記憶
最近の気になるワード。
【 消すまでが1つのアートなんだよ。】
サンドアートとか、
塩で描くアートとか、
黒板アートなんかの共通点。
作品をそのまま残せない事。
作ったものを壊す。
アーチストの心情は?
記憶に残されたなら形で残されなくてもいい。
という感じじゃないかな。
なんか、かっこいい。
私達が簡単に目にしたものは記憶に残されてないと思うかもしれないけど、
実はまだ残ってる。
違う場所で静かに眠ってるんじゃないかな。
この回路が理解される未来では、
記憶のストックが何時でも取り出せて、
具現化し、再度体験できたりする。
形で残そうという文化が無くなるんじゃないかな。
人は人にとって有意義なものを作りたがる。
人にとって価値があればいいと。
アート作品が長い間
お金持ちの所有物だったり。
アート作品。
本来の目的は記憶に残されたいという願望。
美術館は無料でいいと思う。
人が物自体の価値よりも、
物を見た、触れたという記憶にこそ価値があると
解るとき、
人は所有の概念を手放すんだろう。
東京で107人も感染者が出たから、気をつけなきゃ…。という恐れも。
体という物自体に価値があると信じてるから。
今あるこの私は、この体は、この世界は、
単なる記憶の断片にすぎないとしたら?
膨大な量の記憶の断片だったら。
私の48年なんて、海の水の一滴。
にすらならないかも…。
そんな事を単なる夢でなく、空想でなく、
感覚的にリアルで感じれば、
心から、恐れも無くなる。
心を軽くする。
体があることを忘れるくらい。
不安にかられ、防御するよりも、
今、無事だという大丈夫さに浸る。
今、にこそ、
全てがあるって解る。
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