見出し画像

今まで隠してきた事を話します

今日は私のお誕生日で、実に43歳になります。
早いもんだなあ。

今日この日に、私が小さい頃から今まで隠してきた事、ずっと守ってきたものを手放そうと思います。
本当は動画にしようと思ったんだけど、編集が間に合いそうにないから、ちょっと長いけど読んで頂けると嬉しいです。
それは、知られないように隠すのが、今までの私の当たり前で、わざわざ人に打ち明けるという選択肢はなかったものです。
でも、そんなに知られたら恥ずかしい事なのか?本当の私は表に出してはいけないのか?
という思いがいつもどこかにありました。

私は、発達障害ADHD(注意欠陥・多動性障害)の疑いありとされています。

「疑いあり」と表記するのは、発達障害とは検査を受けて診断された場合を言います。私の場合、検査をまだ受けておらず、心療内科で「ADHDの可能性が高い」と言われているだけの状態なので、断言はしていません。

でも、幼少期にはその傾向が強くて、注意欠陥による忘れものや、先生や友達の言っている事に理解出来ない部分があったり、特に数字から量などをイメージする事などが出来ませんでした(数字からのイメージは、今もあまり出来ません)。
一度、母が病院に相談に行ったらしいのですが、その時は「発達障害の子は、はっきりと何か違うと分からるから、お宅のお子さんはそうじゃない。ただ単にこういう性格なだけ」と言われたそうです。
母は特に多動(じっとしている事が出来ない・興味のある事を見つけると衝動的に動いてしまう)を恥ずかしがっていたので、厳しく矯正されました。
おかげで、今では無意識に貧乏ゆすりしてしまう事なんかはありません。
人の会話の理解出来ない部分は、周りの人の表情や行動を観察して、真似る事でカバーしていました。

ADHDという言葉を知ったのは、30代後半になってからですが、ADHDの特性はほとんど当てはまっていたし、ADHDの症状の対策は私には有効でした。
それでも、検査を受けなかったのは、そうであっても私は周りに合わせる事が出来るという自負があったし、日常生活に困る事はなかったからです。

でも、今月末、私は検査を受ける事を決めました。
ウェスクラー式成人知能検査と言って、言語力、計算力、記憶力、IQなどの検査に加え、自閉スペクトラム症の検査とADD・ADHDの検査を臨床心理士が3時間付きっきりで行います。

診断結果がどうであっても、私自身は何も変わらないし、何が得意で何が出来ないかがハッキリするのは、これからの人生においてかなりプラスになると思います。

「そんな特性を持って生きづらかったでしょう」と言われた事が何度かありますが、確かにみんながしなくていい苦労はしたかも知れません。
でも、今までの人生を総合してみると、私は楽しかったです。
周りに、私の出来ない部分をバカにする人や、虐めようとする人がいなかった訳ではないけれど、それ以上に助けてくれる人、仲良くしてくれる人が多かったので、虐めがあっても長期化しませんでした。
幸い、人には恵まれていて、私自身も人を見る目はあるのだと思います。

人に迷惑をかけるかも知れないと思ったり、それによって嫌われるかも知れないという恐怖は今もあります。
でも、私は今、私と関わってくれる人達が大好きだし、何よりもう自分で自分自身を認めたい。
だから、人に合わせるのはもうやめにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?