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バー経営で血反吐はいた話

こんにちは。
実家が全焼したサノと申します。

僕は、大学卒業後から
ちょっと前までバーを経営していました。

バー経営をはじめた1番の理由は、
早起きが苦手だったからです。

サラリーマンだと
毎朝会社に行かないといけませんが、
バーだったら夕方まで寝られそうだと思い、
始めました。

そしてなぜ「経営」を選んだのかというと、
誰かに雇っていただいたとしても、
与えられた作業をきちんとこなせる
自信がなかったからです。

僕はカラオケ店でアルバイトしていた時、
いつも皿洗いと片付けが
遅くて怒られていました。

よく家族からも、

「あんたにおつかいを頼んで、
注文通りのものが届いた記憶がない。」

と言われていました。

確かに僕も、注文通りのものを
届けた記憶がありません。

だけど、マニュアルのない仕事をする時は、
褒められました。
例えばカラオケ店で働いていたときは、
集客の声かけや、ポップ作り、
お店を盛り上げるための
アイデアを提案した時などに、
面白いと喜ばれました。

だから僕はなんとなく、
仕事をミスなくこなすよりは、
仕事を1からつくるの方が得意なのかなぁ…
と思い、経営することに決めました。

また、リスクの高い挑戦は
20代の間にしておきたいとも思っていました。
結婚したり、子供が生まれた後だと、
背負うものが大きくなり、
失敗するのが怖くなるかもしれない
と思ったためです。

若いうちだと、失うとしても貯金くらいで、
うまくいけば就職するよりも
良い収入を得られるかもしれないですし、
失敗しても経験と知識と
笑いのネタが得られるから、
どちらにせよお得だなぁと、
当時の僕は思っていたのです。

そんなわけで、
大阪の難波でバーを開業したのですが、
そこから地獄がはじまりました。

まず、オープンしてから
半年間はずっと赤字でした。

今振り返ると、オープンして半年間は、
人生で1番辛かったような気がします。

赤字を解消するために、僕は毎日、
17時間休みなく働いていたのですが、
吐血、血尿、血便と、
なんだか血だらけになっていました。

夕方まで寝れるからバーを始めたはずなのに、
夕方まで働く生活になっていました。

一応オープン前に

「誰でも成功するBARの始め方」

みたいなタイトルの本を読んだのですが、
こんな生活になるなんて、
一言も書いていませんでした。

どうなっているんだと思いました。

しかも、毎日17時間働いても、
固定費や人件費を払うと、
僕に残るお金は1円もありませんでした。

周囲には強がって
「大丈夫」と言っていましたが、
実際にはもやしを育てて食べていました。

当時育てていたもやしがこちらです。

そんな風な生活を送っているうちに、
僕の心もすさんできました。

(なんで頑張っているのに報われないんだ)

(なんで従業員は店のコーラを勝手に飲むんだ)

全て自分で決めたことなのに、
誰かのせいにしてしまったり、
小さいことでもイライラするように
なってしまいました。

僕はどんどん独りよがりになっていきました。

毎日死にそうな顔で働く僕の
「泥船感」がすごすぎて、
一緒に働いてくれていたスタッフも、
離れていきました。

そしてある日、お店のお金をスタッフに
持ち逃げされてしまったことをきっかけに、
ついに僕の心は壊れそうに
なってしまいました。

いまさらながら、
僕は与えられた作業をこなすのが
苦手なだけでなく、
経営するのも得意でなかったことに
気づきました。

お店を閉めようと決意しました。

しかし、そんなタイミングで、
売上が急激に上がりました。

少しずつできた常連さんたちが、
せっかく作ったお店がすぐに潰れると
可哀そうだからと、支えてくれたのです。

僕は良くも悪くも、毎日、
目の前のお客様だけのことを考えていました。

その結果、たくさん遠回りを
してしまったのですが、
お客様が友人を紹介してくれたり、
お店に来て応援してくれたおかげで、
なんとか1年目を乗り切ることができました。

