化粧について


 私はお化粧が好きです。せっかくお化粧に性別の要らなくなった世の中に生まれながら、あいにくの野暮天で、自分でお化粧をする事はありませんけれど、恋人が口紅を直している姿などは、見とれるように眺めています。

 今ではデパートのお化粧売り場も、とうに女性の城ではなくなって、男の私も随分とうろうろし易くなりました。ときたま冷やかしていると、タッチアップを受けている男性もちらほらと居て、私なども声をかけられる事がある。

 未だに、男に化粧は要らない、という硬派な方もおられます。しかし、男性だって昔からお化粧はしたものです。公家の白い顔をとりあげるまでもなく、かつての硬派の学生が、バンカラを気取って学生帽を被ったのも、いまの京都の学生が、森見登美彦に憧れてバカげた呑み会を開くのも、自分に学生という化粧を施して、その精神を目立つようにしているだけで、根本では女性の紅い唇と変わりがあません。そういう意味で言えば、身にまとう衣装も、選ぶ言葉もお化粧であり、みな一様に、自身を着飾って生きている。お化粧とは、性別に関わらず、自分をどのように目立たせるかという強調に於いて成り立つものです。

 そう考えれば、化粧をせぬ人はおりますまい。老若男女、ありとあらゆる化粧を施し、ありとあらゆる人々が、自身を飾って生きている。自身の理想を頭に描いて、それに近い服を選び、言葉遣いを学び、できる限りの振る舞いをして生きている。それはときに実用的であり、かつどこまでも自己の欲求に基づくものです。

 実用的でありながら、実用のみに留まらないところに、化粧の魅力があります。そして、しょせんは自分の為のものなのだという所に喜びがあります。その喜びとは、生きる喜び、生きる事が豊かになる喜び。お化粧や身だしなみが、自分の為のそれであるとき、それがそのまま生きる喜びになるのだろうと、野暮天ながらに思うのです。

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