日本の内ゲバは鎌倉幕府から(10)-和田合戦その1-
西暦1213年(建暦三年)5月2日、昼下がり、鎌倉はにわかに騒がしくなりました。
和田義盛邸近くに八田知重という御家人がいました。八田知重の父は八田知家といい、鎌倉幕府「十三人の合議制」のメンバーの一人で、幕府の重鎮の一人でした。その子にあたる知重は後に「小田氏」を名乗り、常陸(茨城)の国衆・小田氏の祖になる人物です。
その知重は隣から何やら大きな物音が続くので「何をやってるんだろう」と隣の和田義盛邸を見てみると、続々と兵が義盛邸に入っていく状況でした。
「これは、おか