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解氷 2/3

 翌朝、目が覚め体を起こすと体中に電流が流れているかのような痛みがあった。あの頭痛と目眩によって意識を失い、そのまま床に何時間も寝っぱなしだったのだから無理はない。たまたま今日が休みの日で本当に助かった。この痛みの中、まともに授業が受けられるとは到底思えなかった。あの耐えられないほどの痛みに襲われる中で、この症状が発生した状況に共通していた点を割り出した私は、来春にもこの悲劇を繰り返さないために早速動き始めようと思った。幸か不幸か、私の学校は毎年クラス替えがあるので、あと半年耐え抜けば今度こそ私が夢見た学校生活を送れるかもしれない。そう思っただけでいてもたってもいられなかったのだ。しかし、病院の先生にもお手上げだったこの原因不明の病。果たしてただの中学生に何ができると言うのか。本来ならば家族である母にまず相談するべきなのであろうが、私の頭に真っ先に思い浮かんだのは母ではなかった。

 沙夜さんとの待ち合わせ場所に設定した喫茶店に向かう途中、沙夜さんに昨夜の件は伏せておこうと思った。私の体調を案じて心配かけてはいけないと考えたのもそうだが、自分が振った話題が原因となればあの人は自分を責めるに違いない。そして、話相手が私しかいないのに私にも話ができないとなれば、きっと沙夜さんは今後誰にも自分の話ができなくなる。そのような悲しい事態は是が非でも回避したかった。

喫茶店に着くと、沙夜さんが到着してから既に時間が少し経過しているようで紅茶が運ばれてきていた。体の痛みのせいか歩くのに自分が思っていたより時間がかかっていたようで、数分前に着く予定で家を出たのだが時間ぴったりに着いた。沙夜さんは大人なので、子どもの私を待たせないよう少し早く到着していたのかもしれないが、悪いことをしたと思った。私に手を振る沙夜さんに手を振り返してから沙夜さんの向かい側の席に腰を下ろすと、
「今日はいきなりどうしたの?」
と言って、沙夜さんは心配そうにこちらを見ていた。当然の反応だ。伝えたいことは色々あったが、いざ文章に起こすと信じられないほどの長文になってしまったので直接伝えた方がいいと思い、最終的に「お茶しませんか?」というあまりに雑なメールになってしまったからだ。
来春までに私の奇妙な病を完治させたいと思っている、と伝えると沙夜さんは難しい顔をして黙り込んでしまった。考えてみれば赤の他人である私に頼られるのは沙夜さんにとってみれば迷惑以外の何物でもない。やっぱり自分一人でどうにかしようと思ったその時、沙夜さんが
「その症状、小さい頃はどうだったの?」
と言った。
「え…?」
確かにそうだ。学習塾に足繁く通うようになるまでの幼少期からこの症状はあったのだろうか。症状はあったが幼かったために上手く状況が伝わらず見過ごされてきたのか、あるいは本当に症状が最近になって起きたのか。いずれにせよ幼少期からこの症状があったのかなど気にしたことは全くなかったので驚いた。
「もし、幼少期にも症状があったのだとしたら、今になって現れたのではなく再発したと考えるのが妥当ね。逆に、幼少期にはなかったのに、今になって現れたのだとすると生活の変化や何かが引き金になったのかもしれない。」
まるで自分のことのように、沙夜さんは必死に知恵を絞ってくれた。一瞬でも沙夜さんが私のことを迷惑がっていると考えた自分がどうにも許せず、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 沙夜さんが色々な可能性を指摘してくれたおかげで私一人では思いつかなかったようなことがいくつも出てきたので、一度整理してみることになりその場はお開きになった。沙夜さんには症状のトリガーが"アザミ"であることは伏せていただけで、確証はないものの症状が起こる原因は特定できているので、今から私のすべきことは「幼少期の症状の有無」の確認だった。
沙夜さんに指摘されるまで忘れていたのだが、私が物心ついた頃からの記憶といえば勉強しか思い出すことが出来なかったので、実際症状があったのかどうか全くわからなかった。今まで散々避けて来た道だが、とうとう母と腰を据えて話をする時が来たらしい。考えただけでも緊張で嘔気がした。

