利き手ではない手で写経するおもしろさ
私は昨年2月に友人から誕生日プレゼントとして写経セットをもらって以来、気まぐれで写経をしている。
いつもは利き手である右手で筆ペンを持って般若心経を書くのだが、先日なんとなく左手で書いてみた。
すると、いつもと違う感覚で般若心経の一文字一文字を捉えられて、おもしろかった。
これと似た感覚になるものがもう一つあるのに気づいた。
それはカバー曲を聴くことだ。
どの音楽でも本家のアーティストがいて、有名な曲であれば、SpotifyやYouTubeでたくさんのカバー曲を聴ける。
私は本家よりもカバー曲を聴く方が好きだ。というより、いくら好きな曲やアーティストと出会えたとしても、本家だけを聴き続けることに耐えられない。
なぜなら本家の歌に聴き慣れてしまうと、その歌は聴き慣れた歌に成り下がってしまうからだ。電車がやってきた時にプラットフォームで流れてくる音楽みたいになってしまう感覚だ。そんな時にカバー曲を聴くと、歌声や演奏が本家とは異なるため、より鮮明に歌詞が頭に入ってくる。その際に歌が上手いか下手かはあまり関係ない。むしろ、私はYouTubeで10回も再生されていないど素人の方のカバーを見つけると嬉しくなり、積極的に聴いている。
いつもしていることに少し角度を変えて触れてみるのは、とてもおもしろい。日々同じことの繰り返しで飽きを感じられたら、新しいことを探すだけでなく、いつもやっていることを少しずらして楽しもうとする精神を忘れないようにしたい。
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