散歩の達人統括編集長が35年通っている、ゴールデンっぽくないゴールデン街の老舗
武田憲人(散歩の達人統括編集長)
それはどんな店なのだろうか?
こんにちは。Webさんたつ編集長の武田です。今回は記念すべき「さんたつアカデミア」の初回ということで、無料公開とさせていただきます。最後までお付き合いいただければ幸いです。
さて本題。このマガジンのタイトルでもある、「いい店しってるね」と言われる店とはなんだろう?
「いい店」ではなく、「しっているねといわれた」が付く店である。他では食べられないような絶品料理が出るとか、ものすごくコストパフォーマンスがいいとか、内装が異次元的に凝っているとか、そういうことだろうか?
本日、私が『ハングリーハンフリー』を紹介する理由はもっと単純明快。
実際、誰かを連れて行ったとき、「いい店しってるね」と何度も言われたからだ。だがしかし、しつこいようだがそれはどういう店だろう? きっと最後まで読んでもらえればわかると思います。そういう原稿を目指します。
ゴールデン街らしさと、らしくなさ
その店は新宿ゴールデン街にある。
初めて行く人に説明するときは、「G1通りの一番西の端、靖国神社寄りにある『ボンズ』の2階です」と伝える。
すると相手は「ああ、『ボンズ』の2階ですか、わかりました」と返すのだが、じつはその入り口はものすごくわかりにくく、しかも入りにくい。だから初めての人と待ち合わせて時間通りに行くと、5人中4人は店の外で立っている。(すいません。もっと早く行きます)
開けにくい外ドアを開け、上りにくい急階段を上がりると、建付けの悪いドアが待っている。
そしてなぜかドアノブがない。なぜかはよく知らない。しかしまあここはひとつ、勇気を出して入っていただきたい。
中に入ると、意外な広さに驚くかもしれない。ご存じの通り、ゴールデンにはいわゆる「ウナギの寝床」状態の店が多いが、この店は違う。カウンター6席のほか、10人が座れる大きいテーブルが1つ、4人掛けが2つ、2人掛け1つと、ゆったりとした造りとなっている。
店の名物はズブロッカとミートボール
店の1番の名物は、なんといってもウォッカ。
特に「ズブロッカ」。
キンキンに冷やした「ズブロッカ」を、グレープフルーツジュースで割って飲む。ことに春から夏、そのうまさといったら!
しかし、なぜ「ズブロッカ」なのか?
店主・岩城ユージさんいわく、「『スンガリー』って知ってる?あそこによく行ってて、ウォッカの味を知って、店に置いたら人気が出たんだよね。どうしてかはよくわからないけど」
スンガリーは1956年創業、歌手の加藤登紀子さんのご両親が営んでいたロシア料理の老舗。現在も新宿で2軒を展開する。ちなみにユージさんが『スンガリー』でよく飲んでいたのはロシア産の「スチリチナヤ」だとか。『ハングリー』で人気の「ズブロッカ」はポーランド産だ。
そしてズブロッカに合うフードが「ミートボールのカレー煮込み」と「ほうれん草のサラダ」。
きっとお店のオススメは他にもあるとは思うが、私が必ず頼むのはこの2品。ここへ来たら、お願いだから最初のオーダーはこの2品にしてほしい。ほうれん草に載るのはフライパンでじっくり炒めたベーコン、このカリカリ加減が本当にちょうどいい。そして大玉のミートボールが入ったカレーの味はどこまでも滋味深い。「どうしてミートボールかって? うーん作ってみたらウォッカに合ったの。偶然の産物だね」だそうです。
客単価は、だいたい2000~4000円ぐらいだろうか。
ズブロッカのボトルが4000円、席のチャージ300円、ボトルチャージ300円、そしておつまみ。喫煙可ではあるが、ゴールデン街には珍しく大きな窓があって、気候のいい日は明け放してあるので、換気もとりあえず完璧。
私とハングリーの30年
私、武田がこの店を知ったのは、確か1980年代前半……ん、あ、いやちょっとまって。1964年生まれだから、それじゃ年齢的にちょっとあれなので、1980年代半ばだったかな。うん、そうそう半ばです半ば。半ばでした。
当時は渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)に店があって、バンドの先輩に連れられていってもらった。いやあワクワクしましたねえ。ビールやウイスキーならちょっとは飲んだことがあったけど、ウォッカとやらを飲んだのはもちろん初めて。百軒店という立地や、このさりげなくおしゃれな内装とあいまって、都会の田舎、戸越銀座育ちの男子も、一気に大人気分に(笑い)。
