算命学余話 #G91 「気は往来する」/バックナンバー
前回の余話の副題が「月の裏側の模様」だったので、何か天体にまつわる話題を期待された読者もいたかもしれません。実際は無関係で、比喩に使っただけでしたが、算命学の技法を理解する上では想像しやすかったかと思います。でも肩透かしを食らってつまらなく感じた方には残念でした。お詫びに土星にまつわる天体の話をしましょう。
土星といえば土星の輪が有名且つ魅力的ですが、その美しくも繊細な輪を過ぎてずーっと上に上がっていくと、土星の北極には巨大な六角形の縞模様が確認できます。極点を中心に描かれた正六角形が同心円状に、赤道へ向かって幾重にも広がっている。そういう画像が土星探査機から送られているので、検索してご見分下さい。実に神秘的で不思議な光景です。
あまりに精確なその幾何学模様が、茫漠とした膨張宇宙にはそぐわない気もしますし、宇宙の天体が各々法則性をもって運行していることを考えれば、正六角形の規則性は宇宙にぴったりな気もします。この「一見して無秩序に見える宇宙は、実は緻密で膨大な規則に従っている」というのは、算命学の思想における宇宙論にも鑑定技術にも合致していることなので、頭の隅に置いておいて損はないでしょう。
この土星の六角形、もし土星に住んでいれば、その巨大な図形を地上から見ることはできませんし、土星はガス星ですから図形はナスカの地上絵のように固定されてもいません。要するに掴みどころがなく、確認できるのは上空からの模様だけです。しかし地上から見えないからというだけで、六角形の存在とその形成に寄与する力学をなかったことにはできません。これは前回の余話の主旨とも通底しています。なので今回はこのテーマを広げます。
最近「パッシブハウス」という新語を聞きました。これはドイツで生まれた気密性や保温性の極めて高い住宅の呼称で、今流行りの「持続可能性」に即して冷暖房を節約することを主目的とした建築物を指します。冷暖房をガンガン焚いて室温を保つのではなく、僅かな冷暖房で適温となった室内の空気を外へ逃さず、且つ外気を入れないという「受け身」の構造がパッシブというわけです。
一見してエネルギーの無駄遣いを減らし、環境にやさしい賢い住宅に聞こえますし、日本でもそのように紹介されています。しかし私は生理的に嫌な感じがしました。なぜなら外気を完全に遮断するということは、外部との交流も絶つということだからです。外気という新鮮な空気も、音も、季節の香りも、人や動植物の気配もない。まるで刑務所です。その中で暮らす人は、自家中毒と引きこもりしか思い浮かびません。
そんな時、折よく養老孟司氏と山極寿一氏の文明対談を読み、以下のような見解に遭遇しましたので引用します。
山極:「日本人の情緒って、自然の変化、とりわけ動物たちの変化に相当影響されていたはずなんです。それが今、(開発によって)森が空っぽになっちゃったから、気温の変化や雨風とか、そういうものでしか判断できなくなった。自然に対する感覚を失って、人間が機械的な反応しかできなくなっている気がするんです。しかも家もホテルもオフィスも、外気や音が入って来ない作りになっている。…(現代の)日本人はもう自然に耐えられなくなっちゃったんですよ。まず虫に耐えられない。刺される、嫌な音を出す、蛾が鱗粉を撒く、うるさいと感じ始める。そもそも人間の身体は五感を通じてそういうものを心地よく感じるようにできているはずなのに、我慢ができない。」(『虫とゴリラ』より。)
ドイツ人の情緒は自然とかくも無関係なのでしょうか。ドイツのみならず、世界の殆どの文明は日本人のように虫の音を美しいと感じないので、日本人だけが特殊なのかもしれませんが、この点に関しても以下の意見が同対談にありました。
養老:「大陸では中国でもインドでもヨーロッパでも、都市って「城壁」で囲まれていますよね。京都が特別なのはそこで、城壁で囲っていない都市なんです。城壁はもちろん都市を守るためのものですが、本来は「結界」です。「ここから先は別だよ」というものを、京都の人は城壁ではなく、生活の伝統や様式の中に作ってきた。あんまり例のない文化だと思いますよ。」
山極:「とくに京都は御所があり、下鴨神社、上賀茂神社があり、山間にも寺がいっぱい並んでいて、セイントな場所があちこちにあるから、都市が完全に機能的にはならない。代表的なコンクリートの都市に変えようとしてもできないんです。実はそういうものが日本人の心を支えている。…コンクリートは災害時に明らかになったように、全然もたないっていうことがわかった。百年もたない。木造建築はうまく作れば、清水寺のように何百年ともつ。大きな違いは、コンクリート建築は作った時が「終わり」で、木造建築は作った時が「始まり」なんだと。」
城壁都市文明のドイツの建築にはこういう発想はないのでしょう。また明治以降欧化を進めてきた今の日本も、西欧文明を崇めてそれを模倣してきましたが、コンクリートのみならずその近代化の根本的な間違いは、年ごとに露呈されています。持続可能社会など、日本では江戸時代に既に完成していたものを、明治になってわざわざ壊したのは、西欧文明を素晴らしいものだと見誤ったからでした。
思い出すに、私の世代ではかつてコンクリート打ちっぱなしの住居やカフェが「スタイリッシュ」だと持てはやされましたが、老人たちは冷たい灰色をした剥き出しの壁や天井を「みすぼらしい」と嫌悪していました。当時の私は新築のコンクリート建築は確かにスタイリッシュだと感じていましたが、それが五年十年経つと古い地下道のような陰鬱な色に変わったのも覚えています。日本の湿気のせいです。コンクリートは湿気を溜めてカビる素材なのです。だから震災で崩れたのです。
外国はもっと乾燥した気候なのでこうはならないのかもしれませんが、いずれにしても彼らは壁を塗る文明です。内も外も化粧を施さないと灰色の殺風景さが消えないからです。しかし日本の伝統家屋は木造で、基本的に木目には塗りません。防湿や防虫のための塗りや加工はあったけれども、きれいな木目をわざわざペンキやパネルで覆い隠す必要はなかった。これが本当のエコというものだし、素肌美人というものです。残念ながら現代では、日本の女性も化粧なしには戸外を歩くのを躊躇うようになってしまいました。近代化のせいで荒れた肌を隠したいのか、それとも素肌を美しいと思えなくなったのでしょうか。
長い前振りになってしまいましたが、算命学は気の思想が根本にありますから、こうした話題と無関係ではありません。気密性の高い住宅が外気を拒絶する姿は、算命学の云う「気の流れ」を妨げる姿そのものなのです。
冒頭の六角形の話と重なっているか微妙ですが、算命学の陰占は星が六本立てです。年干支、月干支、日干支で合計六星。向かって左上の日干が自分自身を示し、残りは周囲の人間を当てています。これがいわゆる「宿命」です。宿命は六星であり、自分自身を含めた周囲の人間との関係性で成り立っているのです。
従って、星同士の間には気の交流があります。関係とはそういうものです。関係性が途絶えれば、気も流れてはいきません。そして気の交流があるということは、相互にやりとりがあるのであって、一方通行ではあり得ません。一見して一方通行であっても、実際は両方通行なのです。それは地球からは見えない月の裏側の模様や、上空からしか確認できない土星の六角形と同じことです。
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