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100kmマラソンを走ってみた話

今年で42回目となる24時間テレビですが、
目玉イベントといえば100kmマラソンです。

僕は24時間テレビに対して、
特に否定的な感情は無いのですが、
子供の頃から感受性が乏しく、

「芸能人が24時間テレビで
100kmマラソンを完走し、みんなが泣く」

という構図がずっと
理解できませんでした。

そもそも人が歩く速度は
時速4kmと言われており、
24時間歩き続けても96km進みます。
つまり、全く練習しなくても
誰でも達成できる距離ではないか?
それなのになぜ感動するのだろう?
という思いが根底にありました。

桃太郎電鉄を24時間やっても
誰も僕に泣いてくれないのに、
どうして100kmマラソンは
賞賛されるのだろう。

そんな風に子供ながらに思っていたのです。

しかし、100kmマラソンが
本当に大変でないかどうかは
走った人にしかわかりません。

だから大学生の時に
実際に走って検証してみました。

まず会場は大阪城公園で、
1周4kmのコースを25周します。

走るメンバーは僕の他に、
大学の友人を2人誘い、計3名で臨みました。

また、24時間100kmを
悠々完走したという証拠を残すために、
関西大学の映像研究部に連絡を取り、
24時間撮り続けて欲しいと依頼しました。

すると、快諾していただいたものの、
機材などで約10万円の予算が
必要だと言われました。

そこで、急遽スポンサーを探すために
大阪の梅田中のビルに乗り込み、

「100kmマラソンをして、
それをYouTubeに投稿するので、
スポンサーになってくれませんか?」

と飛び込み営業をしました。
しかし大手の企業には、
ことごとく上手くいきませんでした。
最終的にお好み焼き屋さんが
スポンサーになってくれました。

そんなこんなで、
ようやくマラソンを始めることができました。

24時間テレビと同日同時刻、
雨が降るしきる中、スタートしました。

最初の20kmは、
全く疲れがなく、3人で競争したり、
雑談をしたりと、とても和やかでした。

しかし40kmを越えると、
体に痛みを感じるようになりました。
そして、走るよりも
歩くことの方が 多くなっていました。
それでも24時間で100kmを完走するには
十分な時間がありました。

50kmをこえてからは、
時速4kmで歩くことすら
困難になってきて、
60kmではついに友人の1人が
脱落してしまいました。

そこからは2人で
挑戦することになりました。
しかし2人とも足取りは重く、
70kmあたりでよぼよぼの老人に
追い越された時は愕然としました。

そしてついに88km地点で
もう1人の友人も脱落してしまいました。
これでとうとう1人になってしまいました。

僕も身体中が痛いし、正直限界でした。
しかしスポンサーになってくれた
お好み焼き屋さんの大将のことや、
個人的な興味のために
撮影に付き合ってくださった方々のことを
思うと、怖くて辞めますとは
言えませんでした。

なんでこんなことしようと
思ったのだろうと後悔しました。

そこからは、
ずっと死にかけのナメクジのような顔で
走り続けました。

そして、なんとか24時間以内に
完走することができました。

不思議なことに、ゴールした瞬間、
仲間は誰も泣いていませんでした。
僕だけ辛くて1人で泣いていました。

翌日、足が痛くて病院に行くと
疲労骨折と診断されました。

さらに追い討ちをかけるように
途中で脱落した友人から

「サノ君が完走できたのは靴のおかげや」

と言われました。

確かに僕の靴はReebokの、
ちょっと良い靴でした。

でもだからといって、
「靴のおかげ」は酷いと思い、
もう一度泣こうと思いましたが、
少し考えた結果、「靴のおかげ」は
おいしいんじゃないかと気付きました。

翌月、僕は東京に行きました。

Reebokの東京本社に行き、

「素人でも100kmマラソンを完走できる靴」
として、靴のプロモーションを
一緒にさせていただけませんか?
とプレゼンしに行くためです。

本社は当時神楽坂にありました。
知らない土地に怯えながらも、
受付の方に事情を話すと、
奇跡に企画部の会議室に
案内していただけました。

そこで、約10分間
プレゼンさせていただきました。

この企画が通れば、
大阪マラソンの参加者の2万人が
全員この靴を買います、
と言い切った時は
担当者の方に爆笑されました。

ひょっとしたら100万円くらい貰えるかも!
と浮かれてしまいましたが、
結果はあえなく惨敗でした。

帰り道の高速バスは揺れが強く、
疲労骨折した足が酷く痛みました。


いただいたお金は、切ないことに使います。