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芝・三田探訪(東京都港区) 2023年1月

以前歩いた高輪の続きで、芝・三田の古代と中世を感じようと歩いてみた。スリバチ散歩の真似事も少々。


浜松町駅前から増上寺を望む。
増上寺の前に芝大神宮に立ち寄る。

芝大神宮

日本歴史地名体系によると、芝大神宮は1005年の創建。源頼朝による宝剣奉納、足利直義による戦勝祈願。慶長年間に現在地に移転する前には、飯倉に存在。伊勢新九郎(北条早雲)に神領を奪われて以来廃れていた社殿は江戸時代に入って幕府によって造営。

国史大辞典にも芝大神宮の項目。芝大神宮は伊勢神宮の飯倉御厨に創祀された神明社との推定。中世の荘園を感じさせる存在でもあった。飯倉の地名は現在も各所に残る。ネットで見られる「図説 港区の歴史」にも飯倉御厨の項目。芝大神宮も登場。

増上寺

芝大門をくぐる。

芝増上寺。江戸時代に徳川家との関係が深い寺院であることは有名だが、歴史はさらにさかのぼり、江戸貝塚(千代田区紀尾井町)の地で1393年に開山と解説板。1598年に現在地に移転。江戸時代は関東十八壇林の筆頭。

日本歴史地名大系には詳しい記述。開山した酉誉聖聡は千葉氏胤の次男。室町時代には千葉氏の外護を背景に、地位を確立。

芝丸山古墳

芝増上寺の裏手、芝公園の奥には芝丸山古墳。

「海の日本史 江戸湾」によると、古代から天然の良港として利用されていたと考えられる日比谷入江が存在。それを見渡せる台地の上に立地するのが芝丸山古墳。古代港湾のランドマークとして築かれたかもしれないと本書は推定。カシミールスーパー地形で眺めると見事な台地先っちょ古墳。

画像でははっきりしないが芝公園からは芝丸山古墳がそびえたつ感じ。解説板によると5世紀代の築造と推定。

台地に上がって前方後円墳をパノラマ撮影。

芝丸山古墳の頂には伊能忠敬をたたえる碑。伊能忠敬の測量の原点がこの近くだったことにちなむと「歩いて知った麻布ガイド」 

芝丸山古墳からの眺め。現在は木が茂って見通しはあまりきかないが、伊能忠敬の時代は遠くまで見通せたかもしれない。

芝丸山古墳の麓は丸山貝塚と解説板が建つ。土を眺めてみると確かに貝殻らしき破片。https://adeac.jp/minato-city/text-list/d100010/ht100290

飯倉熊野神社

芝丸山古墳の西の国道一号線。現在の住所表記は東麻布だが、周辺には飯倉の地名が付いた保育園や公園もあり、飯倉御厨に思いを馳せる。ゆるく登る国道1号線を歩いていると、国道わきに飯倉熊野神社が鎮座。

飯倉熊野神社は詳細不明ながら、養老年間(717-724)には芝浦の海辺に鎮座と伝わると由緒書き。南北朝時代に現在地に遷座。太田道灌により再建されるも戦火により焼失。江戸時代には多くの武士の参詣でにぎわったようだ。

飯倉熊野神社境内には恵比寿太田稲荷社も鎮座。太田道灌の守護神と由緒書き。道灌は鯛を奉納したという。それをまねて、後世の人々は土器製の鯛を奉納。一帯には土器職人が多かったためだという。神社前の坂の名も土器(かわらけ)坂という名。

飯倉熊野神社前の土器坂(国道1号線)を登ると、鞍部のような地形の位置に大きな交差点。その名も飯倉。飯倉御厨に思いを馳せる。

西久保八幡神社

飯倉の交差点を下った先にあるのが西久保八幡神社。

参道の階段を上った先の神社の風景は、想像を超える非現実感。

未来都市の神社という感じの西久保八幡神社の風景だが、神社は11世紀に源頼信による創建と伝わり、歴史は古い。創建当時は霞が関にあったようだが、太田道灌により15世紀に現在地に遷座との伝承があるようだ。西久保神社のWEBサイト

我善坊谷

西久保八幡神社に続いて訪ねたのはスリバチ散歩の聖地の一つと言ってよさそうな我善坊谷。とはいえ、現在再開発中でかつての姿は失われている。

日本歴史地名体系には「麻布我善坊町」の項目あり。がぜぼ谷、龕前房谷、龕前堂谷、がぜんぼ谷、がぜんぼふ谷と古い地名も様々。

今昔マップで眺める我善坊谷の変遷。現在は森ビルによる再開発が行われ、ゆくゆくは麻布台ヒルズになるらしい。  

麻布狸穴町

我善坊谷の周りをぐるりと歩いていたら、狸穴坂という味わい深い名の坂を見つけたので下ってみる。

狸穴坂を下った先は、こちらも見事なスリバチ地形。谷の中は麻布狸穴町という味わい深い住所表記の地域で昭和以降の旧町名消滅の中も生き残ってきた住所表記のようだ。 

麻布狸穴町の谷の中は住宅街。谷から見上げる空には再開発で林立する高層ビル。

元神明宮

古川がつくった低地を南に越えて、再び台地に上がると元神明宮(天祖神社)。神社のWEBページによると1005年創建とあり、芝大神宮と一致。江戸時代に氏子の尽力で当地にご神体を残したともあるので、芝大神宮の旧鎮座地ということか?

元神明宮(天祖神社)。神明坂の途中に鎮座。社殿は現代的だが、境内を支える石垣は味わい深い。

弘法寺

神明坂を登り、台地を越えると再び国道1号線へ。

国道1号線から参道が伸びる弘法寺。遠目に撮影しただけで済ましてしまったが、WEBサイトによると816年創建の歴史ある寺院。明治時代に現在地に遷座。 

三田春日神社

国道1号線をさらに南下すると三田春日神社。

神社WEBサイトによると958年に創建。16世紀に現在地に遷座。それまでは目黒の三田にあったらしい。

長くなった芝・三田探訪は慶応大学の建築を眺めて締めくくる。

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