「そんなことで怒らなくてもいいじゃん」

人生で一度は他人に言われたことや、他人に対して思ったことがあるであろう、「そんなことで怒らなくてもいいじゃん」
俺も全然ある。あ、そんなことで怒るんだ。って思ったことも、思われたことも。
でも、それって怒った側が悪いんでしょうか。
いや、怒らせた側が100%悪いです!反省しろ!とまでは言わないけども、少なくとも過失は怒らせた側の無神経さではあると思ってる。
それに「そんなことで怒るな」なんて思うのであれば、そこから「このくらいでも怒る人は怒る」という戒めとして昇華させた方が自分のためにも、怒らせてしまった相手のためにも、これから関わる人達のためにもなると思うんだよな。
なのに、いやそんなことくらいで怒るなよこいつ…と、まるで怒った相手の方が、厄介で面倒で扱いづらい人間かのような意味合いでの、「そんなことで怒らなくてもいいじゃん」
まあ、たしかにね。いる。他人の放った言葉を拡大解釈して、すぐに落ち込んだり、キレ散らかしたりする、関わりにくい人も、この世には。
としてもだ。相手の性格や文化、考え方、人生の背景に注意を払いつつコミュニケーションを取るのが人間関係を構築していくってことなんじゃないかな。
そんなしち面倒くさいことやってられっか、それなら人と関わるのやめるわ、
なんて感じる人もいるかもしれないけど、そこまで思考を巡らせていないだけで意外とみんな無意識的にやってるはずなんだよ。
他人と関わる上で、これを言ったら相手はどう思うかなとか。
小さなころからそういうことを集団生活の中で気づかないうちに訓練を積んでいただけで、
知らないうちにやってる。
そして、たまに自分が訓練を積んできた相手とはちょっと性質が違う人が目の前に現れて、地雷を踏みぬいてしまった、というのが「そんなことで怒る」であって。
あの、
コミュニケーションって耳かきなんだよね。
したことある?他人の耳の穴をほじるという行為。
したことない人はしてみて。お母さんのとかでいいから。
自分の耳をほじったことある人は多いと思うけど、他人のやるのはすごい怖いんだよ。実は。
どこまで耳かき棒を入れていいものなのか全然わからない。
あ、意外と奥までいけるかもなと思っても、
いきなり相手から「いたっ!」って声があがったり、体がビクッとなったりして慌てるんよね。
自分ではいけると思って踏み込んでも、相手からしたら痛みが走るところに触れてしまう危険性を孕んでる。
そして、相手が痛がったり、拒んだりしたり
したときに出る言葉って「我慢して」ではなく「ごめん」であって、
その後の行動って「またここに触れてみるか」ではなく「ここから先はヤバいから気をつけないとな」という方針じゃん。
痛いところに触れたのに、そんなところで痛がらないでよって言うのって、やっぱりおかしくない?
触れた
側がごめんなさいして、これからは気を付けるね、
で済む話。
超えちゃいけないラインって人によってさまざまだから、
自分の中の尺度だけじゃ
やっぱり測りきれないんだよ。
そのためにもいろんな人とふれて、いろんな人の
感性や価値観、文化、人生の背景を取り入れて、自分の中に「他人」というサンプルを増やしていくのって大切なんじゃないかなって思う。
そうすれば、自然と「そんなことで怒るなよ」と思う
ことも少なくなるし、「そんなこと」で怒ら
せることも少なくなるんじゃ
ないかなっ
て。

さて、みなさん。
ここまで読んで、少し気づいたんじゃないですか?
そう、不自然な改行が増えてきましたね。
こういうときに何を行えばいいか知っていますか?
うむ。正解。縦読みだ!!!!
この文章を縦読みすると…

人俺でい少そなまとそな他小知そあコしし自どあい自そしそ痛触側で超自やそ感そこせなて

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お・わ・り♪

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