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トルコ絨毯発祥の地で受け継がれてきた絨毯ーマラティア地方ー


木いっぱいに停まる鳥のデザインとフリンジが可愛いマラティア絨毯

◇「生命の樹」に込められた想い


現在、当ギャラリーの2階では5枚のマラティア絨毯が展示されている。

デザインは、絨毯のフィールドに1本〜数本の樹がレイアウトされたもので、どの絨毯もメインのモチーフの背景がワントーンでまとめられており絵本の1ページのような可愛らしさを感じさせる。

これらの絨毯は、2月に発生したトルコ大地震の際に崩壊したマラティア地方の工房から奇跡的に発見されたものだ。

工房の下敷きになったものだからだろうか。絨毯によっては折り跡(畳んで保管されていたのだろう)が残っているものもあり、地震により落ちてきたであろう家屋のパーツの重みを感じさせる。

当ギャラリーでは、このトルコ大地震が発生する2日前に「生命の樹の絨毯展」を開幕させた。その展示で「暮らしの中にお守りになるような道具を」という意味で、生命の樹をデザインに織り込んだマラティア絨毯とギャッベを展示した。

生命の樹は「健康・長寿」の他に「守護」の意味がある。
どんな過酷な環境にもどっしりと根を生やし成長する樹は、神のように人々を見守ってくれる存在として絨毯ではよく用いられるモチーフだ。
織子さんは、生命の樹に大切な家族や部族の長へ想いを込めて織り上げる。

当ギャラリーでは、2月9日からこのマラティア絨毯をはじめトルコ大地震の支援企画として一部の絨毯を割引して販売するチャリティーバザールを開催した。マラティア絨毯とギャッベを30%offで販売し、このキャンペーンで出た収益で関係の深いマラティアの工房や現地のバイヤーに仕事を依頼し、彼らの生活を継続的に支援することが目的だ。
現在も一部の絨毯を対象とし引き続きキャンペーンを行っているので、興味のある方はぜひ足を運んで頂きたいと願う。

今回のnoteは、このマラティア絨毯について考察する。

◇マラティアはどんな都市?

トルコの中央部からやや東寄りに位置している。
メソポタミア文明発祥とされるユーフラテス川の上流部であり、トルコ絨毯の発祥の地といわれるアナトリア地域にある。紀元前1600年頃に歴史に現れたヒッタイト帝国からマラティアの歴史も始まっており、トルコが国の体を成す遥か前から、都市として繁栄と衰退の歴史を繰り返した。
そういう歴史もヨーロッパとアジア、大陸の中間地点に位置する都市の運命であろう。

トルコ料理として日本でも馴染みのあるケバブ、アンズ(ジャム)などが伝統料理として伝わっている。マラティアと聞くと絨毯を知っている人以外には初めて聞くような場所だが、意外と昔から私たちの身近にあった地域なのだ。


◇マラティア絨毯の原点?-クルド人の文化


さて、今回の本題であるマラティア絨毯の起源について。
一言で表すとトルコ・マラティア産の絨毯の総称である。
ジャンルとしては成立しておらず、文献やサイトを探したが歴史がついぞ見つけられなかった。
そこで私が着目した点について、当社代表の今井にある疑問を投げかけてみた。

その疑問というのが、「マラティア絨毯はトルコ絨毯の中でもイスラム美術の様式を取り入れておらず、イランのギャッベに近い感じがするがなぜか?」というもの。
そこで目の覚めるような答えが返ってきた。

(左)マラティア絨毯 (右)ギャッベ それぞれのデザイン。
生命の樹をモチーフとして多用している。マラティア絨毯はトルコ絨毯によく見られるアラベスク文様やエスリミー文様などが織り込まれていない。

ギャッベはカシュガイ族に伝わる伝統の手織絨毯である。
言わずもがな、カシュガイ族は遊牧民でイラン南西部のザクロス山脈周辺で遊牧生活を送っている。
このカシュガイ族は元々トルコ系民族であり、トルコの民族が東へ移動したのがカシュガイ族の始まりとなった。(中央アジアからの多様な部族の移動もあったのでそれだけに限らないので注意。)
つまりギャッベ自体がイランが始まりではなくトルコから影響を受けているものだったのだ。

