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独りよがりの感想 6月


独りよがりの感想1:『これやこの』/サンキュータツオ

 「これやこの」は、喜多八師匠の訃報を受けて、左談次師匠がツィートした2篇の和歌のうち一つからとっている。

「これやこの行くも帰るも別れては しるもしらぬも逢瀬の関」

百人一首 蝉丸

 表題作は、タツオ氏がシブラクのキュレーターとして舞台の裏と表を行き来しながら、芸人としての生を全うする2人の師匠の背中を追った渾身のエッセイだ。死であるのか、生き様であるのか、安易に悲しむこともできず、出会うことの意味がずっしりと問われているような内容がその他にも綴られている。その他と表現することも本来は全く的確でないが、彼の心に刻まれた存在を彼の表現を超えて語ることは不可能だ。米粒写経の談話室で雪の積もった外階段を「ここまで歩いてきたよ」と言いながら登っていくタツオ氏の動画を見た。息を切らせながらもどこか心は弾んでいるようで、その童心が一体どこから来ているのかと思った。幼さではなく、愛おしい相手に向けたメッセージにも思えたが、それはエッセイ集に収録された「空を見ていた」と題された出会いの、扉絵を見て腑に落ちる。
 私は、こうした弔いのエッセイが、感動ポルノのようなコンテンツとして消費されていることへの警戒と葛藤がタツオ氏になかったはずがないと思う。それでも京都アニメーションの事件と須田幸太のピッチングを書ききったという凄み。あとがきにおいては、「希薄になった死が、サイコパスのようになってしまった人々に、まるでカフェで食べたスイーツの感想を語るような自分語りのエンタメとして消費されて、もう長い時間が経つ。だれかの「死」はもっと、残されたものが人生をかけて考えるべき問題ではなかったか。」と明言される。

 シブラクの会場、入り口の脇で舞台上とは違う、読み取ることのできない表情で佇む彼に、私の浅はかさを見透かされないように慎重に気配を消してすれ違う。彼のキュレーションを私がどこまで理解できるかは分からないが、信頼してみたいとひそかに思う。


独りよがりの感想2:2024/6/16 シブラク14時―

柳亭信楽―「腰痛」


 脱力しすぎた雰囲気のマクラのなかで、客席から鳴る着信音。階段を駆け上がり退場しようとするお客さんの背に「これからですよ!」と声をかける。その機転に客席はどっと笑い、高座への関心はぐっと高まる。気だるさをまといながら話は進行していくが、それは私の予想を遥かに超えていく。2023年シブラクで「創作落語大賞」を受賞し、脚光を浴びた、その名も「腰痛」。町内のパワースポットというべき場所で生じる珍事件の数々。長編アニメーション映画『AKIRA』の玉座に座る鉄雄が、あらゆる物体を飲み込んでいく様を彷彿とさせる。B級映画とアニメと特撮が落語という手段において圧縮された、怒涛の展開。色どり豊かな素材が存分にギャグとして活かされ、爆弾級のくすぐりがてんこもりの、怪物作品だ。

快楽亭ブラック―「転失気」


 落ち着いた物腰ながら隠しきれないチャーミングさ。どぎつい下ネタもこの人だからと許せてしまう。ゆっくりと言葉を噛みしめ、一つ一つ漏らすことなく発する。奥まで堪能しつくした落語の、洗練された佇まいを感じた。威厳ある堂々たる風格の高僧の、しょうもないプライドとずる賢い小僧の駆け引き。「転失気」という言葉をめぐる、大人のいい加減な誤魔化しに、転失気という言葉を知ったあとにはゲラゲラと笑う。大らかで柔らかな雰囲気に包容され、「スカ〇ロプレイ」をも聞き流し、すっかりと師匠の落語に身を委ねる。

立川吉笑―「くじ悲喜」


 ほとんどマクラを振らずに臨んだ「くじ悲喜」。聴く度にその印象が微妙に変わっていくから不思議だ。くじを引く世界と引かれるくじ側の世界が反転したように見えて、そこにも持つものと持たざるものの絶え間ない争いがある。持たざる「くじ」が「持っていない」と自覚していく哀れさに、容赦なくサディスティックにこみあげる笑いは、所詮はどちらもくじに過ぎないということだからかもしれないが、非常にアイロニカルだ。悲しみと喜びが絶えず揺れ動き、ハラハラと落ち着きなく、その後もびりびりと刺激を受け続ける。

橘家文蔵―「子別れ」


 衿元から覗く赤い襦袢がほのかな色気を漂わせ、気だるい雰囲気のマクラから熟練した棟梁の面構え。悪妻と別れ、酒を断ち、身は清らかだ。古典落語「子別れ」ではあるが、数年ぶりに再開した我が子を捉えた時の表情。交わす言葉の一つひとつが愛おしく、また、空白の時間への申し訳なさが積み重なっていく。青々とした澄みわたる空の下で、それはまさに今日のような日の出来事に違いなく、何百年の時をこえてこの渋谷という街で邂逅したともいえる。手を振る我が子の行く先を余すところなく見届けたいという温かな眼差し。久々に再開した元女房には恥ずかしくって名前すら呼んであげられない、どうしょうもない意地も垣間見え、その時父でなく男となり、本当に馬鹿ね、あんたは、と女は声をかけるのだろう

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