でも1980~90年代前半と言えばバブル真っ只中で、店はいつ行っても満員。なかなか入れなかった。百軒店というと『BYG』とか『ライオン』などが有名だが、1980年代に百軒店で一番混んでいた店は『ハングリー・ハンフリー』です。本当です。信じてください。
その百軒店の『ハングリー』が突然店じまいしたのは90年代の初め。閉店後も閉まっていると知りつつ何度も店の前まで行った記憶がある。私にとって『ハングリー』がない百軒店は寂しすぎた。
しかし、あの百軒店の店は実は支店で、本店がゴールデン街にあると知ったのは、『散歩の達人』編集部に入ってから。1999年7月号の新宿特集でゴールデン街の記事を作ったとき、「なんだ、ここに本店あるんじゃん、しかも本店の方がうまいじゃん」と知って驚喜したものである。(私の記憶では百軒店のメニューにミートボールカレーはなかった)。
以来、23年ほどのおつきあい。私はそう頻繁に飲みに行く人間ではないが、訪れた飲み屋の回数で言えば多分ナンバー1。百軒店時代を含めると、なかなかすごい回数になるだろう。気の置けない知人となら1軒目から行くし、誰か食事した後に2軒目にもう一杯というときにも重宝します。
「いい店知ってるね」といった人たち
さて、私に「いい店知っているね」といった人たちを紹介しておこう。
①_某酒造会社の広報担当者(女性)。「ゴールデン街にこういう素敵なお店があるんですね~」目が肥えているに違いない人にこう言われたのはうれしかった。
②_癖のあるママがいるゴールデン街の店(どことは言いません)に行って、いじられたりいじめられたりしてた後に、ここにきたゴールデン街初心者、数名。彼らはみなここで安らぎの表情を見せる。きっとこの雰囲気とユージさんの笑顔は砂漠のオアシスのようだったに違いない。
③_そして数えきれないほどの編集者やライター、カメラマン。つまり同僚や仕事仲間。
私がまだ30代の頃、ゴールデン街といえば、ディープなマスコミコネクションの全盛時代。『噂の真相』の岡留さんが○○にいるからタレコミに行こうとか、『クラクラ』に俵万智さんが一日ママさんで出てるよとか、内藤陳さんがオーナーの「深夜プラス1」のバイトが書いた『不夜城』がこのミスの1位だとか、よく飲み歩いている園子温監督が話題を呼んでいるとか、業界と街の繋がりが華やかなりしころ。
その中で私がせっせと通った『ハングリー』は、その手の派手な物語とは無縁だった。どちらかというと、地味キャラだったかもしれない。それでもよく言われました。「いい店しってるね」と。
この店が長く続いている理由
さて、店主・ユージさんの話をもうちょっと書いておきたい。
もともと絵描き志望のユージさんですが、新宿南口の伝説の名店「ドンガバチョ」のオーナーに男惚れして働き始めたのが水商売の始まり。オーナーにもかわいがられて、いつのまにか3店任されるまでに。10年ほど働いたのち、「まあ自分の店でもやってみようかな」ということでゴールデン街に店をオープンしたのが1976年。それからはや44年。もはや古株ですね。
「当時からある店は、『双葉』『突風』『しの』、そうそう『うるわし』もあったね。3丁目に『どん底』ってあるでしょ? あれのマドリード店ができるってんでついて行って、帰りにモロッコとか寄って帰ってきた。そこでいろいろ見てね。だからこの店の内装は、よくアーリーアメリカン調って言われるんだけど、本当は北アフリカの植民地風なのよ」
いわれてみれば、確かにあんまりカントリー調ではない。店名は明らかに『カサブランカ』のハンフリー・ボガートから来ているわけだし。あと、ありそうでない、趣味のいいBGMも気になってます。選曲の基準ってあるんですか?
「基本は映画音楽、っていうか映画のDVDの音源をPCに取り込んで、それを編集してBGMを作ってるの。あとはジャズ、ロック、シャンソン、戦前の歌謡曲とかを、その時いる人の年齢層に合わせてかけてるんだ」。なるほど、意外に手間暇かかってますね~。
最後になりますが、44年と長く続いている理由は何だと思いますか?
「うん、それはね。うちのマッチにも書いてるんだけど、‟SO-SO DRINKS,SO-SO FOOD,SO-SO PRICE”、そこそこの酒と料理、そして値段。そういうことじゃないかな(笑い)」
撮影/谷川真紀子
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