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広瀬和生の「この落語を観た!」Vol.150

9月28日(木)「鈴々舎馬るこ勉強会“まるらくご爆裂ドーン!”#61」(9/26しもきたドーンでの会の配信をアーカイブ視聴)


広瀬和生「この落語を観た!」
9月28日(木)の演目はこちら。

鈴々舎美馬『真田小僧』
鈴々舎馬るこ『ぞろぞろ』
~仲入り~
ホンキートンク(漫才)
鈴々舎馬るこ『インド人のちはやふる』
鈴々舎馬るこ『水屋の富』

従来の『ぞろぞろ』は荒物屋の老夫婦が主役で、客が来ないので近所のお稲荷様をきれいに掃除して商売繁盛を願うと、激しい雨が降って次々に草鞋を買いに来るという噺だったが、立川談志は神様を主役にした。ある神様が神無月に出雲に出掛けた後、まっすぐ自分の社に戻らずあちこちで巫女を口説いたりして、久々に戻ったらすっかり寂れていたという展開。そこへ近所の荒物屋の孝行娘がやって来て「参詣人が来なくなって草鞋ひとつ売れなくなってしまいました。どうか商売繁盛お願いします」と願って御神酒をあげたので、神様が娘の願いを叶えて草鞋が売れる…という展開。神様を擬人化した談志の演出は斬新で、大いにウケた。馬るこの『ぞろぞろ』はその談志の型がベース。談志門下で“立川談生”として真打となり立川流創設後に落語協会に戻って“鈴々舎馬桜”となった兄弟子から『ぞろぞろ』を教わったのだという。ただし馬るこ演じる神様はケタ違いにスケベで、狛犬を通じて“神のお告げ”として「ご神木に顔をスリスリしなさい」「社の中のご神体の石に抱きついたり、さすったり、またがって腰を動かしたりしなさい」などと命じる。なんとも馬るこらしい悪ノリが素敵だ。

『インド人のちはやふる』はタイトルどおりの改作。在原業平の「ちはやふる…」という歌のわけを聞かれた旦那は、竜田川は相撲取りではなく日本人で、高校野球のエースだったが肩を壊し、サッカーに転向したがアキレス腱断裂、失意の挙句インドに渡り、修行僧に弟子入りして不思議な力を得たという作り話をする。あまりに強引なこじつけのバカバカしさは馬るこの真骨頂。

『水屋の富』はネタおろし。馬るこは関東に国替えされた徳川家康が井戸を掘っても塩水しか出てこない江戸に玉川上水、神田上水を引いた歴史と、川向こうの本所・深川方面に上水の水を売りに行く水屋がいかに低賃金・重労働だったか(一荷入り=約54キロを一回運んで得られるのは僅か四文)を克明に語ってから噺に入っていく。商売相手の長屋の女連中は、安い銭で水を運んでくる水屋に対して高飛車な態度でガミガミ文句を言い感謝の一言もない。辛くて仕方ない水屋は、みじめな暮らしから抜け出すため、富くじに夢を託そうとするが、この富くじを買う一分という金をを捻出するのが水屋にとっていかに困難なことだったかを、馬るこはリアルに語っていく。

夢が叶って一番富が当たった水屋は「来年まで待って千両」ではなく「今すぐ八百両」の道を選ぶ。ここで水屋稼業をすぐに辞めずに今までどおり水を長屋に届けに行くのが不思議なところだが、馬るこは「後釜の水屋に引き継ぎをしないと長屋の女たちが『私たちのお金で富くじ買ったんだろ? だったらその金は私たちのものだよね!』と騒ぎ立てられたら『はい』って言っちゃいそう」という水屋の“押しの強い相手に弱い”キャラを前面に出すことで、八百両を家に隠して当面は水屋を続けるしかない、という流れに説得力を持たせる。この“押しの強い相手に弱い”というキャラは馬るこ自身の投影に違いない。手の込んだ演出で次々に襲う悪夢のパターンも面白い。悪夢に怯える水屋がどんどん追い詰められて錯乱していく描写は真に迫り、なかなか共感しにくい「これで寝られる」というサゲにも説得力がある。いい『水屋の富』をこしらえたものだ。


次回の広瀬和生「この落語を観た!」もお楽しみに!

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