Sanny Yoshikawa

時々原稿を書く主婦。心の旅に出たまま日本へ戻れなくなりました。オーストラリアへ上陸した…

Sanny Yoshikawa

時々原稿を書く主婦。心の旅に出たまま日本へ戻れなくなりました。オーストラリアへ上陸した頃に書いていたWEB日記のログに、自分でツッコミを入れながら公開していましたが、恥ずかしくなってきたので、なにか別のことを書こうかなと考え中。

最近の記事

ブチャラティはなぜ生き返ったのか?

これから起こる辛い展開を想像しすぎて、アバッキオが死ぬ回から、しばらくジョジョ5部を観ることができませんでした。しかし家事をしながら観ることでなんとか受け入れることができると分かったので、キッチンでサラダを作りながら、セッコとチョコラータの回まで観たのです。途中、あっけなく殺されてしまうアバッキオの姿やブチャラティの「もうあまり時間がなくなってきたな...」の言葉に「ウゥッ(´;ω;`)」となりながら。 今までマンガで読んでいたものがアニメになって、頭の中でストーリーが立体

    • 幸先

      日本で過ごす最後の時間は、いつも空港にいる。 ギリギリまで、何か持って帰れるものはないかとギフトショップや本屋の中をさまよってしまう。そして美味しいものを食べ、抱えきれないほどのお菓子を買うのだ。 後ろ髪を引かれる思いでペッパーと遊び、踊り場に飾られた鯉のぼりを、また来年も見ることができるかしらと見上げながらゲートに向かう。 「いってらっしゃい。」 飛行機に乗るときに、そう声をかけてくれる人がいた。 「ありがとう。いってきます。」

      • 奇偉

        バランガルーと呼ばれる眺めのいい丘に立つ。バランガルーとは、この辺りに住んでいた先住民のリーダーの名前だ。ヨーロッパ人が彼女に会ったとき、年の頃は40。最初の夫と子供達を疫病で亡くし、二度目の夫は25だった。 記録によれば、バランガルーは、世慣れていて賢く、自由な精神を持ち、ヨーロッパにいる女の誰とも違っていたという。 魚を捕るのが上手く、分け前をもらっていた男たちは、みんなバランガルーの言うことを聞いた。 ヨーロッパ人からの貢物は受け取らず、洋服を着ることもなかった。

        • 碧空

          高校生の頃、私の席は教室の窓際にあって、いつも空を眺めていた。ずっと続く青空の向こうには、まだ会ったことのない誰かがいて、私と同じように空を見上げているかもしれない。いつか向こう側まで行ってみたい。そんなことを思いながら、退屈な時間をつぶしていた。 今、青空を見上げると、高校生だった自分を思い出す。ここが、あの頃に思っていた向こう側なのだろうかと。 砂埃をあげるグラウンドや、ずっと遠くまで見渡せる田園、その先の山々。今でも変わらずにあるだろうか。この空の向こう。

        ブチャラティはなぜ生き返ったのか?

          昧爽

          窓のない店から外に出ると、辺りは海の底のような色をしていた。 「走るよ!」とジェイが叫ぶ。 「えぇっ!? 危ないよ、そんな高いヒールで!」 夜明け前のオックスフォードストリートをハイヒールで走れば水色の風がついてくる。朝の気配を感じて湧き出してくる夜の抜け殻たちを上手くかわしながら、風と共にジェイは走った。始発前のミュージアムステーションまで。 「アハハハハハッ」 「バカだねぇ」 「アハハハハハッ」 「ねぇ、言葉が違っても笑い声って同じなんだね。」 芝生の上で笑い転げなが

          恋草

          シェアメイトを探すなら、募集の広告は本屋か図書館に出しなさい。本をよく読む人は、信用できるものだから。 そう母に言われた妹は、女学生二人で暮らしていた三部屋の家に、もう一人シェアメイトを探そうと本屋に広告を出した。 その広告を見て、彼女たちの家を訪れたのは、少し気の弱そうな青年だった。恋人でない男女が同じ屋根の下で暮らすことは、この国ではめずらしくない。女学生二人は、控えめな青年が気に入りシェアメイトとして受け入れた。 青年は綺麗好きで、物知りで、料理が上手かった。三人

          炎節

          ラクダが全力で走る姿は、SF映画に出てくるロボットのようだ。 普段はのんびりと伸ばしている首を下げて水平に近づけ、大きな体に不似合いな細く長い足を素早く動かし、胴体をほとんど揺らさずに移動する。 暑く乾いたオーストラリアの砂漠アウトバックを悠々と走る彼らは、開拓時代にアラビア半島やインドから輸送用に輸入されたラクダの子孫である。人間の都合で連れて来られ、捨てられたラクダが、日本の面積を超える広大なアウトバックで繁殖を続けているのだ。 赤い砂漠を自由自在に走るラクダには、

          礼遇

          オーストラリア先住民の儀式にスモーキングセレモニーというものがある ブッシュに生えている植物を燃やし煙を体に浴びれば 悪い気を払い幸運をもたらすといわれている 先住民の長老が、木の皮を重ねた器に、くすぶるユーカリの葉を乗せて 私の体に煙をまとわせた 「あなたに幸運が訪れるように」 優しい煙に包まれながら 幼いころ、母が浅草寺の常香炉の煙を 私の体になでつけたことを思い出していた