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葛西城と葛西新宿(東京都葛飾区) 2023年2月

都内の、しかも都市化の進んだ低地にあった城郭ということで、中世の残像を感じるのは難しいと思いつつも訪ねてみた葛西城(東京都葛飾区)。葛西城は環七の下に眠る。

葛西城

葛西城は洪水の心配がある低地に位置するが、一帯は自然堤防が発達していて、中世どころか、弥生時代にまで遡る遺跡がある地域。「海の日本史 江戸湾」によると、東京低地において弥生時代から集落が発達した御殿山遺跡は葛西城とほぼ同じ青戸地域のようだ。今昔マップで眺める。 

葛西城の上には環七がつくられている。環七建設により、広域に調査が行われて、歴史が明らかになった面もあるのかもしれない。葛飾区史のページによると、一帯は低地で地下水位が高いため、水気の多い土壌に埋もれた遺物の保存状態がよかったらしい。葛飾区史 出土遺物から見る葛西城 :水が守った出土品

今昔マップで眺める葛西城。環七建設前も農地の中に、かなり埋もれてしまっていたのかもしれない。本丸の形はあぜ道でぎりぎり縁どられているかも。

公園内には葛西城復元図。壮大な城の存在を想像させる。その歴史は語りつくせないが、城が発展した背景として、享徳の乱の頃から勢力の境目となったこと、関東平野の河川が集まる低地にあり、交通の要衝となったことが挙げられるだろうか。葛飾区史 関東の戦乱と葛西城

葛西城発展の背景には、小田原北条氏の血を引く足利義氏の御座所となったこともありそうだ。敵対する足利晴氏から古河公方の座を義氏に継がせるまでの間、北条氏勢力内の葛西城に義氏はいたようだ。葛飾区史 関東の戦乱と葛西城 :古河公方と葛西城

葛西城本丸の南の道は明治迅速測図の時代から存在し、堀跡をたどるかもしれないと歩いてみるものの、堀の気配は感じ取れず。

葛西新宿

葛西城と合わせて巡った葛西新宿。中世にまで歴史がさかのぼる宿場。 葛飾区史 中世の葛飾の暮らしと交通 :陸上交通と葛西新宿の整備

葛飾区史によると、北条氏が上杉氏から葛西城を奪取後に整備。1568年の文書に出てくるらしい。小田原から江戸を経由して下総内陸部へと結ぶ北条氏の陸上交通拠点の1つ。明治迅速測図の時代に賑やかそうな街路は現在も残る。

葛西新宿の南西の角のカクっとした感じに萌えるひと時。

葛西新宿の西を流れる中川を眺める。葛西新宿は陸上交通と水運の交点でもあった。北条氏の時代には船橋がかかっていたという。交通の要衝を守っていたのが葛西城か。葛飾区史 中世の葛飾の暮らしと交通 :陸上交通と葛西新宿の整備


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