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2022年映画ベスト(新作編)

 現実が映画を凌駕し始めている。コロナは収まる兆しを見せないまま3年目に突入し、ロシアはヨーロッパで戦争を始め、国内では白昼堂々と元総理が射殺されるなど、2022年は撮られた映像に呆然とする事態が頻発した。スマホの普及により、偶然居合わせた人の撮影した事件映像が、凡百の映画のショットを圧倒してしまうことは最早珍しくない。古くは同時多発テロや東日本大震災で素人が撮影した記録から始まり、ここ数年で既に顕著だった傾向がいよいよ深刻化してきている。
 ハリウッドにおいて所謂”~ユニバース”と呼ばれるシリーズ物が幅を利かすようになったのは、時代の認識と決して無関係ではないように思える。ハリウッド的楽天性が現実と共存する道を模索するにあたって、スーパーヒーローの世界の遊戯性ほど都合のよいものは、そう見つからない。
 映画が現実と共存するには一層困難が伴う時代になったことを認識した上で、それでも映画を撮る意味とはなんだろうか。すぐに回答を出せるような疑問ではないのも承知しつつ、その上で何かヒントとなるものを見出せたかどうか。本ベストの選出基準にはそうした要素も少なからず反映させた。

2022年新作ベスト 鑑賞本数129
1ケイコ 目を澄ませて(三宅唱)
2さかなのこ(沖田修一)
3川っぺりムコリッタ(荻上直子)
4スティルウォーター(T・マッカーシー)
5リコリス・ピザ(P・T・アンダーソン)
6愛なのに(城定秀夫)
7マーベラス(M・キャンベル)
8メモリア(ウィーラセタクン)
9ザ・ミソジニー(高橋洋)
10牛首村(清水崇)
次点:辻占恋慕(大野大輔)、左様なら今晩は(高橋名月)、kimi(ソダーバーグ)、ベネデッタ(ヴァーホーヴェン)、トップガン マーヴェリック(コシンスキー)、底知れぬ愛の闇(エイドリアン・ライン)、ウエスト・サイド・ストーリー(スピルバーグ)、スピリットウォーカー(ジェグン)
※なお、ソクーロフ、スコリモフスキの新作及び「PLAN75」は見逃した。

