築地魚河岸三代目 マンガ原作 第20話(江戸前の心)

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で無料公開中のマンガの原作です。今回登場の「とりで寿司」さんは、当時担当編集者さんの行きつけの店で、とても美味しいお寿司を握る店でした。今回ばかりではなくのちに色々とご協力いただき、登場することになります。ちなみに魚河岸で言う「特種物」は「とくしゅもの」と読み、主に寿司ネタを扱う専門の仲卸で高級魚を扱い、特に寿司への造詣と厳しい目利きの腕が求められます。

とある腐女子は、三代目と、新宮三代目とのとりで寿司さんをめぐる三角関係が萌えるのだとおっしゃいました。いかようにもお楽しみいただけまして幸いでございます。


築地魚河岸三代目   第20話(江戸前の心)


#・休市日の魚河岸。
休みの日の魚河岸正門の「本日は休市日です・・」
(*そんな物が実際にあるか要確認)という看板と、
閉じられた門
被さるナレーション。
ナレーション『ここ、築地魚市場には
  日祭日の休日の他に、
  月に二回の水曜日が、
  休市日としてお休みに
  なっています』
ナレーション『今日は、その休市日。
  平日の休みというのは
  何となく、得した気分のもので』
守衛さんに声をかけ、通用門から場内に、入る旬太郎。
ナレーション『ひさしぶりに
  明日香の仕事が終わったら
  銀座で待ち合わせして
  食事をしようと約束したのですが・・』
中に入って、頭を掻く旬太郎。ちょっとよそ行きの格好。
旬太郎「いやぁ、まいったなぁ
  店に携帯電話、忘れちゃったよぉ~」
「でも・・」
シンと静まり返った場内を見渡す旬太郎。
息を潜めたターレ。誰一人、居ない大通り。
竿を上げて、整然と並べられた小車。詰まれたトロ箱。旬太郎に気付いて、ハッ!とこちらを振り返る、集会中の猫たち。邪魔者を見るような視線に、軽く手を上げて、詫びを入れ、閑散とした大通りを歩き出す。
旬太郎「築地に来て半年。
  初めて休みの場内に入ったけど
  シンとして、いつもの
  喧噪が、嘘のようだなぁ~」
旬太郎「こういうのも趣があって、
  なんか新鮮な感じだ。
  築地は毎日が、
  お祭りみたいなもんだから、
  『祭りの後』ならぬ
  『祭りの間の静寂』ってとこかな・・」
雰囲気に浸りながら、歩いていると。
旬太郎「あれ?」
旬太郎「あれ?あれえ~?」
回りをキョロキョロ見回す。さすがに情けない顔で、
旬太郎「いつもと雰囲気が違うから
   また、また、迷っちゃったよぉ~」
と、うす暗い通路のやや彼方に、ぼんやりと路地に光りを投げかける一件の店。
旬太郎「おや?」
灯りが点っている店に、近づく旬太郎。
旬太郎「休市日なのに
   開けてる店があるのかな?」
さすがに店前には、何も並んでいないが、灯りが付き、ゴボゴボと水槽が動いている。
その水槽をジッ。と見つめる男の横顔。
旬太郎「あ!」
思わず、物陰に隠れる旬太郎。
先先号の、新宮の言葉、シーンを想起する旬太郎。
新宮「あなた三代目じゃない。
   ただのシロウトだ」
旬太郎の顔がこわばる。振り仰げば、『特殊物・新宮』の看板。広い店舗で、看板も由緒正しい感じ。
旬太郎「あの人の店か・・・・
   一人で、何をしてるんだろう?」
後ずさりしそうになって、ハッ!と気付く旬太郎。
旬太郎「なに隠れてんだ・・俺」
フン!と鼻息を吹き、奮い立って足を踏み出す。と、
背後から、
「三代目!」
の声に、ビクン!と、また身を隠してしまう旬太郎。
声の主は、年の頃なら四十数歳に見える。
どこか、疲れ窶れた感のある男。名前を取手市郎。
寿司職人である。
取手「いつもいません。三代目」
『新宮』の店先から新宮に声をかける。
振り帰らずに新宮。
腕時計「ロレックスサブマリーナ」に目を落として、
新宮「ちょうど、良い時間です」
呟くや、畳針の細いような物を口にくわえ、水槽から、さっと素手で目にもとまらぬ速さでヒラメをすくい取り、カッカッ!と包丁を入れて、しゅるん!それ専門と思われる針を口から回しながら取り、プスっとヒラメに差し入れる。ピクン!一つ小さく震えただけで、固まるヒラメ。他のネタ箱が既に入れてある、「とりで寿司」と墨痕鮮やかにかかれた木造りの立派なトロ箱に入れて、細かい氷を詰める。必殺仕掛け人もかくやの早業。
新宮「この量目(大きさ)と
   今日の気温なら
   店を開ける頃には
   いい塩梅になってるはずです」
トロ箱を渡す新宮。
新宮「お店のトロ箱も、
   開店一周年の、お祝いに
   新調しておきました。
   使って下さい」
感動して、押し頂く取手。
取手「あ、ありがとうございます!
