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立川吉笑 真打計画02(我々は真打計画02を二度体験する)

text by:a

 NHK新人落語大賞の優勝候補とされる立川吉笑による真打計画02。この大賞の放送日、2022/11/23に結果が明らかになったとき、観客は真打計画02において何が語られたかを再び想起せざるを得ないという点で、我々は例外なく「2022/11/3の立川吉笑」を二度体験する。

 立川流の落語家であり、新作落語の名手の一人である立川吉笑が、「真打」になるための1年以上にわたるプロジェクトの2回目、真打計画02では、立川吉笑がNHK新人落語大賞で「優勝したバージョン」と「優勝しなかったバージョ」のマクラが語られた。圧倒的多数が結果を知らないという状況下で、観客がこの話題の「何に」 真実を見るのかが問われる。語り断片や表情を根拠に自分なりの判断を行うが、結果次第によってはその評価軸、人に対する審美眼というものが大きく揺らぎかねない。

 吉笑の一挙一動を食い入るように眺めるなか、演じられる『伊賀一景』。隠居さんのお宅に駆け込む八っつぁん。慌てふためき語るには、乾物屋?のおばあさんが倒れたのだという。しかし、その緊急性を問う内容や身体の躍動とは噛み合わない小声に違和感を覚える。落語の構造上、噺家の語る内容について、観客が想像力を用いて参与しなければ完成しないというのは自明であるが、吉笑の落語の場合、示される落語世界のルールが強すぎるため、おのずと場の粘性、強度が高まる。『伊賀一景』においては、まず、小声での会話に耳を澄ますという行動を無意識に選択した時点で吉笑落語のルールを受け入れており、次いで、かなり洗練された注意を彼に向け続けるという点で他への注視とは決定的に区別されるように思う。

 強力なルールによって、圧倒的な磁場を発する吉笑落語は、実のところ吉笑の身体、声などの極めて魅力的な一部分に集約されてしまうというのもまた面白いが、こうした系譜に『ぷるぷる』も位置していると思われる。突然にはじまる口唇の震え。ぷるぷるとしか聴き取れないが、吉笑の訴えかけるようなその視線から、何か重要なことが伝えられている、と観客は考える。私は、このぷるぷるに耳が慣れ、不思議と言わんとしていることが聞き取れるようになるその過程こそ、吉笑落語を体験するという行為の醍醐味があるように思う。

 立川吉笑の恐ろしい点は、強力すぎるルールを用いて落語世界を翻弄すること自体が題材となっている落語さえも創作しているのである。『ぞおん』に続く『蔵替え』、『床女坊』はこの系譜であろうと思われる。『床女坊』では舟渡しに関する数的推理が落語世界の「ルール」として用いられているが、同時に「場合分け」と「場合分けの失敗」による多次元的展開の芽生えが示唆されていると考えられる。多次元的展開により、時間軸のループを含みながら微妙な差異を作り出し、予測不可能なサゲへと集約していくのだろう。私がここで言いたいのは、吉笑落語の一つの特徴が「強力すぎるルール」であり、こういった強力すぎるルールによって働く磁場のような場の粘性が、多次元的な展開、多次元的な自己(あるいは分裂した自己)の母体となっているのではないかということである。

 中入り前の『妲己のお百』。立川流の家元である談志もまた講談を好んだというが、吉笑がこの夏「かっこいい真打になる」ために熱を入れて取り組んできた題材である。著しく美しい変貌を遂げていた。長澤まさみ主演のドラマ『コンフィデンスマンJP』のような軽妙さを伴う展開ゆえに、最も陰惨な部分にハイライトが当たる。堂々たる殺しである。親子の情を引き裂く、非道である。悪女「お百」の堕落し、それでいて単調な日常に偶然にして紛れ込む、峰吉親子の真っ当な愛情。練られた登場人物のやり取りによって、このコントラストが際立つ、目を引く。

 『伊賀一景』『ぷるぷる』と続くこの流れでの『妲己のお百』は、間違いなく、良い意味での裏切りであった。これまでの吉笑とは何かが違う。だがそれは、私の感受性や貧しい落語知識ではまだ分からない。うっすらと『歩馬灯』の落語と小説において示されているように、多次元的な自己のどこに焦点を置くかという比重の問題のように思えている。キャラクターが生き、動き始めるための構成に、絶妙な配分の変化があった。それは、この真打計画02が「キッショウと矩随」という副題を持っていたことと不可分であり、主人公の矩随が体験した変化と似ているのかもしれない。

 吉笑が自分自身を投影する『浜野矩随』は、父親を名人に持つ腰元彫り(刀剣の装飾品)の職人である。感性は抜群であるものの、独特の表現を行うため、一般には評価されない。父の代から馴染みの取引先であった若狭屋から手切れ金を渡され途方に暮れるも、病床の母のために彫った観音様によって、彼の評価を改めさせるのである(もっと重要な情感が扱われているが、ここでは省略する)。   
 着物を着た人物が座布団の上で語るという伝統芸能としての側面を持つ落語において、新作を作るということ自体、ある種のファン層から距離を置かれる。また、吉笑の作風の独特さゆえに、作品のネタおろしには不安がつきまとうだけでなく、彼が古典を演ることへの意外性も大きい。抜きん出た感性をもっているにも関わらず、「正答には評価されにくい」点で、矩随との共通点があるだろう。 
 また、新作落語の騎手として注目される立川吉笑が、真打を視野にいれたタイミングで古典をやる意味についても思いを巡らす。立川流の家元「立川談志」や自身の師「立川談笑」への尊敬と芸の継承にあるだろう。彼の並々ならぬ努力を想像し、矩随の展開とともに熱いものが込み上げてくる。

 だが、ここが重要である。真打計画02 は、立川吉笑の進化や決意表明の会では終わらない。実に憎いところであるが、NHK新人落語大賞の結果によっては、浜野矩随への評価を改めた若狭屋に起こった変化が、我々、そして世間のより多くの人に起こりうるのである。

 彼に興味を持つすべての人にとって、NHK新人落語大賞の結果は、彼が優れているという何らかの客観的証拠となりえるが、それは果たして、今日見た立川吉笑像と一致しているのだろうか。評価を覆すべきは、イメージを覆すべきは誰なのかと、その評価軸が、審美眼が問われているように感じるのは私だけであろうか。

(公開後もちょっとずつ修正していきます。)

2022/11/23追記:立川吉笑さん、NHK新人落語大賞受賞おめでとうございます!

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