2018/9/28 劇団サラダボール『髪をかきあげる』『川底にはみどりの魚がいる』

劇団サラダボール。四国学院大学、舞台芸術コースのある大学の准教授でもある演出家・西村和宏氏が率いる劇団。
2011年、大学に舞台芸術コースが出来たことをきっかけに、劇団が東京→香川に拠点が移り、昨年から"拠点四国"を宣言し、今回2回目の四国ツアー。


劇団サラダボール 
『髪をかきあげる』『川底にはみどりの魚がいる』愛媛公演
作: 鈴江俊郎 / 演出: 西村和宏
2018/9/28 観劇・愛媛公演 広報協力
シアターねこ(愛媛県松山市)


『髪をかきあげる』
恋人、同僚、友人、教え子、すれ違う孤独を抱えた人たちを描いた群像劇。

みんな少しずつ足りなくて、不器用で、足りない瞬間を埋めるために、不器用ながらもがいている。それは馬の嘶きのように時に醜くて、でもその不器用な精一杯が、集落を生きる蛍たちの求愛の仄かな光のようでもあって。
OLも、学生も、優男も、不男も、不思議ちゃんも、夫婦も、同じような場所で同じようなことを言って。繋がるか繋がらないかなんて、運とかそんなものでしか無いのかな、なんて。でも、その似たような日々の中に、醜くても不器用でも精一杯に晒して光ろうとするから、繋がる可能性が生まれていく。それでも交わらない時は交わらなかったり。
光が届いて、手を繋げた人々はふと笑っちゃうくらいに可愛くて、でも届かない、届いても交わりきれないのもそれが人であり光であって。そんなもので。誰もがきっとそんなもので。


『川底にはみどりの魚がいる』
戦争が始まった近未来。召集令状が届き、死地へと旅立つ残りわずかな数日間を恋人と、元恋人と過ごす緩やかな時間の物語。

たった少しの数日間。残り僅かの時間が、留めていたものが飛び出していくきっかけになる。言い訳なんてなんだって良いよ。忙しさや日常や言い訳の向こう側に隠れて隠していたものが、崩れて、晒して、浄化していく。
なんで終わりの瞬間って、ちょっとずつ優しくて、ちょっとずつ正直で、こんなにも透明で切ないのか。そしてその刹那を共に過ごせたことはきっと、これからの希望にもなるはず。
式を終え、戦地へ赴き舞台を降りて歩いていく姿と、舞台を降りる前に振り返った姿は、残された二人の見えない希望でもあるんじゃないかなと思ったり。


二つの物語で、共通して見えたもの。
人はちょっとずつ孤独で、ちょっとずつ分かり合えなくて、そんなものだと思うと少し安心して、でもわかり合おうと必死で、分かり合う瞬間が訪れた時がとても嬉しいことも知っていて。

チケットの半券が各作品の二枚を繋ぐと言葉が出てくる仕様なんだけど、繋がる喜びと、孤独が同時にやって来る。
"私のそばには人がいない" "きっとこの世ではもう二度と会えない"
でもなんとなくその言葉たちの片隅には、希望が寄り添ってくれているような気がするのですよ。

そして、二つの物語を共通して彩った舞台美術がとても魅力的でした。
川と、橋と、街と、家と。
街は、不器用で必死な光だったり、少しだけ正直になれた人たち透明な輝きで明るみを増し、川を渡す橋がそんな彼らの心を繋ぐ架け橋でもある、街から延びる川の流れは、そんな人々の営みによってたゆたう心や魂が現れる場のようでもあり、川下にぽつんと立つ家が孤独で、そんな孤独も安らぎや穏やかさでもあったり。

ああ、哀しくて、繋がりきれなくて、でもそんな人たちが、人間がとても愛おしかったりする。
良い作品。これから観る人たちにも、何かしら届く時間でありますように。そして観た人とどこかで会えた時に、感じたことを話したり出来たら嬉しいな、と。

http://www.notos-studio.com/contents/event/event/3278.html

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