレスなく、他人を気にせず、自分の好きな事だけをして生きていく。という事と、社会の一員として使命がある生き方をするということのバランスの難しさがよく話題にあがります。

多分、日本みたいに成熟した文化・国・経済状況で、かつ、集合体の単位が非常に小さいコミュニティーに生きている場合は、社会の一員としての使命や任務があるという感覚が限りなく小さいと思いますが、例えば、第二次世界大戦中の特攻隊の少年達、村の青年団の役割、例えば手が負えないくらいに荒れた子供を持つ親としての任務など、どこに身を置くかで、社会から割り当てられた任務から逃げられない状況ってあると思うんです。

その時に、何を最優先に考え、何を大切にして、目の前の現実に対して瞬間瞬間どの行動を選択するのか。その時に最善の選択をするためには、どういう肉体・精神状態で常にいなければならなければならないか。

これもヨガ哲学の一つなんですね。

ヨガの究極は、悩み多いリンカネーションのサイクルを終わらせる事。皆、同じ人生を歩むわけではなく、生まれ落ちた環境、育つ環境、出会う人、色んな要素によって、考え方、人間としての成熟度、世界を認識する深さ、心の広さなど、受け皿としての容量がバラバラですから、この世の仕組みを理解するために、先人達があの手この手、様々な方法を紹介してくれています。

そのどれか一つを極めて、この世と人生を見極めるのもよし。色々と混ぜ合わせて、包括的に学ぶもよし。これが唯一のヨガ。という一つだけに絞った方法論というのはありません。

戦闘のない人生を歩めるのが一番いいですけどね。そのために、どういうコミュニティーや環境に身を置くのかというのは予防策としてとても大切ですが。それでも、巻き込まれる事は絶対にありますから。その時に、どう振る舞うか。私は、戦う時の意識と力の集中の仕方を学んで、とても大きな人生の気付きになりました。

ヨガは頭がお花畑になるだけじゃないんですね。正しく、強く、人としての愛を持った戦い方をして、後悔を吹っ切って心軽やかに生き続ける方法も、具体的に教えてくれているんです。

ずっと戦闘モードだった私は、パッタンジャリに頭をお花畑にする方法を教えてもらい。お花畑だった頭の私は、クリシュナに、究極の戦い方を教えてもらいました。

Life is all about Balance。

戦闘モードがあるからお花畑に行く方法で均衡状態を目指し、お花畑があるから戦闘に備えられる。その両方があるのが人生で、どちらか一つしかない人生は、いつか均衡が崩れて、もう片方が必要になる時が来るんだと。どちらの状態も、頭の中に、何も思考がないクリアで均衡した状態。バランスが崩れた時にどう頭の中を整理して均衡状態に戻すか。

それを具体的に実践的な方法を教えてくれるもの。それが、今の私のヨガ哲学の見方です。


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