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父が亡くなった話

こんにちは。
実家が全焼したサノです。 

僕の父は、アルコール依存症でした。 

父は普段は心優しいのですが、
お酒を飲むと、知らない人と
よく殴り合いの喧嘩をしていました。 

いつも喧嘩をすると、
相手は無傷、父は血だらけでした。 

それなのに父は 

「今日も引き分けやったな・・・。」 

と僕にだけ聞こえる声で
虚勢を張っていました。 

そんな父なので、母はある日、
家を出て行ってしまいました。 

それからしばらくは、
僕と父で二人暮らしをしていました。 

二人暮らしをしていた時、
僕は父にナンパを手伝わされていました。
ファミレスやカラオケ屋にいるお姉さんに、
僕が声をかけるのです。 

すると、小学生にナンパされる
経験なんて普通はないので、
ほぼ100%気を引くことができます。
あとは父がうまく交渉します。 

今考えると頭がおかしすぎるのですが、
当時の僕たちにとっては
それが「普通」なので、
特に違和感もありませんでした。 

ナンパに限らず、そんな外から見たら
違和感のある生活を送っている僕と父を
見かねた父の姉(伯母)がある日、
僕のことを引き取ると、父に提案しました。 

父は最初こそ抵抗していたものの、
父の数百万円の借金を
伯母と伯父が
全額立て替えたことを契機に、
僕を預けることに同意しました。 

僕も伯母と伯父のことが好きだったので、
同意しました。
伯母と伯父に引き取られた後は、
父同様に愛情深く育ててもらいました。 

しかし、妻と息子を失った父は、
さらにアルコールから
抜け出せなくなっていました。 

一度父は、再起を誓って、
アルコール依存症を治す病院に
入院したことがあります。 

そこでアルコール依存症を
治す薬を処方され、
毎日薬を飲んでいましたが、
一向に良くなりませんでした。

不思議に思ったお医者さんが
きちんと調べてみたら、
父は薬を、下町のナポレオン
「いいちこ」で流し込んでいました。

治るわけがありませんでした。 

アルコールから抜け出せなくなった父は、
家族だけでなく、
友人からも少し距離を置かれるようになり、
最終的に僕が中学2年生の時に、
父は飛び降り自殺しました。 

父が亡くなった時、現実味がなく、
なんとなく他人事のような感覚
だったことを覚えています。 

通夜と葬式もいつの間にか終わり、
父はあっという間に火葬され、
骨だけになりました。 

アルコールのせいで、
骨もあまり綺麗には残っていませんでした。 

砕いた骨を、みんなで骨壺に入れているなか、
祖母はその骨壺に向かって 

「こんなに小さくなってもうて…」 

と言いながら、膝から崩れ落ちたことが、
なぜか印象に残っています。 

通夜から火葬までの一連の流れに
集中していない僕は、
死の悲しみをサイズ感で表現する祖母に、
妙に感心してしまいました。 

ここからは、色々な考えがあることを前提に
お読みいただければと思うのですが、
僕の父のお葬式では親族や友人から、 

「自殺してはいけない」 

というような、言葉をたくさん聞きました。
もちろん彼らの言葉は、
父に対し愛があるからこその言葉です。 

しかし僕がその時に思ったのは、
「自殺」という結果に向けた言葉よりも、
「どうして自殺したくなったのか」
という原因に向き合うことの方が
大切なのではないか、ということでした。 

父の本当の気持ちを知ることは
もうできませんが、
父が亡くなったのは、
孤独だったからではないでしょうか。 

父から人が離れた原因は、
「お酒」や「借金」に溺れた
父自身にあるのですが、
僕も含め、孤独に寄り添わず、
手を差し伸べなかった人が、
自殺志願者に対して
「自殺してはいけない」というのは、
酷だなぁと僕は子供ながらに思っていました。

この考え方が正しいかどうかは別として、
僕は父に「自殺してはいけない」
という思いを、どうしても持てませんでした。 

増えていく借金。
やめられないお酒。
離れていく人。

これらのサイクルから抜け出せられず
この先も何一つ良いことがない、
と考えている父が、
自殺することが唯一の救われる選択肢
だと結論づけるのは、
そんなにおかしなことではない、
と僕は思っています。 

豊かな人生とは、「贅沢をする人生」でも
「人に羨まれる人生」でもなく、
「選択肢のある人生」なのかもしれません。 

僕は父の姿を見て、家族の姿を見て、
「自殺」以外の選択肢を少しでも
たくさん持てるように、
多くの人が選ばない選択肢も含め、
たくさんの道を選んで生きてきました。 

だけど僕は目の前に自殺したい人がいても、
「自殺しないで欲しいなぁ」とは思うけれど、
「自殺してはいけない」とは
今後も言えないと思います。 

なぜなら最後の自殺という
選択肢すら奪われると、
当事者にとっては死ぬことよりも
苦しいのかも知れない、
と思えてしまうからです。 

でも、自殺という
選択肢を選ばなくていいように、
楽しい選択肢を
世の中に少しでも増やして
いけたらいいなと思うし、
誰もが選択肢を多く持てる社会に
なればいいなと思います。 

世の中に「こうあるべきだ」
なんて何も思わないですが、
僕のTwitterやnoteでの切ない投稿が、
誰かにとってのポジティブな「選択肢」の
1つになってたら嬉しいです。


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