以下、簡単な寸評。
「ケイコ 目を澄ませて」多少シネフィリーな感じは付きまとうのだが、音や動作の反復といった要素の提示に映画狂の映画にありがちな理屈っぽさが無く、16mmで捉えられた河川敷の風景にどこか90年代を思わせる懐かしさを覚えたのが1位にした決定的要因だった。
「さかなのこ」主人公が前向きさを崩さず、周囲がそれを常に肯定し続ける楽天性には胸を打たれる。埠頭の喧嘩シーンの幸福感は、永遠に終わらなければいいとすら思わせる。10年代に現実の厳しさを突き付け直視させる邦画が多かった反動で、あえてポジティブに振る舞うことこそ、今の日本映画に求められているのかもしれない。
「川っぺりムコリツタ」見応えのあるシネスコのダイナミックな画面造型。刺激的な構図の多さでは2022邦画の中でも特筆に値する。横長の画面に横臥する松山ケンイチ、満島ひかり、或いは主な舞台となる長屋の収まりの良さ。長屋の住人たちですき焼きを食べる食卓場面の構図、松山ケンイチの奥から手前への動き、家賃滞納者に嫌味を言う満島ひかり。河原の空に浮かぶ凧。クライマックスの葬式の行列。ラストショットもシネスコならではのスペクタキュラーな構図で、全体に昨今の邦画に付き纏う貧乏臭さから逃れ得ている事の満足度が高い。
「スティルウォーター」1シーンだけの登場人物にも、それぞれ歩んできた生活があると想像させる立体感を演出できているのが良い。さりげなく映される子供たちの遊び、犬、無関係の人物の佇まい。映画内の世界にも広がりがあると観客に想像させること。
 何気ない会話でも窓や扉が開放されているシーンが多い。反対に刑務所の扉は閉ざされたままだ。そして、終盤の破綻に置いてもきっかけは、さりげなく「窓」を閉じられるところから始まる。地下室の扉を開けるサスペンスが効果的なのは、こういう細かい積み重ねが序盤から徐々に効かせてあるからである。誰にでもできる芸当ではなく、このような映画を私は豊かだと思う。長尺でも飽きさせない。
「リコリス・ピザ」PTAに関しては自分の中で未だ評価が定まっておらず、本作も手持ちカメラの使い方など部分で違和感はあるものの、深夜から払暁までを描いた一連のシーケンスにおいて、好きな時間帯の雰囲気にどっぷりと浸かれるのが今の自分にとって心地よかった。
「愛なのに」古書店の主に恋する女子高生という際どい題材ではあるが、根底は一貫してオプティミスティックであり、観ていて気持ちいい。役者陣それぞれに見せ場がある中で、河合優実がやはり一番の儲け役か。本作も低予算であることを感じさせないのが良かった。
「マーベラス」アイデア豊富の素晴らしい活劇。発砲に溜めがなく、アクションの動作と見せ方に工夫があるし、タッターサルの撮影も良い。土砂降りの雨とマイケル・キートンの造形に、少し「天使のはらわた」シリーズを思い浮かべたりもする。思えば2022年は、こういうのを月一で観たいと思わせるアクション映画が、あまりにも少なすぎた。
「メモリア」例えば何回も流れる爆発音にせよ、助手席から運転するティルダを撮ったショットの車の爆音にせよ、多少の厭らしさなど軽く超えてしまうほどに音の使い方が面白い。ウィーラセタクンは過去作では何を考えているのか分からず乗れない部分もあったが、本作は分からないなりに楽しめる。こういう図太い演出を是とする強心臓の持ち主は、頼もしいと思う。
「ザ・ミソジニー」古典的な幽霊屋敷ものとしての様式美を見事に構築しておきながら、監督が高橋洋なのでそのまま終わるはずもなく、魔法陣や謎の組織などが登場し徐々に逸脱していくそのずらし方が巧み。紅が印象に残るのも悪くない。個人的に、ホラーのメインカラーは紅だと信じて疑わない。
「牛首村」前作から引き続き清水崇の復活が大変嬉しい。本当に嬉しい。前半の恐怖演出は秀逸(siriの不気味さ!)で、昼間の怪異が多いことにも快調ぶりが伺えるし、落下の演出で統一するのも良い。ホームでの長回しも何も起きないずらし方が逆に現場レベルの判断で急遽チャンスを逃さず撮影したのだろうと思わせ、興奮する。確かにあの雨と風と雷鳴は撮りたくなる。
 終盤はもう馬鹿馬鹿しさの極みで半ば呆れながら観ていたのだが、村で牛の首を被った子供たちが出てきてボディダブルになる部分など、思いついても通常はやらない。あれを台詞ではなく画面だけで提示するのは、プロデューサーも含めてとても正気とは思えない、物凄い語りではないか。ここまでくるともはや天晴れであり、清水崇には今後も独自の路線を突っ走ってほしいところ。

次点の作について。
「辻占恋慕」それなりに面白いがよくあるバンドマン関連の恋愛映画。と、途中までは思っていたのだが、クライマックスのライブ場面で驚く。アイドルのラジオを切っ掛けにライブへ来た客に対して、MCで『馬鹿か、お前らは。恥ずかしくないのか。帰れ!』と急に音楽論をぶちまけ始めるのだ。本気で言うが、このようなアジテーションはチャップリン「独裁者」以来の快挙ではないか。主張の善悪は兎も角として、観客のブーイングやステージへの乱入も併せて大変痛快であったが故に、ベスト入り。
「左様なら今晩は」削ぎ落した簡潔さが良い。お好み焼き屋でコップを二つ置かせ、「2枚ですね」とだけ言わせて説明しない。なぜ死んだか?は繰り返し問われるが、結局理由は省いてお墓だけ見せる(原作では死因まで明かされている)。潔いから上映時間98分になる。
 原作の説明的な部分の削ぎ落としはテンポの良さに繋がり功を奏しているし、逆に原作にはない付け加えた部分(例えば見晴らしの良いベランダを使った数場面)は映画ならではの見せ場として成立しており、良い脚色になっている。
 『正しいバスの見分け方』の時から感じていたが、高橋監督は会話のカット割も長回し一辺倒でなく、割るときは割って実にスムーズ。お酒が減ってない場面をあそこまで分かりやすく見せるのは中々できない芸当であり、真剣に言うが鑑賞中ドン・シーゲル作品の明晰な繋ぎを想起した。
「kimi」何の臆面もなく「裏窓」をやるソダーバーグの無頓着ぶりが逆に面白い。作家的野心すらも消え去り、今までに培ったテクニックだけが残った結果、ある種職人チックな夾雑物のない単純サスペンスに仕上がってしまうのが映画の不思議。
「ベネデッタ」紛れもなくヴァーホーヴェン映画だが、一方でヴァーホーヴェン『らしさ』とは何だろうか?やっと把握できたと思いきや、新作が出る度にまた分からなくなってくる。一本ごとに再考を促し、混乱させてくるところがこの監督の太々しさ。
「トップガン マーヴェリック」さすがに前作よりは良いし、たとえ空戦が主の作品であっても、トム・クルーズの全力疾走ショットをなんとしてでも劇中に挿入しようとする心意気に打たれる。スター映画かくあるべし。
「底知れぬ愛の闇」エイドリアン・ラインに感心したことなど全く無いのだが、映画は観てみるまで分からないものだ。窃視のショットと尾行、階段を各場面に散りばめて描くのがジャンルの基本に忠実で効果的。全てが水に沈みゆく統一性。アナ・デ・アルマスのエロスが主役と見せかけて、実際にはベン・アフレックの木偶の坊さで引っ張るチープなエロサスペンス。何の深読みも必要としない楽しさが、現代映画において貴重であり爽快。
「ウエスト・サイド・ストーリー」暗い逆光のミュージカルに仕立てたのがジャンルの伝統から離れておりルックス的にも斬新で、スピルバーグが今回目論んだことではないだろうか(ミュージカルといえばハッピーエンドで終わる作品が多いが、なぜ悲劇で終わる本作をリメイクとして選んだのか?やはり、撮影カミンスキーを活かせる題材と考えたのではないか)。モブシーンでの統率力も流石の一言で、「リンカーン」以降の作品群でこの監督の底力を久々に感じられた気がする。
「スピリットウォーカー」記憶喪失でしかも12時間ごとに他人に魂が乗り移る、「アンノウン」の巻き込まれ型をさらに推し進めたような映画。この複雑な話を混乱させずに語り切る技巧が光るし、その上で変なものを見せられた異物感も残る。結構な拾い物。

