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#46 違法スレスレの建設計画 明和地所

 違法スレスレの建設計画とは、少々言葉が過ぎるタイトルだと指摘を受けるかもしれない。しかし、現実を日本語にすると、この表現となる。

 明和地所は説明会で「建築法の基準内で建設をします。法的には問題はありません」と言っている。先日の読売新聞社の取材でも「法令に基づいて事業を進める」と述べている。確かにそうかもしれない。計画では境界から50〜120センチの間隔をとっているので、「境界から50センチ以上の間隔をとる」という基準はクリアしている。法令上は問題ない。しかし、このマンションが1円玉の半分ほど境界に近づいたら、それは建築法に違反してしまい、違法となる。つまり、違法スレスレなのだ。「違法スレスレの建設計画 明和地所」というタイトルは言葉が過ぎることはなく、事実かつ真実である。

 ビジネスの世界だから、このようなことは当然のことだと言われるかもしれない。法を守っているのだから文句はあるまいと。しかし、建築は、人間が生きる空間をつくる仕事だ。しかも、規模が大きい。利益だけを追求するわけにはいかないこともあるだろう。

 良識とか情緒とか礼節とかマナーとか謙虚さとか善意とか倫理とか、そして、文化意識、環境問題、他人の権利の尊重。そのようなものと法が調和して人間社会は成立し、豊かに発展してゆく。反対に、それらを軽視して法だけの判断で突っ走ると社会は混乱し、疲弊してゆく。

 明和地所の説明会の際、相模国分寺跡史跡の景観を守りたいと発言した市民に対して、担当者は「僕たちは事業としてやっているのです。それは感情的なものです」と発言し、感情論として無視した。
 ビジネスの世界に、感情論は無用だ。法に違反していなければ問題はない。基準を守っていれば何をしても構わない。

 本当にそうだろうか。

 世の中は、決して法だけで動いているわけではない。
 崩れゆくように見える、いまの日本社会、そして世界情勢をみるとき、いま一度立ち止まって考えてみたい。
                            (22.11.11)

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