   この一年。
いつも、とびきりの上物を
   回してもらうばかりか、
   休市日には、こうして
   三代目みずから店を
   あけていただいて・・」
包丁と針を布で拭いながら、無表情で、
新宮「なに。旨い寿司を
   握ってもらうためなら、
   何でもない事です。
   私も、アナタには、
   特種物(欄外・注)の
   仲卸として、意地をかけている」
軽く、天を仰ぎ、
新宮「アナタの握る寿司が
   受け入れられないようなら
   世は末ですからね・・・」   
スタスタと歩き去りながら、
新宮「いい寿司を、握って下さい」
その後ろ姿に、トロ箱をささげ持って頭を下げる取手。
取手「はい!ありがとうございます!」
歩き去る新宮。その後ろ姿が遠くなる頃。
トロ箱をの中を、じっと見下ろす取手の後ろ姿。
その肩が震えている。物陰から見ている旬太郎。
旬太郎「?」
取手「すいません。三代目・・
   こんなにまでして頂いたのに・・
   こんな立派なネタなのに・・・
   俺は・・もう・・」
ポタリ。俯いたままの頭から、スシネタの上にこぼれる取手の涙。そんな訳有りの様子を、物陰から見ている旬太郎。小刻みに、震えるトロ箱の『取手寿司』店名のアップ。それを見留める、旬太郎の目。

#・夜の銀座。銀座の特徴的な建物の前。
和光の時計台か、アリオンの仕掛け時計が9時を告げる。
建物の壁にもたれて、物思いにふける旬太郎。
明日香「おまた~ッ!」
そこへ、手を振って、やってくる明日香。
喜喜としてガイド雑誌の開いたペエジを見せながら、
明日香「ホラ!ここ!
  『  』(次に出てくる予定の店)
  今、評判のフランス料理店なのよぉ
  二ヶ月前から予約しておいたの!」
申し訳なそうに、片手で拝む旬太郎。
旬太郎「悪いんだけどさ
  明日香・・・」
旬太郎の提案を聞いて、呆れる明日香。
明日香「え~ッ!?」

#・『新橋ガード下』。
おでんや、煮込みの店。焼き鳥、もつ焼き、暖簾のよごれたラーメン屋。などの小さな店が建ち並ぶ。
他の店はみなにぎわっていて。道は人だかり。店外に溢れてヤキ鳥にコップ酒。という客もいる。
メモを見ながら、店をあたる旬太郎。
旬太郎「確か、ここあたりの
   ハズなんだけど・・」
不機嫌な明日香。口をとがらかし、バックを回しながら、
明日香「ねぇねぇ旬太郎。大丈夫なのぉ?
