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あのとき、言葉があったなら

MONO NO AWAREの曲に「言葉がなかったら」という歌がある。

言葉でわかり合おうとしても、限界がある、わかり合うことができない。だったら、いっそ「言葉がなかったら」わたしたちはどう分かり合おうとするだろうか。もしかすると、もっとわかり合うことができるかもしれない。そんな可能性を示唆している歌だと解釈している。

最近「言葉があったなら…」と思うことが多い。会話することが怖い。うまく言葉が出てこないのだ。言葉が出てこないというか、頭が上手く動いてくれないのだ。そのたび自分に対する諦め=その場の期待に応えられない自分への諦めが、私を包み込む。

むかし、ワークショップ界隈のサークルにいたときは、対話が好きだった。知らない人と話すことは緊張したけれど、そこから新しい自分が生まれる感覚は、何物にも代えがたい興奮があった気がする。

いつからか、対話の場に行くことが苦手になった。人間関係を等価交換として捉えるようになった気がする。新しい場所に行くことに対しても、何となく抵抗感を覚えるようになった。

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トラウマという言葉は、過去に全ての原因をなすりつけている感じで、好きじゃない。だが、それでもあえて過去を振り返るならば、大学時代の恋愛経験に立ち戻らなければいけないと思った。恋愛経験はあまりない。だからこそ、根強く、残っているのだと思う。

当時の彼女と別れる前、彼女の日記の切れ端を渡された。書かれていたのは”私が体調を崩したのは、あなたのせいだ”という趣旨の言葉。「あなたがいるから、私はしばりつけられていて、自由でいられないのだ」

(あくまでこちら視点なので、本人が事実どう感じていたかわからない)衝撃を受けたのを覚えている。身に覚えがなかったからだ。何か明確に相手を縛り付けたり、傷つけることはしていなかったと思う。彼女ができたことに浮かれて、多少は気持ち悪かったかもしれないけど。。(あくまでこちら視点なので、本人が事実どう感じていたかわからない)

相手も若かったし、恋愛以前に当時の彼女の周囲でいろいろあったみたいなので、余裕もなかったと思う。そう書いたのは仕方がないだろう。

大事なポイントは、それに対する私のリアクションは「謝る」だった点である。自分にすべて原因がある、という形で受け入れた"フリ"をした。(当時は自覚していなかった)

そこからは自分の心に嘘をつく毎日だった。とにかく自分の行為を日々反省した。自分は○○がダメだった、あの場面ではこうすべきだった、人間としてこうなるべきだ。とにかくメモをした。反省、反省、反省…

やり方としては、まず自己啓発本やら哲学本やら、本を読み漁って「正解」を探した。そしてその「正解」と照らし合わせて、自分の「反省点」を抽出した。

探してみると「正解」みたいなものは、たくさん見つかった。無限に見つかった。ある本では「Aしろ」と書いてあるのに、別の本では「Bしろ」と書いてある、みたいな矛盾もたくさん出てきたが、無視した。

自分の心の弱さと、完璧主義な性格も影響し、たくさんの「反省点」が見つかった。「反省点」がたくさんあると、自分は本当にダメなやつに思えてきた。自信がなくなって、周りに遠慮するようになった。こんな自分が何かを言ったとしても、意味があるのだろうかと考えるようになった。

次第に、自分がどうすれば良いのかわからなくなっていった。行動ができなくなった。自信がなくなったから、チャレンジを恐れるようになったというのもあるが、自分の「心」がわからなくなっていったのだ。無数の「正解」と「反省点」が、私の周りを取り囲んでいる。でも、そこに自分の心はない。例えば「どうなりたいか?」と言われたとしても、「○○しない自分でありたい」のようなネガを無くすというような、視座の低い回答しかできなくなっていた。苦しかった。

常に違和感みたいなものは、自分のなかにあった。そもそも彼女からなぜそんなことを言われないといけないか、理解ができなかったし、納得もしていなかった。なんなら「なんでそんなことを言われないといけないんだ」とすら思っていたかもしれない。

いま、思い返すと根底にあったのは、「怒り」の感情かもしれない。

あのとき、そこにはたしかに「怒り」があった。存在した。でも、無視してしまった。なかったことにしてしまった。思い返して、後から解釈を加えることはできても、あのときの「怒り」には、もう手触りがあるかたちで触れることはできない。

***** 

どうしたら誰かを傷つけず、「怒り」と向き合うことができるのか。私は何に怒りを感じていたのか。彼女?それとも「反省」という安易な方法に飛びついた弱い自分?

どうしたら言葉にならないもやもやを、言葉にすることができるのか。(いや、そもそも言葉にしなくてもいいのか)

冒頭に挙げた、MONO NO AWAREの「言葉がなかったら」、これが本当に名曲だと思うのだが、歌詞の最後が特に良い。(ぜひメロディと合わせて、聞いてみて欲しい)

”あいつやあなたにも言ってみたかったこと
いざ目の前にすると口をつぐんでしまうこと
言ったってやらなけりゃ意味がないという人
見返すためにもとりあえず言おうかな、言わなきゃな

言葉に直したら嘘になってしまうとしても
ギリギリのところまで表していたいんだ”

(MONO NO AWARE「言葉がなかったら」の歌詞)

自分の心に嘘をつかないために、言葉にする行為を止めてはいけないのかもしれない。

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