2年目からは、反省を生かし、
お客様と同じだけ、
スタッフのことも考えるようになりました。
働き方、給与システム、お店の方針など、
全てを一新しました。

具体的には、
スタッフの提案をどんどん
採用するようにしました。
スタッフがお店を自由に
変えられるようにしました。

そして、食事会をしたり、旅行に行ったり、
コミュニケーションも
多くとるようにしました。

僕自身は、1円でも多く
お給料が増えた方が嬉しいから、
当初はできる限りお給料で
還元する仕組みにしていたのですが、
バーで働く人の性質なのか、
僕が少数派なのか、
一部を福利厚生に回した方が
結果的に離職率は減りました。

そんな風に様々な方法を試しながら、
みんなでお店を作ることで、
少しずつ安定して経営することが
できるようになりました。

しかし、お店は安定してきたものの、

『ここから店舗を拡大していくには
どうすればいいのだろう?』

『毎日みんなが楽しく働くには
どうすればいいのだろう?』

と次から次へと課題や疑問は湧いてきました。
元々、僕は知らないことが多すぎたのです。

そんな時にふと、実務だけではなく、
学問や理論からも学んでみたいな、
と思い、大学院に進学して
経営学を学ぶことに決めました。

結果的に僕は試験に合格して
大学院に進学することができました。

大学院では、僕が半年間悩んだ課題が、
教科書の1ページ目に書かれていたりして、
とても有意義で楽しい時間でした。

そして朝は学校、夜は仕事、
そんな生活にも慣れてきたタイミングで、
同級生たちが就職活動を始めました。

僕には関係ない話だと思いつつ、
毎日就職活動の話を聞いていると、
僕も少しだけサラリーマンに
興味を持つようになっていました。

自分でお店を経営するのも楽しいのですが、
会社を通じて大きな課題を解決したり、
個人ではできないような仕事に
携わるのも楽しそうだと思ったためです。

僕は普段から強い思いを持って
生きているわけではありませんが、
なんとなく誰もが可能性を信じられる社会に
なればいいなと思っています。

そう思ったきっかけは、
バーで出会うお客様方や、
スタッフと話していると、
環境や周囲の声に影響されて
本当にやりたいことを
躊躇している人が沢山いたからです。

僕も子供の頃に親を失ったり、
家が裕福でなかったこともあって、
あらゆる出来事において

「そんなことできるわけない」

と色々な方からよく言われていました。

でも実際やってみると、
できることも結構ありました。
(できないことも結構ありました。)

もちろん先人や他人から学ぶことは
とても大事なことなのですが、

「あなたにはできない」

という言葉が、人の可能性を
縛ってしまっていることも
あるのだと知りました。

挑戦してみたいことがあるけど、
誰かの言葉だったり、
社会常識によって挑戦できない人が
沢山いるのだとしたら、
なんだかもったいないので、
誰もが可能性を信じられる社会に
なればいいなと思ったのです。

そしてそんな社会を実現するためには、
個人の力だけでなく、会社の影響力で

「こんな方法もあるかもよ!」

と世の中に様々な選択肢を提案していくのも
いいかも知れないなと思ったのです。

ありがたいことに僕は、
大学院で毎日学んでいるうちに、
いつの間にか「早起き」が
前ほど苦手ではなくなっていました。

そういった僕の思いを、
一緒に働く仲間やお客様に相談したところ、
「ええやん。」と了承していただき、
結局、在学中にお店は
閉じることになりました。

結果的に、僕は経営を学ぶために
大学院に入学したはずなのに、
大学院に入学したことで、
お店は潰れてしまい、
僕はサラリーマンになりました。

僕自身、この選択が正解だったかどうかは、
まだわからないので、
答え合わせは未来になりますが、
正解になるといいなと思います。


いただいたお金は、切ないことに使います。