    そのお店、本当においしいのぉ?」
手にしたガイド雑誌を見ながら、
明日香「いつもチェックしてる
    ガイド雑誌でも
    そんな、お店見たことないわよ~」
旬太郎「さぁ?どうだろう。
   実は俺も、よく知らないんだ・・」
明日香「え~っ!」
旬太郎「あった!ここだ!ここだ!」
と、人混みの中。忘れ去られたブラックホールのように、
ひっそりと佇むような半間の木戸と、『とりで寿司』の小さな看板。ピンと立った盛り塩。
明日香「なんか、ひっそりして、
    地味ぃなお店ねぇ・・」
木戸を開ける旬太郎に、ガラッ!そこに、カウンターだけの狭い店ながら、プンと木の香りの匂うような真新しいカウンター。神経の行き届いた清潔な店内。
装飾は壁の一輪挿しのみ。
華美からは、ほど遠く、だからこそ緊張感がある。
取手「いらっしゃいませ!」
筒袖の法被に、きりりと、前掛け。ねじり鉢巻きも凛々しい取手が、折り目正しく頭を下げる。
旬太郎「あの、予約した・・」
取手「赤木様ですね。
   お待ちしておりました、どうぞ」
爽やかに笑い、板前のカウンターを手で示す。
そっと、旬太郎に耳打ちする明日香
明日香「ふぅん。
   思ったより、感じのいいお店ね。
   おまけにこんな時間なのに
   空いてるし・・貸し切りみたい!」
外套と荷物を壁にかけ、カウンターに座る二人。
旬太郎「日本酒を冷やで頂きます。
   それから、おまかせで・・」
取手「ありがとうございます。
   何か、お召し上がりに
   なれない物や、
   お好みがあれば、
   おっしゃって下さい」
お銚子を置いて、仕事を始める取手。カウンターから見える高さに、ネタ箱も、まな板も置かれている。
旬太郎「へぇ。カウンターと
   まな板の高さが同じなんですね」
取手「仕事してる手もとを
   見ていただいた方が、
   私も、身が引き締まりますから」
チャッチャと包丁が走り、優雅に手が舞う。
ムダの無い、華麗な動きである。感心する旬太郎。
旬太郎「なるほど。
   見る価値があるなぁ
   見事な手際だ」
明日香「優雅ねぇ」
取手「恐れ入ります」
ストッ。と青笹の上におかれた寿司。
取手「青森の寒ヒラメでございます」
旬太郎「うわっ。旨そぉお!!
    いただきまぁす!」
手で、醤油もつけずに、パクリと一口に入れる旬太郎。旬太郎「んんんんんんん!」
目を丸くする旬太郎。タン!と思わず舌を打ち、
旬太郎「ん!まい!!」
旬太郎「いやぁ!この前から、
ヒラメはずいぶん食べたけど
   寿司にすると刺身とは、
   また別物の旨さだなぁ~。」
目の前の寿司のその形に見惚れている明日香。
明日香「キレイなお寿司ねぇ~」
明日香「ネタもキレイな飴色で
   ゴハンも光ってる・・
   形にも、凛とした緊張感があって
   華美ではない、華があるわ」
嬉しそうに笑う取手。
取手「ありがとうございます」
寿司を見て、気付く明日香。
明日香「あれ?旬太郎のと
   私のでは、大きさが違うんですね」
取手「ええ。同じ寿司を
   最後まで、ご一緒に
   召し上がっていただくために
   男性のお客様のより
   女性のお客様のは小さめに
   握っています。」
明日香「そうか、旬太郎のと
   同じ大きさだと、
   私だけ、先にお腹いっぱいに
   なっちゃって最後まで
   食べられないものね」
取手「お一人お一人が
   ご満足いただけるように
   お年の差、お体の大きさの差
   なども考えますね。
   だから初めてのお客様は
   緊張いたします」
明日香「じゃあ、このお寿司は
   私のためのオーダメイド
   なんですね!ステキ!!」
口に入れる明日香。もう一つを頬張る旬太郎。
旬太郎「今度は、よおく味わって・・」
うっとりとする明日香。
明日香「口に入れた瞬間、
  シャリの温もりで、
  ほわっ。と、ヒラメの香りが
  口じゅうに、広がって・・」
旬太郎「舌に乗せた身の、
  とろけるような甘味や旨味も、
  刺身より輪郭がくっきりと感じられる。
  噛むと、ほろり。とシャリが崩れて、
  ヒラメの旨味、脂が、米の甘味と、
  渾然となって、米粒と一緒に、
  ぱあっと、広がりながら、喉に落ちて行く・・」
目を閉じる旬太郎。
旬太郎「まるで、口の中で開く、
  旨さの花火のようだ・・
  こんな寿司。俺はじめてです・・」
明日香「ほんと。素晴らしいわ!」
取手「ありがとうございます。
   ちょっと早めですが、
   いいのが入りましたので
   春子をどうぞ。軽く酢シメに
   して、おぼろを挟んであります」
旬太郎「春子?」
明日香「真鯛の子供よ」
口にして、
旬太郎「なんて軽やかな甘味なんだ」
明日香「表はまだ寒いけど
   春がもうすぐそこまで
   来てるっよって
   囁いてくれる春風のような
   爽やかさね」
取手「いつもは松輪のサバを
   入れてるんですが、
   今は、寒の時期ですので
   関サバにいたしました。
   これも酢でシめてあります」
旬太郎「くぅ~っ。旨味が濃い!
