血脈の名

WTRPG「ファナティックブラッド」の2次創作小説です。※非公式。
感情の供養。判る人に届く事を祈って。

血脈の名

『凪の月。テト族が滅び、パシュパティ砦が落ちた。私が名を肖った砦が失われたのは胸が痛む。赤子一人救うのが精一杯だった。この子が太陽と猫の戦士の、最後の生き残りとなった。辛い道を歩むことになるだろう。私の様に』

 ――あるシバ族の戦士の日記より

 サルバトーレ・ロッソ漂着から遡ること、数年前……

「うにゃぁーッ! フカクを取りましたにゃーッ!」
 木漏れ日の差す深緑の森の中、甲高い少女の声がこだまする。
 仰向けで地面に転げ回る少女の顔面には、彼女の頭蓋程もある大きさの蜘蛛型歪虚がしがみつき、ギチギチと不気味な唸り声をあげていた。
「だぁから歪虚の森になんか来たくなかったんですにゃー! リフジンですにゃー! この世のフジョーリを一身に引き受けてますにゃーッ!!」
 少女は蜘蛛を剥ぎ取ろうと暴れもがくが、八本の節足はガッチリと彼女の頭をホールドし、全く動かない。
 未だ成熟してない細身は頼りなく、完全に力負けしている。
「あ゛ー、このままではイッカンの終わりですにゃー! この若さで歪虚のエサとか嫌ですにゃー! 死ぬときは天葬って心に…………にゃ?」
 ふと……唐突に蜘蛛が脱力し、テトから離れた。
 否、離されたのだ。
「テトや……お主、もうちょいマトモに抵抗できんのか」
「シ、シバ様ぁ~」
 テト、と呼んだ少女を見下ろしたのは、親代わりの老戦士シバだった。
 皺だらけの顔とは不釣り合いの体躯で、掴んだ蜘蛛歪虚の息の根を止め、その骸を放り投げる。
「無理ですにゃぁ~、怖いですにゃ~、敵いませんにゃ~」
「これくらい下級の歪虚ならば、相手取れると思うたんじゃがなぁ」
 大袈裟に猫背を丸めるテトに、シバはため息をつく。
「お前さんはほんに、腕っぷしが弱いのぉ。儂と同じく祖霊を宿しているとは、到底思えん」
「恐縮ですにゃぁ……」
 老練なる蛇の戦士シバに育てられたにしては、そしてマテリアルの加護を受けた霊闘士にしては、テトは余りにも軟弱だった。
「相見えたときの及び腰が、特に酷い。一体何をそんなに……」
 シバは説教を垂れ始める直前、愛娘が未だガクガクと震えているのに気づく。甘いとは解っていても、言葉を止めた。
「……まぁ、ええ。次は今回よりは長く戦ってみせい」
「が、頑張りますにゃ~」
「言うたな。自らの言霊を裏切るでないぞ。魂が萎むでな」
 次いだ言葉は、優しいがゆえに厳しく。
 テトは黙って頷くと、生来の猫背を微かに伸ばした。

