見出し画像

セルフポートレートに愛、込めてる

セルフポートレートを撮っています。

ツイッターやインスタグラムで再三言っていると思うんですが、私、私の周りにいてくれる人達が大好きで(まぁそれはみんなそうだと思うんですが)それを残したいじゃ〜〜んって思って写真を始めたんですが、ここで問題があって、私は写真に写れないんですよね・・・みんなを撮るのも好きだけど、どうせ残すならちょっと写りたいやんってね

セルフポートレートってそんな大層なものじゃなくて、まぁ言っちゃえば自分も写っている写真が撮りたかったわけです。

で、一緒に写っているのはこの方。

画像1

伊藤花ですね。Twitterアカウントはこちら

大学からの友達で、最高に変な人間です。全然普通という枠に収まりきっていないことを、多分本人だけが気付いとらん。私にとっては、友達も親友も全然しっくりこない、「伊藤花」というジャンル。

とりあえず、セルフポートレートを見てください

画像2

沖縄で撮った初めてのセルフポトレです。余談ですが、二泊三日でこの瞬間以外は全部雨だった。悲しげに歩いてたら地元のタクシーのおっちゃんが「乗りたいやろ?」って止まってタクシー乗せてくれた。お金はしっかり払った。(当然)



私的セルフポートレートの撮り方

基本三脚を立てています。当たり前ですが、人がいないところ、邪魔にならないタイミング、そういうのに一番気を付けています。私のカメラで撮るときは携帯とカメラをBluetoothで繋いで遠隔操作をしています。伊藤のカメラで撮るときはタイマーをセットして走ります。伊藤が。原始的でウケる。

画像4

これは手に携帯持ってるけど確か走ってます。距離感は色々だけど、やっぱり周りの景色が入ってるの一番良いからちょい引き気味。例えばこれだったら琵琶湖を入れたいのでベンチ真横からでなはくてちょっとだけ斜め後ろから撮っています。木とかも入れることによって奥行きとか手前のボケとか意識したかもしれません。正直覚えていません。タイマーをセットして走るときは自ずと余裕で10秒で行ける距離です。致し方なし。

画像4

手前に物を置くという意味ではこれも一緒です。これはさすがに走れないので携帯でシャッター押してます。友達の家のお寺をお借りしています。私が好きな写真は作品的な良さがあるものではなくて、あくまで自分も写っている思い出写真的な物なのでめっちゃ笑っているやつが多いです。画面を見ずにシャッターを押したりして、いつ撮ってるかは私しか知らない写真がほとんどです。まぁ上のはがっつり見てるんですが。時期的なのが分かる要素もいれていきたいと思って浴衣の時に撮りました。この後5人で浴衣着て花火もしました、最高か?


画像5

これは三脚立ててません。良い場所に柵的なものがあったのでそこに置いて撮りました。すごく笑っていますが、セッティングするときは神妙な顔つきでやりました。自分の怪我はほっといたら治るけどカメラは直らん。カメラに自然治癒力はない。

Twitterにあげた際、「携帯でシャッターを押すとどうしても写真に携帯が写るけど、この人の写真は携帯が写っていることに違和感がない」(意訳)と言っていただいたことがあって、全然意識したことがなかったけどそれも重要な要素かもと思いました。携帯を手に持っていることが、より日常感を強めている気がします。

小道具は実は考えて入れています。季節感があるもの、画面が寂しくならないように、そう言った意味合いです。そのためにめっちゃ物を揃えるということはしませんが、写真的にもうちょっとこっち側に置こうか〜〜とかです。先程、実は考えて入れていますと言いましたがあれは嘘です。考えているというほどは考えていません。


画像6

よく、「日常に中にもドラマはあるな」と思うんですが、本当にそう思っています。自分では普通に歩いていたり生きているだけだから気づかないけど、人生でこういう瞬間はたくさんあるんだろうな。一番素敵なのはやっぱりなんでもない日常だって、こういうのを撮っていると思います。やっぱり何でもないって思ってるだけでほんとはすごく素敵なんだよ。人と人が笑い合ってたり、カメラの向こうにいる人との関係性が感じ取れたりする写真ってやっぱりすごく好きだな。

見返したら思わず微笑んじゃうような写真を撮り続けたいと思っています。それが思い出なのかなって。愛おしいね、人生。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?