   なんて、思い切りのいい
   味なんだろう!」
明日香「お酢のシメ具合が絶妙なのよ
   お魚を生かす、ぎりぎりの
   仕事をしていて、・・」
嬉しそうに、笑う取手。

#・時間経過。
味に陶酔している旬太郎。
旬太郎「スミイカ。マグロの赤身、それもカマシタ。
   コハダ。煮ハマグリ。アナゴ。イクラ。
   どれも素晴らしかったなぁ・・」
日本酒を手酌で、ついで飲む明日香。ほんのり頬が赤い。
明日香「子供の頃から、
   お父さんに連れられて   
   お寿司はよくいただいてますけど
   銀座の名店に、負けないお味だと思うわ」
取手「最後に、北海道のウニを
   お召し上がり下さい」
旬太郎「ゴクリ。」
喉を鳴らして、食べる旬太郎。
旬太郎「んぅ!キリリッ。と
   鮮烈な磯の香り!
   北の海の、波飛沫を
   浴びるようだ!」
明日香「粒の一つ一つが・・
   舌をとろかすように・・」
明日香「甘んまぁ~い・・
   苦みが、ぜんぜんないわ!」
ウニの箱を喜ばしげに見せる取手。
取手「ウニは、時間がたった物や
   質のよくない物は
   すぐにダレッと垂れて流れて
   味が落ちてしまいますが
   このウニを見て下さい。
   みんなキレイに
   立ってるでしょう?」
旬太郎「ほんとだ。
   さざ波みたいですね
   芸術品だなぁ」
目を輝かす旬太郎が、取手も嬉しい。
取手「そのダレるのを防いで
   日持ちをよくするために
   ホウ酸で洗った物が
   多いのですが、
   それだと、苦みがでるのです」
旬太郎「へぇ~。あの苦みって
   ウニ独特のものだと
   思ってたけど、
   そうだったんですか」
取手「ですから、そういう物は
   ウチでは使いません。   
   このウニは、殻を割って
   すぐに、選別され、
   港の女職(*差別用語注意)さんたちの
   手で一つ一つ、ていねいに
   箸で箱に形造られた最高のものです」
カウンターに手をつく旬太郎
旬太郎「いやぁ!ご馳走さまでした!
   幸せな時間でした!」
うっとりした明日香。少し酔っている。
明日香「『寿司なんて切って、
   メシに被せるだけだろう』
   なーんて言う人がいるけど
   きっと本当に美味しいお寿司を
   食べた事が無いんだわ」
お茶を出す取手。紅潮した頬で、照れながらも嬉しさが隠しきれない。
取手「過分なお褒めに預かり、恐縮です」
取手「もし、ご満足いただけたのでしたら
   それは、このように、いいネタを、
   仕入れられたおかげです」
ネタ箱を愛おしそうに、旬太郎たちに見せながら、
取手「魚の本当の食べ頃は、
   ごく短いものでして、
   ウチでは、その日の
   営業時間に合わせて、
   最高の状態になるよう、
   築地の仲卸で
   魚をシメてもらうのですが・・」
取手「本当は、今日は
   休市日といいまして
   築地市場はお休みなんです」
旬太郎「ええ。」
頷いてしまって、慌てて
旬太郎「・・あ、いや、
   へぇー。そうなんですか・・」
カウンターの中。氷で冷やす冷蔵庫。その前に大事そうに置かれたトロ箱(ちょっと野暮で、事実とは違うかもしれないのですが、目で見てわかるようにトロ箱の文字は、<『とりで寿司』さん江、築地仲卸『新宮』>にしてはどうでしょう?)