 シバが孤児であった赤子を救い、名前と生きる道を与えたのは、既に十年よりも昔のこと。
 彼女以外はみな死に絶えたその部族は、太陽と猫とを崇める血脈だった。
 幸か不幸か、テトは祖霊との精神的繋がりが激しく、今や仕草や会話にさえその影響が見て取れるほど。才覚は十分と、シバは大いに期待を寄せた。
 ……にも関わらず、戦士としてのテトは貧弱を極めた。非力。へなちょこ。クソ雑魚ナメクジ。そして何より、生来のビビリ屋。
 持てる知恵と技の総てを彼女に注ぎ込みそして徒労を悟ったシバは、後継者が欲しい戦士のエゴイズムと、我が子の持って生まれた気質を認めんとする親心との間で、多少の葛藤を克服せねばならなかった……今となっては、昔のことだ。
「にゃん。にゃん。にゃん。歪虚の森は嫌ですにゃ~。こわいですにゃ~。かえりたいですにゃ~」
「余り離れるでないぞテト。いくら儂とて、目の届かぬ所でお前が食われれば助けられぬ」
「ひぇぇ」
 救いは、テトがその心に、臆病のみならず単純明快な朗らかさも持ち併せたことだった。
 彼女は先ほどのことなどもう忘れたかのように、小唄を歌いながらシバの前をぷらぷらと危なっかしい足取りで進んでいく。
 ……あるいは、愚鈍な子なのかもしれぬ。だが、心に闇を抱えるよりは何倍もいい。心に巣食った闇こそは、最も恐るべき敵を呼び寄せるのだから。
「テトや、足を止めい」
「にゃい」
 ぴたりと、テトとシバは立ち止まる。
 まずシバが屈みながら目の前の藪に歩み寄り、その向こう側を覗く。弟子も、それに倣った。
 枝葉の隙間から視線を伸ばせば荒野が広がり、遠く緩やかな丘の上には古い石造りの建物が、ぽつんと建っているのが見える。
「……お城ですにゃ?」
 目を凝らしてからテトは、しがみついているシバの顔を見上げた。
「うむ。儂はあそこで、お主を拾った。十一年前の凪の月、凍てつく吹雪の日のこと」
「……!」
 太陽と猫の部族の末裔は、既に己の境遇を理解し、また受け入れていた。
 金色の猫目を真ん丸に見開き、数秒固まったあと……ところどころ崩れかけた件の建物を見据える。
「名をパシュパティ砦。あの日の負け戦以来ずっと、今なお歪虚の巣窟となっておる」
「じゃあ、あれが……私の、私の部族の……」
「然り、あれこそはお主の部族が、かつて治めた砦……即ち、お主の故郷よ」
「…………」
 テトは、何度か瞬きし、深い呼吸を刻んでから……決意の表情でシバを見つめた。
「……だから、私をここへ。これからあの砦を、取り戻すのでございますね。私の、部族の、魂の寄る辺を」
「うむ、違う」「え」
 即答。テトはガクリと体を傾けた。
「あほぅ、中にも外にもどんだけ歪虚がおると思っとるんじゃ。スコールやオイマトの戦士が総出で掛かっても陥とせやせんわ」
「ふにゃぁ、シバ様思わせぶりですにゃー。一瞬ハラ括りかけましたにゃー」
「未来を見据えい、愛し馬鹿弟子よ。あれは標(しるべ)。今は叶わずとも、いつか取り戻す。そこへ向けて歩んでいくための標なのじゃ」
 古傷だらけの指が、テトの髪を優しく撫ぜた。
 テトは再び、深い金色の瞳を、パシュパティ砦へと向ける。
「しるべ……」
「うむ。それをお主に教える為に今日、ここへ来た。それから、もう一箇所もな」

 砦から離れて暫く歩き、更に森の奥へ。
 一見して鬱蒼と繁る森……そこは決して安全な領域ではなく、遠く微かながら歪虚の気配は絶えない。シバはテトを護りながら、慎重にその歩を進めていた。
「うにゃー、シバ様怖いですにゃ~。絶対なんか居ますにゃぁ~。さっきから狙われてますにゃ~。リアルブルーに名高きコウメイノワニャですにゃ~」
「やかましいっ、いい加減にしゃんとせんか」
 相変わらずテトは及び腰で、シバは呆れ顔でその頭をこつんと叩く。
 しかし、彼女の怯え様は極端にせよ、ここに至って恐怖心を抱くのはなんら不思議は無い。
 既に二人は歪虚の領域に深く足を踏み入れていて、危険を避けて歩けるのは、シバの老練なる経験と知識あってこそだった。
 そうでなければ、これほどの歪虚の蠢く森で、襲撃を受けずに移動することはできはしまい。
「儂がついておってなお、それほど不安か」
 シバは極力、言葉に含む棘を丸めた語調でテトに言った。
「不安というのは、少し違うんでございますにゃ。にゃんだか……その」
 言い淀むテト。足が微かに震えている……先程、歪虚に襲われた時の様に。
「うまくは、言えにゃいのですにゃ。けれど……でも、」
 シバは黙してテトを、その仕草を注視した。
 震える足。小刻みにヒクつく耳、忙しなく焦点の定まらない視線。
 テトの抱える違和感が、少しずつシバに伝播していく。
「少し前から、何か……何かがいますにゃ。怖いだけとは違う、にゃにか」
「テトや」
 テトの額に浮かび始めた冷や汗を、シバは親指で拭ってやった。
 帰りたいというだけで嘘をつく子ではない。
 そして、枯れ尾花を見て歪虚と見間違えるほどに愚かな子でもない。
 少なくともシバは、そう信じていた。
 全身全霊の警戒を周囲に向けながら、静かに一歩、テトに歩み寄る。
「一つの言霊だけを選んで儂に伝えよ。儂は、誓ってそれを軽んじはせぬ」
「あぅ……うう」
 テトの髪の毛は、いまや微かに逆だって危険を訴えていた。
 シバですら殆ど見たことがない怯え様だが、しかしその原因は、シバにはわからない。
 ならば、信じるしかなかった。愛弟子、愛娘の言葉を。
「ふーっ、ふーっ……」
「気を静めよ。見るのは目にあらず、語るは口にあらず、全てお主の魂が為す」
 紡がれたシバの言霊に、テトは一度目を閉じ、何かを待つように数秒ほど沈黙した。
 ……そして徐ろに、
「上ですにゃ」
「うむ」
 瞬間、『それ』は二人に迫った。
 シバはテトを抱き寄せると、上体を低く伏せつつ剣を抜き、渾身の力で頭上の空間を突き上げる。
 どす、という鈍い手応え。
 シバの肩口に裂傷が走り、血が流れる。
「シバ様っ!」テトが、シバを強く抱きしめた。
「案ずるな。仕留めた」
 一撃で十分。シバが握る剣の先で、黒い煙のような影が、ゆっくりと霧散し、やがて完全に消失する。
「わ……歪虚、ですにゃ?」
「おそらくは、な。決まった形を持たぬのじゃろう、故に我が目は欺かれた」
 浅い傷口の血を拭いながら、汚れていない方の手でテトの背を撫ぜる。
「私……よくわからにゃかったんですけども、とにかく、怖いって。怖いにゃにかが、こっちを観てるって……」
「ええ。ええ。相手を恐れたがゆえ、儂では気づけぬ気配も悟れたのじゃろう」
 おそらく、動物が自らの身を守るために備えた、本能的な勘。幼さゆえか生来の気質か、テトのそれはとりわけ敏感なのかもしれない。
 あるいは、自分のそれが衰えたか……シバは、その思考を雑念として振り払う。
「これはお主の功じゃ、ようやった」
 皺だらけの手がテトの体を再び抱き寄せると、彼女の震えはやがて治まった。