その他印象に残った作品を挙げる。
「スペンサー ダイアナの決意(ラライン)」スティーヴン・ナイト脚本なだけはあり、やはり一筋縄ではいかない映画に仕上がっていた。一部を除き曇天で統一したルック、突然現れる幽霊、見応えのある美術と衣装、夜の闇の深さ。クリステン・スチュワートもここ最近の出演作では久々に良い役。
「弟とアンドロイドと僕(阪本順治)」まず、全編雨もしくは雪(銀残しが映える)というのが野心的かつ嬉しい驚き。主な舞台となる廃病院(なんとも黒沢清的)の美術も手間がかかっているのがよく分かる出来。廃病院へと至る道のロケーションには清順「ツィゴイネルワイゼン」を思い出し、よく探し出してきたなと感嘆。日本映画でここまで作りに拘れる立ち位置は、正直羨ましい。
「恋は光(小林啓一)」西野七瀬が変に演技したりせず、普通に西野七瀬してるので出演作では過去一良い、ということになる。馬場ふみか、平祐奈と合わせて恐らく20~30着ほど劇中で衣装を替えているのではないか?映画は女優が良ければオールOK、これが映画の第一法則。
「the card counter(ポール・シュレイダー)」師弟関係の話と思わせておいて次第に個人の妄執へと逸脱していくのが、仕事仲間のスコセッシ作(「ハスラー2」他)と共振しており、過去シーンにおける魚眼レンズの使用も印象に残る。ポール・シュレイダーの近作は静謐さが凄味へと変貌する瞬間がある。
「真・事故物件 本当に怖い住民たち(佐々木勝巳)」は何かが起きそうで起きない退屈な時間の撮り方がタランティーノの「デス・プルーフ」を模しているように思えて楽しむ。映画、小説、漫画などで”何も起きない時間”をどう描くかは表現の醍醐味の一つであり、作り手の腕前の見せ所だ。
「アンチャーテッド(R・フライシャー)」は、原作のゲームをプレイしている身としては、主人公がトム・ホランドでいいのか、マーク・ウォールバーグの風貌の方が適任ではという気持ちもある。とはいえ、最後の宙吊りになった船上での三次元的な空中戦は、古臭い冒険映画をわざわざ2020年代に撮るだけの意味はあったと思わせる、中々の見せ場であった。
「大河への道(中西健二)」は伊能忠敬が登場せず、不在の中心人物を周囲が伝説のように語る構成に、何か「レベッカ」やオーソン・ウェルズ的なものを感じて言及したくなった。それにしても、北川景子は相変わらず和服が似合う。
「フォーエバー・パージ(ゴウト)」は12時間で終了というシリーズの約束事の窮屈さを打破する気概と、西部劇からの引用及びメキシコ国境をゴールとする米映画への意識(しすぎ)ぶりに意外性があり、楽しもうと思えば楽しめる。

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