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振られる前日に見た夢が現実に

ある日、彼女が私の友人と仲良くダンスしている夢を見た。

とても盛り上がっていて、友人は自然にボディータッチもしていて、羨ましかった。そしてとても悔しかった。

私はそんな風に彼女を楽しませることができなかったからだ。

そしてその翌日、彼女と電話をして、別れを告げられた。

その1ヶ月後、別れた彼女やその友人と夜ご飯を食べたのだが、その夢と重なる光景を目の当たりにした。

無力感に打ちひしがれた。
自分もそんな彼女の笑顔が見たかっただけなのに。
笑い方、笑わせ方、楽しみ方、楽しませ方、何もかも分からなくなって、すごく難しいことのように思えてきた。

和気藹々と過ごしている人々を見ると、微笑ましいし、そんな関係が築けていてすごいなと思う。

僅かに歯車が狂っただけな気もする。彼女は12月までは仕事が忙しかったわけで、それは分かっていたけど、3週間に1回しか会えないことを少し不安に感じてしまった。1月からは会う頻度が変わるか確認すれば済んだ話かもしれないのに、それを聞くと気持ち悪いかなと考え、聞けなかった。そのせいで、会う頻度やLINEの返信頻度について余計な考えを巡らせるようになり、空回りした。年内は会わなくてもいいよと言って仕事最優先のスタンスで接すれば良かったのかな。逆に忙しい中でも時間を見つけてコミュニケーションをとった方が良かったのかな。そもそもそんな枝葉の話ではなく、救いようもないくらい、今の私がパートナーとしてふさわしくない人間だったのだとすれば、この迷いを無意味だな。

こうした堂々巡りの振り返りをnoteに書き残すことで、堂々巡りをしていることを離れて認識できるので、それだけで価値はある。

まとまったことを書こうとしなくていい。頭に浮かぶ雑念を全て書き出せばいい。これを踏み台にして、生きていくのだ。モヤモヤをモヤモヤのままにすると掴みどころがなく、視界も悪くなる。モヤモヤを文字に起こして踏み固めると、多少は視界が晴れてくる。そういうものなのだ。

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