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算命学余話 #G76 「暗合と霊能力」/バックナンバー

 前回の余話#G75は、超能力について論じました。超能力や霊感といった尋常ならざる、今日では科学的でないか、又は科学的に証明できないと見做され議論から除外されている諸現象は、古今東西に確認されているにも拘わらず、その信憑性が定かでない事例が多いことから、理性ある社会においては軽視や蔑視の対象となっています。
 しかし算命学は今日的な科学信仰が広まる遥か昔に成立した思想なので、「あるもの」を無いとは言いません。超能力や霊感がインチキ呼ばわりされるのは、それでひと儲けしようという魂胆の輩がウソを振り撒くせいであり、且つ、超能力や霊感が存在しては自分の地位や名誉が脅かされる懸念のある権威ある立場の人達のせいなのです。その思惑に、精神世界は介在しません。あるのは俗世の栄達だけです。算命学は、精神世界も現実世界も共に考慮しますから、一方に肩入れすることはしないのです。でないと自然界のバランスを見誤ります。

 今回の余話は、前回の話題を引っ張って「九流の術士」を掘り下げてみます。「九流の術士」の成立条件は前回述べた通りですが、その超能力の由縁として、「自然風景に置き換えるとそもそも生存が厳しい」命式であることが考慮されました。しかし超能力を示す根拠はそれだけではありません。「生存が厳しい命式」は他にも沢山あります(例えば余話#U21の「足下崩壊」命式など)。ありますが、それだけでは超能力は付与されません。
 「九流の術士」に超能力或いは霊感・直感の類が生まれながらに備わる背景について、別の角度から眺めてみます。すると「九流の術士」でなくとも、或いは超能力とまでいかないまでも、直感とか勘が鋭いとかいった性質がどういった星並びに基づいているものなのかが見えてきます。勿論、後天運によって「期間限定」でその種の能力が開花することだってあります。そう考えると、後天運次第で誰もがプチ超能力者になれると考えても、間違いではありません。

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