「良い定義」ってなんだろう

最近「良い定義」とそうでない定義があるような気がして、少し考えている。定義は、基本的にコミュニケーションを円滑に行うために行われるものだと思うが、なんだか良いものとそうでないものがある気がしている。

たとえば「日記」を定義するとして、「日記とは、毎日の出来事や感想を記録したもの」なんて言われても、「それはそうなんだけども…」という気持ちにならないだろうか。

「共感」とは?

最近、会社の上司が「共感とは何か」をずっと考え続けていると、話題に挙げていた。デザインにおいて「共感」は頻繁に使われる言葉であるが、いまいちハッキリしない言葉である。多少の違いはあれど、おおよそ共感とは「現場(コンテクスト)を観て、ユーザーを理解すること」という説明が一般的だと思う。

が、彼が言うには、「共感」とは、ユーザーを見れば良いという生半可なものではなく、「行動を起こさざるを得ない状態にまで身を置くこと」であると言っていた。(正確には忘れたので、おおよそこんな感じだったような、すみません)

なるほど、個人的にはしっくりきた。「共感した=行動に移さざるを得ない状態になった(衝動といってもいいかもしれない)」ということであり、「共感する=そういう状態に至るための体験をした、行動をした」ということなのだ。

どうだろう、何か本質を説明しようとしている印象を受けないだろうか?

「体験」を伴った定義

まだはっきりと言語化できていなくて大変恐縮なのだが、私が思う「良い定義」とは、何かしらそこに「体験」を伴った定義である。「働きを説明した定義」もしくは「内側からの定義」と言っても良いかもしれない。

外から眺めて、それを要素として分解して、表面的に説明したものではない。”誰か”が体験を通じて、思考によって熟成された「定義」。そんな「定義」に出会うと、ハッと新しい世界を見せられたような感覚になる。

私も日々の試行錯誤のなかで、ふと言葉にしてみることで、自分なりの定義というものに出会えたら素敵だなと思っている。

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♪ Nulbarich「Silent Wonderland」


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