服を買いに行くのがどうしても苦手

今年で26歳になるが、恥ずかしながら服を買いに行くのが苦手だ。どうしても服を売っているお店に行くと、アウェーに感じてしまう。

多くの人は、学生時代もしくは社会人になったタイミングで、身だしなみを意識して、服にお金や時間をある程度使い始める。それによって学びながら、服を買うことに慣れていく…そういうケースが多いと思う。僕はそうしてこなかったから、学び忘れてきた感覚だ。

だから、服を買うというテーマで書くけれども、自身の「学び忘れてきたもの」や「アウェーに感じる場所」なんかを思い起こしながら、比較して見ていただければと思う。

①やっぱり誰かに見られている感じが落ち着かない
店員からの視線が気になる。どんな服装をしているのか、センスがあるのかどうなのか、お店に一歩足を踏み入れた時点で、自分への評価がスタート。「いらしゃいませ、あなたはどんな人か、この店にふさわしいかどうか観察させていただきます」と言われているような感じがしてくることもある。

さらには周りのお客さんとの距離感も気になる。相手と比べて、あまりにも貧相な恰好をしていると、自分は不釣り合いなのではないか、なんて気がしてしまうのだ。

②全体像がわからない
これは知識経験が不足しているため、目の前の服を正しく評価できないことによって起こる。どういうことかというと、例えば、目の前の商品は、服カテゴリーの中でどんな特徴を持ったもので、どんな良いところがあるのか。隣に置いてあるものと、どんな違いがあるのか。また、他のお店と比べたときにどうか。もう少し良い色のもの、もう少し素材がよいもの、もう少し…なんて考えていくと、決められない。可能性を絞れない。もっともっと…と欲がわいてしまうのだ。

③正解がわからない
良さげな服が見つかったとしよう。では、それが自分に似合っているかどうか、どう判断したら良いのだろうか。試着して、店員さんの意見を聞いて、判断を迫られる。だがお店に来て、緊張している僕にとって、冷静に判断することは、難しい。

そもそも前提として、服選びに正解などなく、正解がないところがファッションの魅力なのだということはわかる。だが、ビギナーの僕にとっては、なんだか一定のレベルをクリアせねばいけない、みたいな謎の思い込みが生まれてしまうのだ。


ということで、超主観で服を買いに行くのが苦手な理由を述べてきたが、自意識過剰という言葉にまとめられるのかもしれない。

Netflixの「クィアアイ」のなかで、ファッション担当のオードリータンが、着る服というのは自己表現であり、ファッションを変えることで自分の自信につながる、といった趣旨のことを言っていたような気がする。

たしかに、新しい服を買って、実際に着てみることのうきうき感みたいなものは確実に存在していると思う。

ファッション弱者の私から言えることは、(もし同胞がいればの話であるけれど)ビビりながら服屋に行くのも悪くないということ。そして、実際に店員の人は優しい。こちらが構えなければ、色々教えてくれる。

なんだか非常に低レベルな話をしてないか心配になるけど、自分が色々考えすぎて、素直に相手を観察できない、聞く機会を逃してしまうことってあるよね、という話でした。


🎵 神様、僕は気づいてしまった「ストレイシープ」

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