取手「ですが、お世話になっている
   仲卸の三代目の若旦那が、
   私に目をかけてくださり
   ウチのためだけに
   自ら店を開けてくださるんです」
旬太郎「・・・」
取手「その方が、いい魚を選って、
   最高の技でシメて、
   最高の見極めで、
   氷を入れてくださるんです。
   シメかた、氷の使い方だけで
   味はグンとかわるんです。
   その三代目の目利きと、腕は
   そりゃあ、たいしたものなんです」
新宮に心酔しているのが分かる。
旬太郎「そうですか・・」
仕事する新宮の横顔を思い出す旬太郎。
旬太郎「そんなに凄い人なんだ・・」
拳を握る旬太郎。身が引き締まる。
旬太郎「決して魚だけが、旨いんじゃない・・。
   魚の持つ力と、それを最大限に引き出す、
   ご主人と、しん・・その三代目の、
   職人技と、熱意があってこそ、
   この感動があるんですね・・
   思いしりました・・・」
受けた感動が大きいだけに、これから登らねばならぬ、山の、とてつもない標高を、知らしめられた感がある。ネタ箱をじっと見つめて、
旬太郎「完敗だ。俺なんか・・悔しいけど
   足下にも、及ばないや・・」
取手「え?」
怪訝な顔の取手。
旬太郎「あ、いや。実は・・」
うち明けようとしたのに、期せずして、
明日香「でも~!
   こぉんなに美味しいのに」
日本酒をクビリと飲みながら、店内を見回す、明日香。
明日香「お客さん、ぜんぜん
   いないんですねぇー」
遠慮する旬太郎。
旬太郎「ちょっと明日香・・
    飲み過ぎじゃない?」
取手、苦笑いしながら
取手「いえ、おかまいなく
   いつも、こんなものなんです・・。」
明日香「え~!信じられない!
  絶対、宣伝不足よ!
  私、呼び込みでもしようかしら!」
腕まくりする明日香。酔ってもいるが、取手の味に惚れ込んだらしい。やりかねないと、気をもむ旬太郎。
と、ガラッ。と、木戸が引かれる。顔を向ける、取手。
取手「いらっしゃい!」
のれんから顔を出したのは、二人連れの酔漢。
中年のサラリーマンで、かなり酔っている様子。
酔漢A「おんやぁ?ここ確か
   ラーメン屋じゃなかったっけ?」
酔漢B「ん?まるで寿司屋みてぇな
   ラーメン屋だなぁ
   おい!味噌バターくれ!」
頭を下げる取手。
取手「あいすいません。
   寿司屋でございます」
酔漢A「寿司ぃ?なぁ~んだ
   いこいこ!寿司なんて、
   回転寿司で充分だ。」
酔漢B「ったくだ。寿司屋なんて、
   高い金ぼったくりやがるわ、
   オヤジは威張りくさるわ
   ロクなもんじゃねぇや・・」
頭を下げる取手。心に棘が刺さる。
取手「・・・あいすいません」
ふらっと、立ち上がる明日香。怒りの顔である。
明日香「ちょっと・・オジサマ方・・」
察して、必死で袖を引く旬太郎。
旬太郎「あ、明日香・・やめなよ」
明日香「喰いもんの能書きってのは
   喰ってから、言いなさいよ!」
明日香「喰う手前から
   アーダコーダ言う前に
   酒の抜けた昼間にでも
   いっぺんここの
   お寿司を食べに来なさいよ!」
ガイドブックをふりかざす明日香の剣幕に、
酔漢A「ひえっ!おっかねぇ!」
酔漢B「お、おい!行こうぜ!!」
ほうほうの体で逃げる酔漢AB。
ピシャッ!と引き戸を閉じる明日香。
呆気にとられる取手。
取手「すいません。うち、
   ランチはやってないんです」
ハッ。と、我に返る明日香。
明日香「あら。私とした事が・・
   ごめんなさい。
よけいな、おせっかいを・・」
だが、照れながらも、ジン。としている取手。
取手「いえ・・正直。嬉しかったです
   言いたくても、言えない事を
   代わりに言ってくだすって・・・」
取手の顔に影がさす。
取手「寿司屋に、ああいう誤解を
   されているお客様が多いんです。
   ふっかけているつもりなど
   毛頭ないのですが、
   いいネタを握ろうとすれば
   お値段は、どうしても時価になり
   お高く、なってしまうんです・・」
旬太郎「そうですよねぇ。
   魚じたいが、その時々の
   天候や水揚げで
