親父は妹に消された

先日、妹の結婚式があった。
そこに親父は呼ばれなかった。
詳しくはこちらで。

端的に話すと、DVモラハラパワハラ常習の身勝手な父親が母親に愛想尽かされて離婚されて、離婚された後も好き放題してたので、妹と母親がマジで顔を合わせるのも堪忍やで…っつって結婚式で同じ席になるのを断ったら、なんか知らんけど今までの自分の悪行はなかったことにして俺はハブられた、結婚式来るなって言われたって被害者ヅラでウダウダ文句垂れてる哀れなおっさんの話です。

先日、妹の結婚式が無事終わりまして、上記の記事の後日談ではないですけど、そのときの出来事と感じたことを、どうしても残しておきたくて。
衝撃だったのが、妹が親への感謝の手紙を読む、結婚式でよくあるアレをやったんですけど、そこで「シングルマザーとして育ててくれた」って表現したんです。
良い意味とか悪い意味とかではなくて、文字通りビックリして。
妹が中2の頃に離婚したんですけど、育児終了を大学卒業までとしても、一応両親がいた期間は14年で、シングルマザーの期間は8年。
両親がいた生活は少なく見積もっても過半数を超えてるはずなんだけど、それでもこの14年を彼女はなかったことにして、自分はシングルマザーの元で育ったと、そう結婚式で言い切った。
もしかしたら、ちょっとうちの事情がややこしいからシングルマザーにした方が式場との打ち合わせも楽だったのかもしれない。
とはいえ、ハッキリと「シングルマザー」という単語を出す必要はなくない?
なんか、ぼんやりうまい感じにぼかすことって、絶対できたはずなのに、あえてこのワードをチョイスした。
俺の身体の芯までガツンと響いた。
あぁ、もう親父はいなかったことにしたんだ、この子の中で、と。
悲しいとか、悔しいとか、スッキリしたとか、そういう感情が揺れるという意味ではなくて、温情があるが故の白状さに納得してしまった。
自分の人生の子ども時代の過半数を両親がいる状態で過ごしたとはいえ、あまりにもその環境、離婚後の親父の対応がひどすぎて、数年しか片親ではなかったのに、あえて自らを片親の元で育った人間として、大勢の前で披露することにした。
いくら長い時間をかけて過ごしても、何かきっかけさえあれば繋がりを自分の中でなかったことにするんだなって、再認識した。
たとえ親であっても。
俺たちは長い時間共に過ごしてきた人に対して、長い時間を共に過ごしたという事実に油断し、ぞんざいに扱ってしまったりトゲのある言葉をぶつけてしまったりすることがあると思う。
けれど、相手は長い時間を共に過ごしてきたという事実だけで、何度かは許してチャンスをくれるが、それが積もっていくと、その事実を無に還してしまう。
どんなに長い間に積み重ねた事実があってもだ。
これは油断してるとすぐに頭の中から消えてしまう。
自分の身近にいる人や、大切な人。
その人の寛大さや笑顔、気遣いにあぐらをかいて、昔はしなかったことや言わなかったことをぶつけてしまってないか、逆に今までの気遣いや優しさが投げやりにいないか。
親密ではない人とコミュニケーションを取るときに気を遣ったり、距離感を間違えないようにするのは、当たり前だし、大多数の人がやることではある。
じゃあ、逆に親密な人には?
仲良くなったから気を遣わなくていいなんてことはなくて、正しくは気を遣う部分とそうじゃない部分を理解したから使い分けるってだけで、でも仲が良いとたまその境を忘れて蔑ろにしてしまうことがある。
でも、それを親密だからということで水に流してもらったことが俺たちはめちゃくちゃあるだろうし、それに気付いていない。
それが危険なんだなって。
知らぬ間に多くの負債を抱えていて、それに気付かず、返済もしないで調子に乗って呆けていると、いつの間にか自己破産するしかなくなってる。
それが人間関係だと、いなかったことにされるということ。
これが親父の最後の教育だと思うと、身体張りすぎじゃね。

P.S.
結婚式の友人スピーチとかでさ、「二人ならどんな困難も乗り越えられるはずです!」みたいなことよく言うじゃん。
俺あれ違うと思うんだよね。
二人が困ったときはいつでも力になるからね、じゃね。
わざわざ結婚を祝うために駆けつけるくらい親密なんだから、二人が困ったときはみんな力貸してあげろよな。
でも金は貸すなよ。

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