見出し画像

2024年9月


2024年9月

京都で勤めている夜勤、週末の土日だけ勤めている奈良の夜勤。今月は仕事ばかりの1ヶ月だった。暑い夏の影響で、すごく疲れやすい体になった。家に帰ってシャワー、最低限の家事を済ませるだけで、倒れるように眠ってしまう。誰がどう見ても体によくない生活を送っていた。



1,一過性の穴を埋めて

京都の職場も、奈良の職場もどちらも人が足りない。一過性の穴を埋めるように体を酷使して、俺は何の為に京都に来たんだっけ、と思いを膨らませながら生きていた。
20代前半の頃は、どれだけ働いても動いていられた。夜勤だろうが、長時間の勤務だろうが関係なかった。なんか急に年齢の影響をもろに感じるようになった。寝ても回復しない疲労、体の気怠さ。今の僕でこれだけ疲労を感じているのなら、職場の上司はもっと疲労がたまりやすいだろう。上司が辛くなるくらいなら、それを肩代わりするのが若者の役目だと思っていた。昭和の残り香がする平成を生きた俺の自己犠牲の精神。自己犠牲というものの限界の匂いが漂い始めて、このままだと本当にダメだと改めて自分に言い聞かせている。

お金が無かったらお金がないと嘆き、休みがなかったら休みが無いと嘆く。どんな状況に置かれても無いものねだりばかりだなと思う。その中間のちょうどよいバランスを取れるような生活に10月は変えていきたい。

来月、10月の末で京都に移住してからちょうど2年になる。奈良を出る前の、お金が本当になかった時代を超えて、京都で職に就き、対価を貰えるようになったことを思い出すと、あの頃よりも確実に変われていると思う。2年前、自分を変えたいと強く思って京都に移住してきた成果がぽつぽつと現れ始めていた。少しづつ成長していきながら、年を重ねて、その度に様々な問題が露呈してはまた向き合って頭を抱えて…を繰り返している。そんな自分がとても人間らしいなと思う。でもまだまだ弱い、もっと背中の大きな大人になりたい。


2,短歌×写真×イラスト

短歌、写真、イラスト。この3つを掛け合わせた作品を共作させていただいた。僕が撮った写真の上に、友人のイラストレーター3名にイラストを描いてもらうという作品。そのさらに上から短歌を並べ、一つの作品にする。3つのうち2つは数年前に描いてもらったもの。1つは5月に友人に依頼して新しいものを描いてもらった。
短歌は、第6回笹井宏之賞、第3回新しい歌集選考会に応募した作品の中から選出した。

忘れたよ。君といた季節もう二度と思い出せない場所まできたよ
イラストレーター:寒  
X:
@333_so_
Instagram:
@338_one


『なみだ、波。海岸沿いの藍色が滲んだ視界を許せずにいる』

イラストレーター:日曜日の夜 
X:
@sundaynight_O
Instagram:@
sunday.night_O


『ゆっくりと命を枯らしていくことの 最果てで待っているオフィーリア』
イラストレーター:友人、掲載辞退


3,優しい気持ちでね、

心の中のゆとりが広がっていくような、気がつくと足を踏み入れていい場所が増えていた。夏でも、秋でもない。静けさを帯びた空気が肌を優しく撫でて、通勤時にいつも通る鴨川沿いが少し違うような気もして、心の中で変わりゆくものをゆっくりと知覚していく感覚があった。
きっかけは誰かの優しい言葉に触れた時かもしれない、誰かが優しくしてくれた時かもしれない。きっかけはなんだったのかわからないけれど、いつの間にか全てを許せるようになっていた。自分のことも、誰かのことも。