   相場が大きく、変わりますからねぇ」
取手「世間は寿司ブームとか
   言われているようですが、
   それは回転寿司のような
   寿司屋の事で・・
   今、わたしどものような
   昔ながらの江戸前の寿司屋は、
   どんどん店を閉め、減る一方なんです」
一つ、深いため息をついて、まな板を拭き、
取手「私がいた店も
   そうして閉店に
   追い込まれてしまって・・」
旬太郎「そうなんですか・・・
   回転寿司のおかげで、
   年に一、二度だったお寿司を
   月に一度は、家族みんなで
   食べられるようになって、
   嬉しいなぁ。と思っていたけれど
   でも、その影でそんな事にも
   なってたんですねぇ・・」
柳刃包丁の他に、細工用の包丁を取る取り手。
それは、横の柳刃と同じ物を長年使って、研いでいるうちに、短く小さくなった物である。
その刃をしみじみと見つめながら、
取手「それも時の流れなのでしょう・・。
   けれど、十五の年に
   駆け出して二十四年。
   これまで、懸命に修行してきました・・」
開いた自分の手をじっと見つめ、
取手「今さら、この手は、
   寿司より他の事は、
   なにも知りはしません・・」
その、つるつるに光る両の掌を、ぐっと握りしめ、
取手「大博打のつもりで
   この店をはじめ、
   借金を重ねながら
   この一年間。
   なんとか頑張ってきましたが」
肩をがくり。と落とし、
取手「もう刀折れ、矢尽きました」
旬太郎「え、それじゃあ・・」
悲しげに、暖簾を仕舞う取手。
取手「今月いっぱいで店仕舞いです」
頭を下げる取手。
明日香「え~っ!やめちゃうんですかぁ~
   そんなの日本寿司界の損失!
   いえ!私の損失よ!」
旬太郎と明日香を見て、
取手「私も、ご贔屓にして
   いだけないのが残念です・・
   最後に、お客さんのような、
   楽しくて、味のわかる方たちに、
   出会えて、よかった。」
取手「ちょっとお待ち下さい!」
ネタ箱を、旬太郎に差し出す取手。
取手「どうか、お持ち帰り下さい。
   ウチでは、最高の食べ頃を
   逃してしまったネタは、
   絶対に翌日に、持ち越さない
   事にしているんですが
   ご家庭でなら、
   じゅぶん美味しくあがれると思います」
旬太郎「え?それじゃあ
   これまで、残りの魚は?」
(旬太郎は魚と言い、取手はネタと呼ぶ)
自嘲気味に笑う取手。
取手「この一年。
   残ったネタは、私が食べて、
   女房子供に喰わせて・・
   朝から晩まで冷えた酢メシと
   魚づくしです。
   娘に言われましたよ。
   パパ。ウィンナーが食べたいよ。ってね」
取手「その一言で店を畳む
   決心がつきました」
取手「けれど、『新宮』の三代目が
   ギリギリの時間を見極めて
   シメたネタを、お客さんに
   出す気には、どうしても
   なれませんでした」
取手「それは、三代目の技を、
   ご厚意を、無にするようで・・
   食べきれない分は・・」
取手「涙を呑んで、捨てました」
明日香「え~っ!もったいなぁい!」
胸を張る、取手
取手「それが!私の職人としての
   最後の意地です!」
ネタ箱を受け取った旬太郎が、じっと。ネタ箱を見つめて黙っている。
明日香「旬太郎?どうしたの?」
ネタ箱を見つめる旬太郎。
旬太郎「魚が泣いています・・・・」
取手「え?」
俯いたまま、その表情は見えない。
旬太郎「俺たち仲卸は
   毎日、何十、何百という
   魚をシメます。・・殺します。」
取手「・・・・仲卸・・あなたが?」
旬太郎「なのに、その魚たちが
   食べられないまま
   捨てられていくなんて・・」
スッと、開く木戸。木戸を潜りかける新宮三代目。
ただならぬ雰囲気に手前で足を止め、隙間から中を伺う。たまらなく悲しい顔を、上げる旬太郎。目に涙が滲む。
旬太郎「それじゃあ、魚が!あんまり、
    可愛そうじゃないですか!!」  続く。

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