「亜沙美さんは幼少期から非常に賢い子でしたよ。近所の子がハイハイも出来ないような頃から二足歩行が出来ていましたし、他の子が歩き始める頃には貴方は意味のある言葉を話すようになっていました。成長速度の早かった貴方の才能をいち早く見抜き、3歳になる頃にはピアノを習わせ始めました。幼稚園に入っても貴方はその能力を至るところで発揮していました。運動会で飾られていた国旗と国の名前を全て覚えてしまったり、学芸会の台本を一冊丸ごと覚えてしまったり、それはもう目を見張るものでした。」
長々と語る母は、私の質問である「幼少期の症状の有無」などまるで気にしていなかった。ただ、私の過去の武勇伝を並び立てるついでにそんな娘を育てたという自分の自慢でもしたかったのだろう。学歴や名誉にしか興味を示さない母が、訳の分からない病のせいで落ちぶれた今の私になど興味があるはずがなかった。「もういいよ。」と途中で話を遮って私は部屋に戻った。端から母から有益な情報が手に入るとは思っていなかったが、ここまで私の心配をしていないとも思っていなかったのでそれなりにショックを受けた。気づけばそろそろ日付も変わろうとしていたので、今日はもう寝ることにした。

 いつからだろうか。私は時折、不思議な夢を見る。顔はよく見えない女性と小さい私が窓から外を眺めていて、いつも決まってある男性の話をしている夢。その男性のことが大好きな女性の話を私は嬉しそうに聞いている。どうやら毎度同じ話をしているようなのだが、あまりはっきりとは聞こえない。開け放たれた窓から見える景色は一面に広がる満開の桜と鮮やかなアザミが見えて―――――――――――――

