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器用貧乏

はじめに

前回の最後に書いた通り「引き出し」を増やすために意識してることについてつらつら書いていこうと思う。
自分の中で「引き出し」のイメージは「引き出し≠知識」で「引き出し≒知」。

知識と知

知識と知は明確に違うもんやと認識してて、知識はある特定のことについてどこまで知っているか。多分、一般的にそう。それで知識を持ってて行動に移している人が「教養」がある人なんやと思う。 知はソクラテスが言ってた「無知の知」の知。ある特定のことについてどこまで知っていて、どこを知らないかのか理解している状態。知らないことを把握してる状態が知っているだけの状態を凌駕する。知という状態は物事に対する1番真摯な向き合い方やと思う。

自分が考える「知識」の得方としていいと思ってる順番としては
1.自分で経験して得る
2.人に話を聞いて知識を得る
3.本や漫画を読んで知識を得る
4.ネットで得る
やと思ってる。

じゃあ「知」の得方って何?ってなるやん。正直わからんけど、今感じてるのは
・経験の中で得たこと・成功したことよりも得れなかったこと・失敗したことに目を向けること
・人との対話。特に相手の人に話してもらうこと

人に話してもらうとあっこの人ここまで知ってるんやってことがわかればそれは「知」の領域に行っているのではと感じる。

知であることの利点

「知」であることの利点は取捨選択ができるということやと思う。
全てについてなんでも知っている状態は誰もがわかるように最高・最強の状態やと思う。けど、人にも容量があるからそれって限界がある。「知」→「知識」は自分の意思でできる。「知」の状態のままでも必要な時にその人に頼ればいい。別に自分が身につけなくてもその情報にアクセスできればそれで良い。自分の中においておける情報を自由に操ることができる。この状態になればより多くのことについてしれると思う。

知における器用貧乏

ここでタイトルについて、後期に受けた講義の中で先生が言っていたことが心に引っかかってる。
「広く浅く器用貧乏より、人より尖った武器をふたつ持て!それで君たちは唯一無二の存在になれる!」
先生曰く今までの社会は器用貧乏が求められていたけど、今は人工知能とかが発達していくなかで2つのことについて詳しくなることで人と差別化できるらしい…。
納得はできた。中途半端より明確なものを持てとなるほど。週刊少年ジャンプで連載されてた「暗殺教室」でも似たようなことについて言及されてたなぁとも思った。
今思うと先生は「知識」についての話をしていたんかもしれん。

けど、同時に思った。中途半端な状態の器用貧乏をちゃんと磨けば最強なのでは?中途半端な状態じゃなくなったらそれを器用貧乏と言えるのかはわからん。けど、あらゆる分野において自分がどういう状態かわかっているのか?わかっていないのか?を知っているそういうな器用貧乏を目指したい!

おわりに

前回の更新からまぁ期間が空いた。次に更新するとなると春休みか令和4年度を振り返ってになりそう。この記事書いてる合間にペナントレースが始まった。今年こそ阪神タイガースがアレできるとええんやけどなぁ。

じゃあ気が向いたらまた次回

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