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#85 感情がすべて

この世の全ての事の発端というのは、例外なく人の感情だ。というのがインド神話で繰り返し言われる事です。

だから、常にHealthyで良い感情を保って事の初めに正しい判断をする事も大事。また、事が起こった後も、常に冷静でHealthyな感情を持って、一つ一つの物事を丁寧に判断して取り扱っていく事も大事。

だから、いつも感情や思考(Mind)を健康に保つってすっごく大事だっていう話なんです。

世紀の大戦争と言われる戦争も、最初はちょっとした人のやっかみ、嫉妬からどんどん確執が大きくなって、色んな人を巻き込んで、5000年間も語り継がれるような大きな戦争になったんですね。

私がビジネスで色々とお世話になっているメンターの皆さんからも、要は最終的には人と人だから。感情が全て。というアドバイスをよくもらいます。争いごとは、水モノだと言われていて、そこに勝利のフォーミュラとかはないんですよね。

だから、常に自分がハッピーでいる事。他人を色眼鏡で見て下手な判断を早くにしすぎない事。常にポジティブで健康的な思いやりの思考を持って人と接する事。それが大事だというメッセージが、ありとあらゆるところに散りばめられています。

そして、それをするための秘技が、ヨガなんですね。

私のマイソールのグルジが言っていた、ヨガとは、優しくいる事って言ってたのが、ここにもつながってるなーって思うんです。

なんか、日本でヨガを勉強するのと、ニュアンスが大きく違いませんか?笑

私は、8年かかりました。ここに辿り着くのに。

日本でヨガを勉強しても、本を読んでも、よくわからなかったのが、インドに飛んで、インドで本物の深い瞑想から得る多幸感を実体験して、それから、色んな学校でインド人と一緒にヨガを勉強して、それだけでは飽き足らず、ヨガを専門としているインド人を日本に連れてきて、どっぷりヨガの話を毎日して、ライフスタイルを疑似体験し、それだけでは飽き足らず、インドの会社に入って、濃すぎるインドコミュニティーに身をおいて、モダン社会に生きる世界中に散らばるインド人と、とにかくヨガや神話の話をして、少しずつ、こういう事かー。と、ようやくヨガの森の全体像がうっすら見えた気がします。

これは、私にとって、本当に本当に大きな学びの8年だったし、本当に本当に人生で素晴らしい知恵(の入り口)を見せてもらったと思っていて、ここまで一人で手探りでこられた事を少し誇りに思っています。この前ね、私にヨガをガイドしてくれる超スピリチュアルなブランマ(僧侶の家系)のインド人に、Finally you got a point!って褒められたの。インド人でも、この理解に追いついていない人がほとんどの中、よくここまで、たどり着けたね。って。(超絶自己満足と自慢!)

今は、リシケシの大学ともご縁をいただいて、聞きたい事は、なんでも教えてくださる教授方もSanthoshaを全面的にサポートしてくださるし、今後は私の苦手な、「深める」作業に入っていくのかなー。と思っています。そのブランマのインド人にも、まだまだ深いよー。スタート地点に立っただけだよーって言われています。笑

ヨガのもとになるインド神話は、この世の真理だと信じてるんだけど、そこから派生したヨガになると、神様と繋がる事が頻繁に出てきて、なかなか宗教色が強くなるのが、不思議だから、次はそこら辺を解明したいですよね。真理が、どこでいつから、何の目的を持って宗教につながっていったか。

個人的には、この世の真理を語る部分と、神様と繋がるくだりは切り分けておきたいのですが、ま、私だけの物語でもないし。それに、なんと言っても、それでも、やっぱり私はヨガの世界観が大好きです。

本当に、素晴らしく理論的で科学的に、得体の知れない掴みどころのないマインドをコントロールする究極のメソッドだと思うし、また、私が知る限りで、どんな文化のどんな人もが探し求めている幸せの究極の解だと思うし、本当に、自然界の法則を何の矛盾もなくとても上手に説明できていると思ったし、臭い物に何も蓋をせずに、全てを善悪つけずにニュートラルにそのまま受け入れているところも、まやかしの期待を抱かせないドライなところも、偽善がなくて、全て、私、超好み。

でもね。辛い状況にいる時に、この世で起こる事は、無数の生き物や自然のカルマ(行動の結果)が複雑に絡み合った瞬間に過ぎず、目の前の出来事には良いも悪いもなく、そこに誰の意図も、神様の意思すらもない。それに善悪や幸せか悲しいかなどの感情をつけるのは、その人の内側の問題であるから、それをコントロールするのが、別の言葉でいうと、好きに解釈して信じ込むのが幸せに生きる唯一の術。みたいな、本当にしごくまともで、理論的な事を言われるとね。

寂しくて涙が出るんですよねーーーーー。笑

辛い時はさ、君は正しいよって味方して欲しいし。悲しい気持ちは慰めてほしいし。誰かが助けてくれるとか、神様が用意してくれたいい方向に向かっていると信じたいし。

それも、自分の中でどういう思考や感情を当てはめるかは自分次第って言われると、そうですかって、好きなハッピーになる解釈をあてはめて、そう信じ込んだらいいだけの話なんですけれど、いや、そうじゃないんですーって。

疲れたーって言った時に、しごく淡々と解決策を提案する彼氏みたい。ちがうの、慰めてほしいだけなの。甘えたいだけなの。

きっとね、この壮大な理論を考えた人は、クールで青白い顔の、スーパー頭の良い、冷酷でロジカルで、EQの低い、とっても素敵な紳士だと思うのです。

ま、発祥の地、インドでそんな素敵な男性がいたのかどうかは謎ですが。

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