9月の頭、京都芸術大学・春秋座で行われた講演会で聞いた歌人の永田和宏さんと是枝裕和監督の対談が今でも心の真ん中で残っていて、お二人が話す言葉の力と強さにとても惹かれた。同時に、舞台の壇上というある種テレビを見ているような世界の2人を見て聞いているだけのはずが、どうして他者に対してこんなに影響を与える力があるのかと、疑問に近い不思議な感覚もあった。そして、お互いをリスペクトしあっているからこそ成せるあの会話のキャッチボールに、愛しささえ覚えた。ずっと聞いていたいほど心地よい対談だった。あの時間を過ごしていた僕の心はずっとほわほわした心だったし、その心で居られている自分のことをとても好きになれた。あの人たちのようになりたいと思った。憧れが憧れのままで終わってしまうくらいなら、死ぬほど失敗して恥をかいたっていい。かっこいい大人というものを目の当たりにした瞬間、佐野夜という人生の小説に、2人が付箋を貼り付けていった。

「優しい気持ちでね、」これは僕が19歳の頃に好きだった人が、手紙に書いて残してくれた言葉。仕事が辛かった時、心が荒んでいる時、誰かを傷つけてしまった時、どんな時でも最後はこの言葉に辿り着く。本当は何気なかったはずの言葉が、今でもずっと胸の中に留まり続けている。
しかし、残念ながら常に優しい気持ちで生きることは出来ない。大人になっていくにつれて見えてくるこの世の不条理、感情を持って生まれてしまった人間という生き物と接することの難しさ。感情があるからこそ優しくなれるし、感情があるからこそ優しくなれない。そういった心を荒らしていくようなものを見たり、触れたりするたびに、なんて腐った世界なんだと思うこともある。
だからこそ優しい気持ちで生きていかなきゃいけないなとも思う。愛を持って全て、と。

僕はずっと、優しい気持ちというものは他者に対してだけだと思っていた。誰かに優しくすることで、自分も優しい気持ちになれると思っていた。でも、現実世界はそんなに甘くなかった。相手側によってそれは大きく変わると気づいたからだ。いや、でも本当はわかっていた。ずっと相手に対して優しくしたとしても、それは、優しくしているという自分に自惚れている時の方が多いかったからだ。どんな時でもその瞬間はあった。ずっとじゃなく、一瞬一瞬でそう感じることがあった。それはある種、優しさの暴力だったと思う。弱さも振り翳せば暴力だ、という言葉があるように、優しさも振り翳せば暴力になり得る可能性を孕んでいた。時には突き放すことも必要だし、近づくことも必要。まあそんなこと考えると生きていけないだろうと思ってしまうけれど、それでも僕は誰かに対して優しくしてあげたかったし、愛したかったんだと今になって思う。

彼女が伝えてくれた『優しい気持ち』というものは、本当は他者ではなく自分に向けてのものだった。そんなことに長い間気づけなかった。ずっと自分の中で何か足りないと思ってしまっていたのは、自分に対して優しくなれていなかったことだった。誰よりも誰かを優先してしまう、誰かを優先してしまうからこそ結局最後は自分が苦しんでしまう。それは、誰かが苦しい思いをするなら僕が、というような自己犠牲の精神がベースにあった影響もあった。

今思い返せば、優しすぎるからとお付き合いしていた人から振られたこともあったし、誰にでも優しくする僕のことを嫌いだと言われたこともあった。優しく接すからこそ、何か裏があるんじゃないかと勘繰られて離れていった友人もいたし、優しくするからこそ他者から舐められ、下に見られるようなこともあった。優しいという概念、形のない感情、それは時にマイナスに走っていくレールに変わる。

人と接するたびに、自分のことを嫌いになっていた。本当は全てを愛したかったのに、結果誰も愛せなかったし、そして誰にも愛されなかった。
そういう自分を、愛せるようになった。人間らしいなと思うから。それは自分に対して優しさを向けられるように少しずつ変われているから。ずっとそう思えない日もこれから来るだろう。その度にまた自分に優しくしてあげればいいか、と今なら思える。
そんな簡単なことじゃないけどさ、そんな自分を愛してやらないと一体誰が僕を愛してやれるというのさ。そうでしょ?

ゆっくりと心のゆとりが、安全圏が、広がり始めている。秋がやってきそうな空気を肺に仕舞い込んで、もうTシャツだけでは過ごせない季節になりそうだと焦り始める。近いうちに長袖の新しい服を買いにでも出なきゃな。来月の1ヶ月記録を載せる頃には、もう肌寒いだろうね。また来月。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?