 歪虚の襲撃を退けてから二人はそう間を置かず出発し、そして少し歩いてから、再び足を止めた。
「ついたぞ、ここが今日の、本当の目的地じゃ」
「ここ、は……」
 辿り着いたそこは、森の中に湧いた小さな泉だった。
 泉の水は透き通り、歪虚が徘徊する森にあってその一帯だけは、穏やかな静寂に包まれていた。
 そして泉の脇には、明らかに人の手によって積み上げられた、石の山。
「……っ」
 背の小さなテトは、大きくを頭を見上げてその頂点を見る。
 それは……塚、だった。清めた土を盛り、守護のまじない紋様が刻まれた石だけを高く重ね、築かれた塚。
「………………お墓……」
 テトは、シバを振り返り、そう一言、呟いた。シバは、頷く。
「無事で良かった。時折確かめには来ておるが、そのたび歪虚に荒らされておらぬか心配でな」
 運命のあの日、滅びの道を辿ろうとするテトの一族を救うためシバは戦場に馳せ参じ、そして完膚なきまでに敗れた。
 自らの無力に打ち拉がれながら逃げ落ちんとする時、もはや会話さえままならなくなった瀕死の戦士に遭遇し、無言で赤子一人を預けられた……それが、テトである。
 傷が治ってから、シバはパシュパティ砦へと戻り、歪虚の目を欺きながらできるだけ多くのテト族の亡骸を回収し、弔ったのだ。
 シバはテトに、そう、経緯を語ってやった。
「あの頃は、この森も安全な場所だったが、今はこの通りじゃ。お主がある程度大きくなるまでは、連れてこられなんだよ」
「…………っ」
 テトは、無言で塚の前に跪き項垂れると、目を閉じて何かを囁き始めた。シバにさえ聞こえない小さな声で、呼びかける様に。
 シバは、その背中をじっと見守り、想いを巡らせる。
 あの瀕死の戦士が、テトの親であったという確証はない……この子の父や母は、果たしてこの塚に眠っているのだろうか。
 テトが本来もっていた名前さえ、シバは知らない。
 故にあの日、シバは赤子に新たな名を与えた。自分自身が、かつてそうしたのと、全く同じ願いを込めて。
 部族の最後の一人、故に部族そのもの、その運命を担う者として……
「おまたせ致しましたにゃ」
 そうこう考えるうち、テトは祈るのをやめ、ぴょんと跳ねる様に立ち上がった。
 表情を見れば、いつもの彼女だ。臆病者で、けれど明るく正直な、愛し馬鹿弟子。
「祖先に挨拶せい、というつもりじゃったが。その必要も無かったな」
「はい。みんなの血脈と誇りは、まだ生きておりますと、未来に残しますと……そう、報告いたしましたにゃぁ」
 金色の猫目が、わずかに大人びた視線をシバに向ける。
 ときおり見せる、この目つき。これだ。これこそが、希望だ。シバは想った。
「また、来れますにゃ?」
「今度は、儂ぬきでも来れる様にならんとな」
「ふにゃぁ、それは大変そうですにゃ」
 テトが萎れるように脱力する。シバは頬を緩め、テトの背中をポンと叩いた。
「いずれ成せる。お主は、赤き大地に生きた、彼らの子なのじゃから」 
 ……もはや、戦士の誉れが大局を、歪虚との負け戦を変える時代ではない。
 だが気づいたシバでさえ、すぐに変わることは出来ない。生き延びるために、積み上げてしまった業があった。
 だからこそ、変化を創るのはきっと、この子の役割なのだ。
 自分とは違う……いまだまっさらな、この子『たち』の。
「お主に血を連ねる彼らは、太陽と猫の戦士。その血脈の名は……」
 愛弟子は、輝く金色の瞳でシバを見上げていた。


<血脈の名 了>

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