 解決の兆しが見えたあの日以来、一向に状況は変わることはなかった。なぜ"アザミ"が原因で発症したのか。特別なアレルギーによるものかと思い、インターネットや図書館で私と同じような症状に悩む人について血眼になって探したが該当するような記事は存在しなかった。学校の休みの日に私の症状について調査するようになってから2ヶ月が経つ。来週で二学期が終了しまたしばらくの休みに突入するが、思う存分調査ができる、などという気は起きないほど私は疲弊していた。気がつくと私はあの河川敷に来ていた。真冬なので当然アザミは咲いていないし、まだ午前中なので沙夜と会えるわけでもない。ただふらっと河川敷に足を運んでいたのだ。
「一人で何やってんだ?」
と、急に声をかけられて後ろを振り返ると、年は40かそこらだがぱっと見てわかるほどのチャラさを身に纏った男性がいた。
「彼氏にでも振られちゃったか?」
冗談のつもりだったのだろうが、私の精神状態が良くないこともあり全く笑うことはできなかった。その場を離れようとするとその男性は私の隣に腰を下ろした。動揺を隠せないでいると
「ごめんな、つまんねぇこと言っちゃって。好きな人と別れるのが辛いことなんか俺が一番よくわかってるはずなのに。」
「何かあったんですか?」
どうやら私は大人の昔話を聞く星の下に生まれて来たらしい。控えめな性格の沙夜さんとはタイプは違えど、あの時と全く同じシチュエーションで少し可笑しかった。
「俺は昔からいろんな女の子と遊んで歩くクソ野郎だった。でも、それでいいと思ってた。今考えれば若気の至りってヤツなのかもしれないけど、オッサンになった俺に寄って来てくれる女の子なんかいないんだから、今のうちに楽しんどかなきゃ人生損だよな!って本気で思ってたんだ。バカだろ?」
私に声をかけてきた時の自信に溢れていた最初の印象とは打って変わって、哀愁漂うその横顔はまるで別人と言わざるを得なかった。
「でもな、そんな俺でもこの人だけは裏切れないって思えるような出会いがあったんだ。そいつと俺は全く違うタイプで、最初は暗くて可愛げのない奴としか思わなかったけど、あいつが初めて見たあの笑顔は今でも忘れねえ。」
「えっ、それって…」
「そうだ。今は一緒じゃねぇんだよ。だから言ったろ?好きな人と別れる辛さは誰よりも俺が知ってるってな。」
「失礼ですけど、何があったんですか?」
「失礼も何も、この話を振ったのは俺だから気にすんな。あいつは元から体が弱かったが、子供が産まれてまもなく癌が発覚して手術が必要になったんだ。大学出てすぐだった俺たちにそんな手術が受けられるような莫大な費用はどこにもなくて途方に暮れたよ。それでも俺はあいつを諦められなかった。でも、俺が死に物狂いで金掻き集めるから手術を受けろって言ったら死んだ方がマシだって言うのは目に見えてた。だから俺は内緒で金を集めることにした。」
「でも、そんなのどうやって…」
「実は、昔遊んでた子の一人に親が会社を経営してるお嬢様がいたんだ。俺はその子と結婚し、その会社の次期後継者となることで手術代を賄おうと考えた。幸い手術までには3ヶ月という時間があった。3ヶ月なんか、俺がお嬢様をオトすには充分過ぎる時間だった。元々仲良くしてたってのもあって半月くらいで縁談の話が出たよ。運良く社長さんも後継者の心配をちょうどしてたらしく、縁談の話にはかなり乗り気だった。これを利用し俺は次期社長として大量の資産を運用できるようになった。」
「でも、その間って家には帰ってたんですよね?」
「そんな簡単な問題に、手術金を集めることだけに必死になっていた当時の俺は気づかなかったんだ。癌が発覚した途端、家に帰るのが遅くなったり帰らない日があったりするようになった俺のことをあいつは糾弾した。当然さ、産まれたばかりの子どもの世話一つしないで遊び惚けてるクソ野郎なんだからな。俺たちの関係が冷え切るのにそう時間はかからなかった。手術をするかしないかを決定する日が迫る頃、俺はその資金をあいつの親戚からと偽って送った。俺はあいつに生きて欲しいと思ったし、子どもにも元気に生活を送って欲しかった。例えそこに俺の姿がなかったとしてもな…」
この人が最初自信に溢れているように見えたのは社長という威厳が成すものであり、時折見せる哀愁は愛する家族との別れによるものだったのだと納得がいった。
「ごめんな、こんなつまらん話を聞かせて。物で釣るのも汚い話だけど、花は好きかい?好きな花をプレゼントするよ。で、花と言えばあいつも花が好きでなぁ。何でか知らんが"アザミ"とかいう花が大好きで、ここで花見をしたっけなぁ…」
「えっ…?」
私の脳は完全にパニックになった。私は"アザミ"が好きで以前離婚の経験がある控えめな女性を知っている。その女性はこの河川敷で夫とお花見をしていたと言っていた。そして今、その女性とこの河川敷でお花見をした男性が現れた。こんな偶然があるのだろうか。何処かで偶然と偶然が重なり合うことを必然と呼ぶと聞いたことがあるが、それによればこれはどうやら必然らしい。私はこの二人をもう一度繋ぐ架け橋になれるかもしれない。しかし、思い過ごしかもしれないし、例え思い過ごしではなくとも私の出る幕ではないかもしれない。そんなことを一瞬で考えていたら、あの頭の内側から鈍器で殴られているような痛みを覚えてから私は意識を失った。

第2部も読んでいただきありがとうございます。次回で「氷解」は完結しますが、疲弊した亜沙美の前に現れた謎の男の登場により物語は急展開を迎えます。登場人物の関係性や謎の頭痛の正体を初めとするストーリー上の謎が全て繋がっていく爽快感を味わいつつ、タイトルの意味を感じ取っていただけたら幸いです。それでは。

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