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清潔で、とても明るいところ


伊丹空港に行った。べつに用もなく。
展望デッキに出ると、見渡す限りよく晴れた空が広がっていた。風が強く吹きつけた。
ぽつぽつと人がいた。なんとなく雰囲気の似た、カメラを構えている男女なんかも。デートだろうか。共通の趣味があると関係も長持ちしやすいだろうけど、飛行機撮影なんてうってつけに思える。大した金をかけずに遊べる。
ひっきりなしに、飛行機が飛び立っては着陸する。そんなに運ぶ人と物があるのかと感心してしまうほど。鳥のように羽ばたくでもなく、すうっと浮上する光景は、なんだか魔法じみている。遠くからでも十分に大きい鉄の塊。それが俺のような凡人の目には見えない力学で空に浮かぶ。海を越えて、遠い場所まで事もなげに滑ってゆくのだろう。とんでもないことをする、という気分になる。山中を歩いていて、神業の産物のように巨大な高速道路を仰ぎ見た時なんかと、同じ気持ち。
着陸してじっとしている飛行機は、大人しい獣のようでかわいい。横腹にターミナルとの連絡通路を取り付けられ、機体の下に潜り込んだ人間たちがなにやら作業をするあいだ、されるがままでいる。
唐突に、隣で友人が情けない声をあげる。見ると、空港内で買った肉まんを片手に、辛子をジーンズにたっぷり落としている。飛び立つ飛行機の轟音を聞きながら、肉まんで手が塞がる友人に代わって、おしぼりを取り出す。

昨冬のやりたいことリストに挙げていた空港泊は、ついぞ達成できず終いだった。今更やろうとも思わない。暑いから。次の冬に期待しておこう。
空港泊の小説を書きたいと思っていたから、実際に空港泊をしようと考えていた。小説のほうは書けた。
書きながら、いや書き終えてからも、空港という場所の魅力は一体どこから来るのか、ということを考えている。
ジャック・タチのプレイタイム、マイケル・マンのヒートのラストシーン、ブライアンイーノのミュージック・フォア・エアポート、それらを改めてたしかめたりした。
空港。清潔で、とても明るいところ。時間というものが持つこまやかで豊かな襞が、光に照らされて見えなくなる場所。ぽっかりとした空しさ。
ところで、俺は空港といえば関西空港を使う機会が今まで多かったのだが、伊丹空港はそれに比べるとこじんまりしていて、そのぶん少し華やかだった気がする。
レストランが両側に並ぶ廊下は、まるでホテルにいるような感じがした。ホテルも、時間が見えなくなる場所だと、歩きながら思い出していた。

幼い頃、両親とその友人に連れられて、よく旅行をした。あまりに幼くて記憶は残っていないが、学校にあがれば気軽にまとまった休みもとれないからとのことだったらしい。
行った場所も、連れ立った人の顔も思い出せないのだが、ふとした折によみがえる風景がある。
あるホテルの一室で、眠りから覚める。
窓の外の空が、うっすらと青みがかっている。
まだ陽はない。周りの大人たちはいびきをかいている。起こさないよう、そっと布団を出て、広縁の椅子に座る。
窓の向こうに、空と同じ昏さを湛えた海がある。ゆったりとした波が、寄せては返す。
空から海へ、海から空へ、と眺めているうち、しだいに、自分がどこにいるのかも、はっきりしなくなる。いや、そのように言語化できてもいない、ぼんやりした不安が小さな胸に差す。それは、重い、手足の先まで痺れるような不安ではなかった。やわらかく染み入り、心を溶かすような不安だった。
ゆっくり、しかしはっきりと、空に陽が差しはじめるのを見た。
さきまでの昏い青と、同じ空には思えない、新鮮な明るさが広がる。空は一日毎に新しくなるのだと知る。新しい空が映る目を、新しい目だと思う。
部屋には、相変わらず大人たちのいびきがこもっている。誰一人として、見知った人間ではないような気がする。

先日、一日で車の点検と整備を済ませてくれる、車検専門店に行った。
車が戻るまで、暫し無聊をかこつ。コーヒーと、ちょっとした茶菓子まで無料で出てきた。車検を請け負うだけで、そんなサービスまで提供できるぐらい儲かるものか。世間の回り方というのは、俺にはどうもいつもわからない。
店はウッド調の外観でテラスまであり、ほとんどカフェのようだった。テラスの小さな椅子に腰かけて、煙草を吸った。空は灰色の雲に覆われて、今にもひと降りきそうな気配だった。
整備以外に、中古車の販売もしているようで、フロントガラスに値札を貼った車が所狭しと並ぶ。少し離れたところで、スーツを着た販売員と客の若い男女が、車と車の間をすり抜けていく。曇り空の下に並んだ、持ち主のいない車の列は、風のない森深くの鈍色の沼のように見える。
その向こうの少し高台になったところに、住宅地がある。建ち並ぶ一軒家は新しく、デザインはどれも平凡ながら趣味がいい。それゆえなのか、壁の内側に何人かの人間の暮らしが営まれているとは想像しにくい、どこかおままごとじみた雰囲気がある。平日の昼間のことで、どの窓にもカーテンが引かれ、ひっそりしていた。
退屈とも眠気ともつかないふうな心地に落ちながら、幼い日に見た夜明けを思い出していた。昔は、もっと頻繁に思い出し、あの瞬間の心地が身の内に満ちるのをたのしんだ。年を経るごとにその機会も乏しくなっている。
ゆるんだ頭の中に、親族を引き連れて車検専門店を訪れる一行の姿が浮かんでくる。
大人もいれば、子どももいる。休日のハイキングにでも出かけるような、無害な明るさで、彼らはぞろぞろと現れる。
無料サービスの飲み物と菓子を要求し、午後のひと時を過ごす。善意で出しているものだけに、かえって店員も断れないでいる。そうして、似た顔がいくつも並んで笑っているのを、困惑とともに見守っている。



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