算命学余話 #R58「幸せの土台」/バックナンバー
私が子供の頃から読み続けている獣木野生の漫画『パーム』第40巻が発売されました。この作品は連載開始当時の1980年代を描いてゆっくり時間が進んでいるため、21世紀の今日において主人公らは既に死んでいる設定なのですが、物語中盤から環境問題に目が向けられ、最新刊では1980年代にはまだ登場していなかったAIや巨大企業による市場の寡占、それによって起こる今日的な弊害が取沙汰されており、時代の古さを感じさせない作風となっております。この作品は、連載開始時には既に完結までのあらすじが出来上がっており、作者はこれを何十年もかけてこつこつ漫画に描き上げていくだけという消化試合のような仕事ぶりなのですが、細部に多少の変更はあったとしても大筋は変わらず現代社会に即した内容を堅持できるというのは、やはり作者の先見性あっての賜物です。
我々の生きる現代では、成長著しいAIが人間の仕事を奪うのではといったリアルな未来が危惧されていますが、獣木氏がその先見性を以ってどのように近未来を予見しているのか、訊いてみたいものです。本作品に馴染みのない人のために、作者の思想を伺い知れる部分を、最新刊のセリフから引用してみます。
――…環境が破壊されて、結果金があっても水さえ手に入らない時代が来る。運が良ければ地球が滅亡する前に人類がそのことに気付いて、金や成功に価値観を見出さない人間が増え、誰も周りと競合してより大きな家や高級車を買おうとしなくなり、社会は直線的経済から循環的経済に乗り変えていく。…あなた方はなぜそれを脅威に思うのですか? もし世界が良い方向へ一変するのなら、その恩恵は最終的に我々にも及ぶ。そんなにも世間の悪役でいたいですか?――
算命学的に言えば、これは印星の発想です。金や成功に価値観を見出すのは禄星ですから、相剋関係にある印星の価値観と真っ向対立するのは当然です。そして直線的経済を是とする直線的思考の発祥地は西洋であり、循環的経済の元にある循環思想は東洋の発想です。
資源を食い尽くすだけの直線文明が人類を滅ぼすという図式がすんなり頭に浮かぶ人は、印を備えている人であり、より持続性のある循環型社会への移行の必要性を強く感じている人です。尤も、循環型経済・社会の中では、圧倒的な富の集中や急激な成功というものは期待できません。こういう環境では、今度は禄星が星を輝かせられなくなります。このように印と禄は同時に輝くことのできないさだめなのです。
前回の余話では、後天運、特に年運が宿命に与える影響によって、活躍しやすい年や時期に個人差があるという話をしました。毎年行われる世界選手権で何度も優勝しているアスリートが四年に一度の五輪になるとなぜか勝てない、というよくある話の背景に何があるのか、算命学的な視点から探ってみればある程度納得いく原因が見つかるかもしれません。勿論、逆に四年に一度の五輪以外はさっぱり輝かないという選手がいることも、同様の視点で読み解くことができるでしょう。
しかしいずれの場合も、その人が幸福かどうかは、その人が一生を終えてみないことには判断できません。たった一度の成功なり失敗が、その人の人生の全てだったと見做すことはできないからです。
今回の余話は、その幸福についてです。上述のように知性は印星が、財運は禄星が司っていますが、幸福は福星である貫索星と石門星のテリトリーです。福星は印星とは相生関係にあり、印星が福星を後押しする形です。つまり知性が幸せを呼び込むという図式になります。人間が知性を尊ぶのは、知性が幸せを掴むために必須であることを本能的に知っているからです。
誰だって大馬鹿者の男女と結婚したいとは思いませんよね。それは結婚によって幸せを掴みたいという欲求が、愚かな人間を配偶者候補から無意識に排除しているからです。従って、相手の中身の馬鹿さ加減に目を向けずに優れた容姿を重視する人は、残念ながら当人自身に知性が備わっていない、と判断せざるを得ないということになります。
しかしながら、当の幸福を司っているはずの貫索星と石門星は比和から生まれる星であり、それは強星を生み、変化を好みません。幸せと比和、強星と膠着状態。これが算命学の考える幸福のワンセットです。算命学を知らない人にとっては違和感のある組合せですし、算命学を知っている人にとっても、大いに考察を促されます。今回はこの辺りについて、算命学の考える幸福の一端について考えてみます。具体的には「芳順局」という局法に触れます。
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