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掃除、ストーリー、距離



「あとはやっとくから掃除でもしといて」と、これまで度々言われてきたことに気がついた。
俺のようなものでも任せてもらえる、この世に唯一の仕事として、掃除は存在するらしい。

しかし、掃除というやつを試みるほど、家が傷ついていくのはどういうわけなんだろう。
釘を抜こうとして鴨居の木材が抉れてしまったり、風呂場の壁面タイルを研磨スポンジでせっせと磨いて傷だらけにしてしまったり。
ものを壊してしまったときの、取り返しのつかなさって、すごくイヤな感じだ。これ以上頑張ると何が起こるかわからないと不安になり、掃除もやめてしまったり。



ルシアベルリン『掃除婦のための手引き書』を読んだ。
鋭く磨き抜かれた、とても短い作品群が収録されている。描写をできるだけ削ぎ落とした状況説明によって、読む者の身体を巻き込まないままにストーリーの稜線だけが刻まれ、それが直接的にこちらの感覚を捉える。説明しかしていないと言ってもいいし、全く説明がないとも言える、清廉に美しい突き放しだった。ストーリーというものの魅力が存分に詰まっている。
ところで昔はこういうサイズ感の小説が好きだったけれど、めっきり読まなくなった。たぶん、自分自身が極端に短い小説ばかり書いていたのに、いつ頃からか少し長いものも書くようになったせいだ。俺はそういう都合のいいやつだ。しかし久々に読んでみるとやっぱりいい。なにより、そのときどきの気分で手軽に読むものを選ぶたのしさは、小さい作品ならではだ。さわりをちょっと読んで、合うものを選んで、缶ビールを一本飲む間とか、電車に数駅ばかり揺られている間とかで、さらっと最後まで読んでしまう。
「いいと悪い」という作品を、とりわけ好きになった。生活の片隅の気軽な読み方に、しっくりきた。



村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』を読んだ。何度読んでも、この作品集に充溢する「才能に物言わせてる」感にはすっかり痺れてしまう。
これを読んでいると、その途轍もない才能よりもむしろ、その才能に溺れなかった村上春樹のキャリアにこそ常人ならざるものを感じさえする。こんなん普通は、溺れに溺れちゃって光の速さで死に突っ込む。
この短編集もそうだが、作家の初期作品というのが好きだ。才能をブンブン振り回してるから。やっぱり、そういう小説読んですげーすげー言ってるのが楽しい。アホなので。



釈迢空の歌。



filmarksを始めてみた。

フォローしていいよって方がいたら、フォローするなり何なりで存在を教えてください。
なんとなくアイコンと名前をゆるキャラ風にしてみた。レビューの語尾も「むん」とかにして運用しようとしたが、書きながら「これはあまりにもヤバい人間かもしれない」とビビってしまい、やめた。
レビュー読んで、この人の見方わかると思ったらフォローしている。全然わからないと思ってもそれはそれで興味深くてフォローする。食べログと同じ使い方。映画を見始めた時期にこんなのがあれば便利だっただろうなあ。当時は見た作品名をググって、個人サイトの感想などを掘ったものだった。
身近な友人にも勧めた。真剣に映画の話をするような人間関係は自分にはないので、知っている人間のレビューを読み、こんな好みだったのかと驚いたりして楽しんでいる。
こうして点数をつけて見た作品を整理していると、自分の好みに気付く。俺は人と人の縁が解けていく話がどうも好きらしい。最後には独りの人間が映っていてほしいし、最初から最後までたった独りしか出てこないのが理想だという気がする。

先日、映画館で映画を見て、家で見るほうが快適だと再確認した。肌が悪いので2時間じっとしているのが難しい。
見終えた後、外に出ると雨が降っていた。少し濡れながら煙草を吸った。火に雨粒が当たらないように、こころもち俯いた。
前の席に座っていた兄ちゃんが出てきて、隣に立った。それから数歩遠ざかって、煙草を吸い始めた。彼もまた俯きがち。
彼のサンダル履きの足に水滴が落ちるのを眺めながら、近くに住んでるのだろうか、と思った。
映画の感想でも話しかけてみたい気がした。いやそういうの鬱陶しいからわざわざちょっと距離を取ったのか、しかも面白いとあんまり思えなかったのにそんな感想をわざわざ喋るのもなあ、などと考えて、気付けば短かくなっていた煙草を、灰皿に捨てた。



友人から「飲みに行く?」という連絡が来て、腹が立った。
「〜〜する?」という誘い方が嫌いだ。断りやすくするための、負担をなるべく与えない気遣いが込められた言い方であるのだとは思う。思うが、嫌いなものは嫌いなので仕方ない。大袈裟に言えば、その心情を気遣いではなく責任転嫁として受け取る価値観が、自分のなかにある。
かなり道徳心に欠けているという自覚があるのだが、あらゆる道徳のうち、責任だけは重く見ている。これに限って言えば人並み以上かもしれない。
と言って、人並み以上に責任感が強いわけでもない。むしろ責任を逃れようとする傾向が非常に強い。だからかえって尊重する。そういうもんかもしれない。



久しぶりに人に怒った。
「怒っても仕方ないのはわかっているけど、どうしても気が済まないので言わせてほしい」と断ってから、わりとキレた。
別れてから、怒りすぎたと謝罪の連絡をした。




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