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もしかしたらもしかしなくてもわたしには他者の前提がないとしんじゃうかもって話。

だってさー自覚できなさすぎて。ほんとにわたしって人間できてる?工場のネジですらなくない?777かよ、みたいな。いなくてもすむんだったら、そんな存在だったら、いっそしにたいの。しにたいの!でもそういうことにもならないし。おかあさん、兄、妹、おばあちゃん、くらいは泣いちゃうかもだし。それはのぞんでない。

だからわたしをわたしのまんまで関わってくれてる他者が必要なの。でもそれを同じベクトルまでアゲていきたいのにまったくならないことに苦しんでる。しにてーの前提が消えない。わたしにとってはぜんぶ必要なのにみんなにとってはわたしは一切必要ないからいみわからん。見せかけの自己肯定感。どうしてこうもめんどくさくてしにてーですませるくらいにしか及ばないのか。しんどい。ふつうにただ、ただしんどい。本心だしそのまんまのわたしで生きてるはずなのにどこかフィルター通してるみたいにしか思えない。いっそ号泣したらどう?それでも、ぐちゃぐちゃの、気持ち悪いわたしでも認めてくれるの?て思う。て思うてことはさ、最近ツイッター改めてXで読んだんだけど、どんな己でも認めてくれるような環境がなかったんだよね。すべてに対してこんなわたしでも生きてていいの?の答え合わせのため。きもちわる。もっと幼少期にすべてを受けいれてほしかった。どんなわたしでも愛して認めてほしかった。そしたらこんなんじゃなかったはずなのになって、今さら恨む。苦しい夜があるね。いまの彼氏にこんな話したらどうなるかな。別れちゃうかな。おもしろー。人間不信すぎ。というかじぶんのことすら信用できないのかも。なみだとまらない。しにたい、なにも考えなくない。うそ、しあわせになりたいだけ。しあわせがなんなのかわかんないくせにね。

わたしがなにを言ってもそっかーくらいで受けとめてほしいだけ。つらいかなしいくるしい。ひさびさにしにたい。

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