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松ヶ崎城(千葉県柏市) 2018年3月

松ヶ崎城の歴史

千葉県柏市の松ヶ崎城付近は手賀沼の水運と陸上街道が交差する要衝。戦国期より前に方形居館がつくられ、戦国期により防御性の高い城へと発展。戦国期、高城氏が勢力を伸ばす前は匝瑳氏が拠ったと推定。(参考:手賀沼が海だった頃―松ケ崎城と中世の柏北域、東葛の中世城郭)

古くからの水運の発達を伺わせる理由は現地説明板にある香取神宮文書の記述が一つと想像。15世紀初頭に香取神宮で使われる木材が松ヶ崎で切り出されて、船で運ばれたという記述。松ヶ崎城のすぐ西方の高田周辺を領有していたのが匝瑳氏だったという15世紀初頭の香取神宮関連文書もあるようだ。匝瑳氏は鎌倉時代以降、香取神宮の役務や造営料を負担してきた一族。これらをまとめると、松ヶ崎城ー匝瑳氏ー水運ー香取神宮が繋がりそう。小田原北条氏に従属後の匝瑳氏は高田(現在の千葉県柏市)から戸ヶ崎(現在の埼玉県三郷市)に移ったという。(参考:手賀沼をめぐる中世(1)城と水運)

北柏駅から城へと向かう車道から。セブンイレブン裏の台地が松ヶ崎城


城がある台地の南東の登り口。
石段を上がると松ヶ崎湧水。昔は城の水源になっていたのかも。

撮影地点

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松ヶ崎城の遺構


南東の地点Aにある腰曲輪。江戸時代末期から明治時代初期にかけて参拝客でにぎわった不動堂があり、多数の奉納絵馬が飾られていたそうだが、平成8年に焼失(参考:手賀沼が海だった頃)。
不動堂跡には現在は首なしの石仏だけが寂しく残る。
地点Aから眺める切岸。切岸の上には土塁があり、その向こうに本曲輪。
立体写真。
B地点の食い違い虎口を外側から眺める。
立体写真。
地点Bの食い違い虎口を南東側から眺める。
立体写真。


方形土塁の直角折れの地点Dから、物見台方向を眺める。
立体写真。


物見台の上、地点Eから眺める本曲輪の立体視画像。
古墳を利用した物見台を地点Fより眺める。手前にも古墳。
立体写真。
半島状の台地の先端部は展望が開け、水運との関係を説く解説板あり。マンションのあたりは北柏駅。その向こうに手賀沼
カシミールスーパー地形で味わう手賀沼周辺の城分布を再掲。松ヶ崎城は手賀沼最奥部をにらむ立地。

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