勝負と勝負
勝負。勝ち負けがくっきりと分かれる、分断の作業のひとつ
負けず嫌いの人がいる。できるだけ謝りたくない、土下座したら怒りで憤死するような人だ。
一方、私はそのへんの路上で土下座するくらい、プライドのないような人間だ。
やはり(その人自身にとって)厳しい(と感じる)環境下で結果をださなくてはいけない(いけなかった)人にありがちな特徴のひとつだと思う。
そういう人はとにかく、自分の味方か、敵か、すばやく判断して行動や言動を変える。
だから、危機管理能力が高い人でもある。
「喧嘩したら自分が勝てそうか」で態度を変えたり(はっきり言っておくと、これは男性にありがちな特徴である。)、なにかにつけて「謝れ」と言ったり、「こちらに歯向かってきたら、俺はそいつに何をしてもいいんだ。そうさせているそいつが悪いのだ」という考えを持っている人。
たまにこんな話を誇らしそうに話す人もいる。
「あいつあまりに俺に歯向かってくるから、ぼこぼこにしてわからせてやったんだ」
これは勝負なのだろうか
これは勝負なのだろうか。
「歯向かってきた」時点で「敵」であり、「敵」であれば「わからせる」。
これは蛇足だが、人が人に「わからす」ことは、おそらく不可能だろう。
どんなに殴られてその時いうことを聞いたとしても、心は自分の考えのままだし、
むしろ殴られたり「わからせてやろう」という態度を感じたら、「意地でもわかってたまるか」となるのが人間であろう。
人は自分によってでしか「わかる」ことはない。
もちろん、他人に影響を受ける部分はあるが、みなさんも経験がおありの通り、『嫌いな先生の科目は苦手になる』。
勝負という分断はなにを生むのか
結果である。
結果がわかるだけであるし、その結果に対する意味は人によってさまざまであり、「負かしたから相手はわかったはずだ」とかは、愚の骨頂である。
勝つことは時にとても素晴らしいことだが、厳しくかつ有り体に言えば、「そのときそのことで勝っただけ」であり、それ以上ではない。
勝負人間からの、「負けるよりはマシだろう」という声がでかでかと聞こえてくるが、そうではないのだ。
勝負人間は「負ける」の意味を知らない。これからもわからないだろう。
さようなら、勝負人間さん
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