カシュガイ族を構成するトルコ系民族の移動の動線。
カシュガイ族の祖先は山々が連なる約2000キロもの距離を移動したのだ。

国としてのカテゴリーではなく、民族(人)としてのカテゴリーの見方で見ると、マラティア絨毯とギャッベに共通点が見つかるのも納得できる。

視点をマラティアに戻そう。
マラティアで暮らすのは主にクルド人だ。クルド人の文化を辿ると、マラティア絨毯とトルコ絨毯の違いが見えてくるのではないかと当たりをつけ様々に文献やサイ
トを探してみた。

しかしこれに関しても、記述はほぼ見つからなかった。
国を持たない(歴史を見るに国を持てなかったという表現の方が近い。)クルド人は伝統文化や芸術を受け継いでいくこと自体が難易度が高く、あったとしても遥かに距離のある日本にそれが届くのはとても困難なことだったのだろう。
そういう民族であるクルド人が、マラティアでは大半の人口をしめる。
少しややこしく感じる話だが、民族として国はないが世界には広く分布していると考えれば整理しやすいかと思う。

余談になるが、様々な仮説の根拠が得られず苦しむ私に当社役員の松澤が新たな視点を与えてくれた。
「マラティア絨毯の記述はないが、マラティアに絨毯そのものは古くからあった。なぜならトルコ絨毯発祥の地であるアナトリア地域の都市だから。それが、ヘレケやカイセリなど世界的にも有名な絨毯に押され、記述そのものが残されなかったのではないか。」

アラベスク絨毯の記事でもまとめたが、トルコには世界に名を轟かせた絨毯の産地がある。そこに比べてマラティアに歴史的な光が当たらなかった理由として、この仮説は大きな説得力がある。

歴史から地域を俯瞰する視点は、とても重要なので常に注意したい。

では早速視点を変えてみる。
クルド人の織物に焦点を当ててみると、ほんの少し現在のマラティア絨毯に通じるデザインが見えてくる。

ホラサーンクルド族のパイルラグに現在のマラティア絨毯と色合いがよく似たものがある。
フィールドに魔除けを意味する菱形が縦に並び、その端に角が8個ある変則的な四角の図形が配置されている。中央アジアや中東で魔除けの意味があるといわれている八芒星の形に似ているので、このラグでもおそらく同じ意味があるのだろう。

ホラサーンクルド族のパイルラグ

このラグの色合いが、マラティア絨毯特有の深い色合いによく似ているのだ。また、感覚的になってしまい恐縮だが他のトルコ絨毯に比べ少しざっくりとしたモチーフのレイアウトは、現在のマラティア絨毯によく見られる可愛らしさを想起させる。

マラティア絨毯


◇マラティア絨毯の心地よさの理由

マラティア絨毯を表現する方法として、これまで何度か「しっとり」「艶やか」などと表してきた。その理由は素材にある。

マラティアのあるユーフラテス川の上流部には肥沃な大地が広がっている。
マラティア絨毯は、その大地で生まれた羊の一番最初に刈り込む毛を使用する。つまり子羊の毛だ。
期間限定の希少な毛なので大量生産は難しく、それを素材とするマラティア絨毯自体が希少となる。

羊の毛は大人の毛でも十分に弾力があり艶やかだ。子羊の毛はそれに比べてさらに柔らかく、人間の手に吸い付くようにしっとりとしている。
素材の特性として毛が柔らかく軽さもあるため、厚みがあっても丸めやすい(コンパクトにまとめやすい)。

移動しやすいので暮らしの道具としても使いやすい。

羊の毛は多分に油を含んでいるため、
糸にする際に染色しやすかったり人が触れて心地いいくらいまで油分を落とす。


文明の発祥の地であり、移動する民族・クルド人が多く住むマラティア。
そこで生まれた絨毯はトルコという国の枠組みに囚われず、むしろ遊牧民の感性に近いものを感じさせる。

家族や部族を生きる基準の単位とする彼らは、神への祈りよりも一緒に生きる人々の安らぎを絨毯の上に作り出している。

絨毯は、その心地よさゆえに人を集める。
その上で一緒に食事をし、語らい、時には一緒に眠る。
そうして、大切な人とのかけがえのない時間が育まれていく。

今回紹介したマラティア絨毯も、誰かの大切な人と育む時間に迎え入れてほしいと願っている。

トルコの織子さんたち。背景からかなりの高山地帯であることが伺える。




執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会 
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。

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