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「夢」二題

1,
今の、このままの顔と心持ちで女の身体になって、なぜか花と鋏を手に持ち、明るい倉庫の中、切り花の出荷作業をしている自分、、、というまるで脈絡のない、断片的な夢を見た。
これが私にとって今年の初夢だったことだけは、さすがにちょっと狼狽している今なのだが、あれは女の身体になってではなくて、女装をしていた気もしてきて、目覚めた直後スウェットパンツの中で激しく勃起していた事実からは、その夢には自分の性癖に沿った続きがあったのかも、あらあら忘れちゃった、と残念がったりしながらも、ニヤリと謎の含み笑いをしてみたりもした。

2、
芥川龍之介の「芋粥」という短編を読んだ。
私は記憶の奥にある、ひとつの疑問を解決しようと思ったからだ。
あれは中学生の頃だったか、あるいは高校の頃だったろうか。平安時代末期に群雄割拠した地方の豪族、武士たちの豊かさを、都の下級官吏と比較したような授業があって、社会科の教師は何かの作品を例に取って教えてくれたことを思い出したからである。
社会科の授業で題材にしたのはいったい何の小説だったのだろうか。久しく疑問のまま記憶のヒダに埋もれてしまっていたのだが、最近その疑問を思い出し、一挙に解決し、自ら溜飲を下げて見ようと思ったのである。
さて今やネット時代。
簡単に解決してしまった。
たったの5分。
芥川龍之介「芋粥」である。
恐るべしgoogle!おそるべしwikipedia!
鎌倉時代前期に編纂された「宇治拾遺物語」の一話を題材にしたというこの作品は、卯建の上がらぬ下級役人のひとりである主人公が、あれほど食べたいと願っていた芋粥(当時の芋スイーツ)の話を知人に話したところ、では早速とばかり、越前の豪族であるその知人に帯同した結果、いとも簡単に実現してしまったという、そんな噺である。すなわち、叶ってしまった夢は人を落胆させてしまうもので、夢というものはただそれを見ている間だけが幸福だという実感を得られる、と言うのが主旨なのだ。
その時の社会科教師は、「芋粥」は一面では、つまり平安後期から鎌倉前期にかけての、地方豪族が誕生し、群居し跋扈していた、という当時の戦乱社会を如実に表している資料でもある、と話されていた、と言うことだ。
実は、あの社会科の先生が投げかけた話、それがどこから来た題材なのか。私はそれを数十年と、時折、牛の胃袋のように記憶の底から戻しては、また仕舞うという反芻行為をしていた。
でもこうしてgoogle先生によって、たった5分で実現してしまった事の落胆といったものが、便利なようでいて疑問をいとも簡単に実現させてしまう、ネット社会という現代を見るに、なんだかこの芋粥の主人公の気持ちと被ってきて、私は変な笑いがこみあげてきてしまったのである。
嬉しいけど、がっくり。
そんな読後感であった。