本屋に通ってしまう病

「本屋に行くことは、旅行である」というフレーズを耳にした。僕はとても共感できる。本屋に行くだけで、あらゆる思考や感情を体験することができるからだ。

僕が本屋に行くのには、3つのパターンがあると思う。「情報収集」「仲間との出会いを求めて」「未知との出会いを求めて」である。


1つ目は、情報収集。

このパターンは、おおよそ2つある。まず、ある程度狙いが定まっていて、特定のテーマやキーワードをもとに探していくケース、例えば「カンタンにできる料理レシピ本」を探そうといったような場合だ。

もう一つは「最近は何が話題なのかな、流行っているのかな?」といった、ゆるやかな狙いがあったうえで、物色していくケースである。最近出たのはどんな本かに加えて、書店員の推しメン・推しテーマ(=どんな本の並び/書棚の作りになっているか)というのを見ていくイメージだ。

2つ目は、仲間との出会い(もしくは再会)を求めて。

これは大げさに言うと、精神安定剤的に本に触れるというイメージだ。何か勇気づけられる人やフレーズを探し求めて、ペラペラめくっていく。ビジネス書や自己啓発本は、こういうやり方で済ませてしまう場合が多い。

あとは、懐かしさを感じられる本である。たとえば絵本コーナーで幼い頃に読んだ本をぺらぺらめくるとか、大学時代に学んでいたテーマの分厚い本をタイトルだけ眺めてみるとかである。

本に触れるということは、他者に触れるということである。本に触れながら、励ましてくれる人や安心できる場所を探していく、そんなイメージである。


最後の3つ目は、未知との出会いを求めて。

これが最も旅行的と言えるかもしれない。本屋に行くだけで、自分の知らない世界に気軽にトリップできる。

このケースでは、カテゴリー、タイトル・装丁を見ながら、直感だけを頼りに、本を探していく。ピンときたら、とにかく手に取る。違和感でも構わない。

このときのポイントは、馴染みがないとか、とっつきにくいと感じる本を、合間合間に挟んでいくことだ。例えば私の場合でいうと、音楽の歴史とか、宗教とか、電気工作などがこれにあたる。

本をめくっていて面白さを感じなくても、その情報の断片が頭の片隅に残っていて、ふとしたときに思い出したり、ハッとした気づきにつながる。


以上、僕の場合の、本屋へ行くパターンでした。人によって、色んな楽しみ方があると思うので、共有してみると面白いかもしれない。

ここまで書いて改めて思ったのは、本屋だからといって、本そのものについて考えているとは限らない(そして考える必要はない)ということ。

環境として、本に囲まれた空間。
そこで何を考えるか、何を感じるかは、その人の自由だ。

目的を持たなくても、ふらっと立ち寄って、自分だけの出会いがある、
それが本屋の魅力なのかな、と思ったりする。

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