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算命学余話 #G54 「女性を軽視する国家」/バックナンバー

 数日前、こんなニュースを聞きました。ドイツでマスク着用を強要した店員を客が射殺したというのです。コロナ禍ならではの事件です。もうじき二年にもなろうという新型コロナウィルス対策、しかも科学的根拠は極めて薄弱で奏功の証拠が誰も明言できない、ただ「自分たちはやっている」気分になるための、責任回避が目的の、国民に不便を強いるだけの自粛生活に、とうとうドイツ人がぶち切れてしまいました。
 別にドイツ人が特別キレやすいわけではありません。たまたまドイツ人だったというだけで、どの国の人間も、人権の中に正当な(決して身勝手とは言えない)「自由」を入れている人ならば、科学的に防疫効果の薄いマスクを他人に強要する行為を人権侵害と捉える感覚はあって然るべきです。ウィルスはマスクの編み目より遥かに小さくてすり抜け放題なので、それを知っている人が知らない人にマスクを強要されるのでは、道理があべこべです。マスクによる呼吸の妨げ(=酸素不足)が脳の活動を阻害し、幼児に至っては脳の発育に影響することも、科学的には知られています。

 亡くなった店員は誠にお気の毒ですが、この事件がドイツ人によって起こされたというところは注目したいです。なぜならドイツという国は、悪名高きナチス・ドイツの時代にユダヤ人その他の民族の人権を散々蹂躙してきた国だからです。戦後のドイツはこの史実を直視して、同じ過ちを二度と繰り返さないよう国民意識の改善に努めてきました。思想教育は幼児期から徹底され、ドイツの若者はナチスのロゴだった逆卍を自分の手で紙に書くことさえ、恐怖で手が震えると言います。
 そのドイツ人が、たかだかと言うなかれ、マスクの強要を巡って人権を侵害される側に立った自分を体験し、同じ種類の不条理を戦前のユダヤ人が耐えに耐え偲んでガス室まで行ってしまったのとは対照的に、その場でキレて相手を射殺したわけです。勿論この射殺犯は特別我慢の足りない人でしょうし、人権侵害についてそれほど切実に考えている人でもなかったでしょうし、マスクと人命、もしくはマスクと自分の人生を量りにかけてマスクが勝つほど物事の優先順位の判らない愚か者であったことに異論はありませんが、人間の営みにとっていかに「自由」が大切であるか、他者に何かを強要する行為がいかに不条理で傲慢な行いであるかを、この事件でドイツ国民は再確認したのではないでしょうか。
 かく言う私は勿論マスク反対派です。マスクと皮膚の間は温まって雑菌が増えるので却って不衛生ですし、ひと言も喋る用もないお一人様客なら尚更マスクは不要だと思っています。そもそも自粛要請であって強制力はないのだから(本当に効果があるなら政府が法律を作って強制しているはずです)、個人の判断に任せればいいのに、同調圧力をかける側が正義漢ぶっているのが気になります。ナチス時代のドイツ人も、ユダヤ人らを迫害している最中は、自分たちが社会のために正しいことをやっていると胸を張っていたのですから、同じ風景を見る思いがします。

 国際ニュースを続けますと、ひと月前はアフガニスタンからの米軍撤退を機にタリバン政権が返り咲き、二十年前の悪夢再びかと騒がれました。私は学生の頃からアフガンという国や歴史に興味があり、その発展を妨げる長年の苦境を悲しく見つめてきました。タリバンといえば、イスラム原理主義に基づき、女性の教育や就労を禁止してきた暗い過去があります。
 私は算命学者なので断言しますが、女性の自由を束縛する男はろくでもない男だし、そんな男たちが築く社会に発展は望めません。勿論、男性の自由を縛る女もろくでもない女ですが、女は総じて腕力が劣るので、男性を物理的に縛るのが難しく、実際どちらが縛るかといえば、圧倒的に男性が女性を縛っています。経済的な意味でも、現状はそうです。まあ精神的に縛るとしたらいい勝負ですが。
 ではなぜ算命学者はこのように断言できるのでしょう。今回のテーマは、女性の能力と役割についてです。それは男性の能力・役割とは陰陽で対照的なのですが、仮に男たちが前政権を打倒して新たな国家を築いた場合、数年後にそれが行き詰まる例が多いのはなぜか。行き詰まらずに発展していく国家と何が違うのか。何が欠けているのか。更には、男女平等を謳って先進性を誇示する欧米諸国が現在提唱している「持続可能社会」は、本当に持続可能なのか。そういった今日的な話題を、算命学で斬ってみます。

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